2009年07月26日
今月の授業(7月第1週~第3週)
この一週間ほどは、本当に梅雨があけたのかを疑いたくなるような天気が続きましたが、今日の突き抜けるような青空と喧しいほどのセミの鳴き声を聞くと、ああ夏だなと実感します。
研究の「稼ぎ時」である夏休みをどれだけ有意義に使えるかは大学院生にとって死活的に重要です。資料の開示状況の関係でこの一ヶ月ほど二本の論文を同時並行で進めているのですが、先日新たなに開示された資料を読んでいたところ、お蔵入りにしていた修士論文の前半部分を公刊出来そうな気がしてきたので、これから一ヶ月弱は三本同時に調査を進めるというやや無謀な研究生活を送ることになりそうです。
ふと気が付くと前回の更新から2週間以上経っていました。研究会等のために色々と準備が大変だったことや、急遽アルバイトが入ったり等々、更新が滞ったことには色々な理由があったのですが、一番大きかったのは、大学で落ち着いて時間を取ることがあまり出来なかったことかもしれません。決してドラクエIXに追われていたわけではありません。
紹介しておきたい本も溜まっているのですが、まずはこの間にあった授業について簡単に書いておくことにします。
◇
・7月第1週
<水曜日>
2限:国際政治論特殊研究
前週の議論の積み残し(イアン・クラークの国際社会論)と『世界政治』の二本立てでした。『世界政治』については、また改めて書くことにしてここではクラークの議論(“Chapter 32 Globalization and the Post-Cold War Order”)について。
この章はクラークの一連の著作のエッセンスをまとめたものだと思います。さすがクラークというべきか、この本の多くの章がいまいち議論を詰めきれていないのに対して、一段深く国際社会の変質について考察が進められているのがこの章の面白いところです。
グローバル化なるものが進んでいるとして(その定義そのものに議論の余地があるわけですが)、それが国際社会を直ちに変化させるという議論をクラークは取りません。様々な非政府組織の台頭を認めつつも、国際社会における国家の重要性をクラークは再度強調し、各々の国家に対してグローバル化は変質を迫り、それによって国家を主要なアクターとして構成される国際秩序が変わるというのがこの章の議論です。この議論が魅力的なのは、国家の重要性とグローバル化の影響、さらには国際秩序の変化をどれも排除することなく統合的に論じることが出来る点にあります。
これ以上深く読むためには、クラークの一連の著作を読まなければならないのですが、彼の議論のエッセンスを知るにはこの章はいいのではないでしょうか。
5限:プロジェクト科目(安全保障研究)
テーマは「日本の安全保障政策を考える」、講師は元官僚の某「研究者」でしたが、ノーコメント……ノーコメントとしか言いようのない講演でした。まあ、こういうこともあるのでしょう。
<土曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
テーマは、「戦後民主主義とキリスト教」、講師は↑の著者の先生です。プロジェクト科目史上に残る長丁場となりました。↑は著者の実存的な格闘が行間からにじみ出ているなかなかすごい本です。キリスト教と戦後民主主義(先生にとっては丸山)をめぐる著者の内面における葛藤の凄まじさは、苅部先生が言うところの、「独特の熱気」ないしは「もっと言えば暑苦しさ」を感じさせるものでした。
・7月第2週
<水曜日>
2限:国際政治論特殊研究
今回のテキストは↑。この地味な本が勁草書房の六月売上第一位というのは驚きですが、それだけの内容を持っている本だと思います。
議論の基本的な構図は、国際社会を考える際の二つの立場を、プルラリズム(多元主義)とソリダリズム(連帯主義)に類型化し、その上でソリダリズムの危うさを指摘していくというものです。その際に、ただ批判を重ねていくだけでなく、まず「国際社会」について準備的な考察を行い、その上で原理的に最も重要な「主権」との関連を検討し、20世紀以降の国際政治を特徴づける「民主主義」、さらには冷戦終結後の主要な問題である「介入」について、考察を進めていくというプロセスと議論の深さにこの本の特徴はあります。
授業がほとんど発表と基本的な議論の確認で終わってしまったのはやや残念でした。いつもこの本を取り上げた時はこう書いているのですが、改めてじっくりと読んだ上でここで書くことにしたいと思います。
<木曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
前週の講演を受けての討論。議論になった点は、色々あったのですが、個人的に「やはり」と思ったのは、「政治」や「宗教」をどのように定義するのか、という問題です。つまるとこと定義次第、というのはしばしばあることですが、「政治と宗教のはざまで」と言ってもその定義次第でその意味するところや議論の帰結は大きく変わってくるのは当然です。うまく自分の言葉でまとめることが出来ないのですが、「政治」の定義の拡散が多くの問題を生みだしてしまっているような気がします。
・7月第3週
<水曜日>
5限:プロジェクト科目(安全保障研究)
テーマは「『日本の防衛構想』について」、講師の先生は防衛政策の最前線に立たれている方です。知的にも非常に得るところの多い有益な講演でした。ここに具体的な内容を書けないのが残念です。質疑応答の際に出された質問は、どれも根本的でありながら基本的なことなのですが、それに対する答えはごまかしではない真摯さと、どれもなるほどと思わせるものでした。
興味深かったことはたくさんあるのですが、冷戦終結が日本の防衛政策当局に与えた影響がどれほど大きいのかということが伝わってきました。実際に展開されている数などを考えれば、どれだけ「国際協力」が冷戦後の日本の防衛政策の柱となっているかに疑問がないわけではありませんが、冷戦期の前提ではもはや日本の防衛政策を考えることが出来ないことはよく分かりました。
◇
というわけで、これで前期の授業は終了です。先週火曜日には、日伊比較の研究会、また金曜日には第2回の自主ゼミ(ad hoc研究会)があったのですが、その話はまた改めて書くことにしたいと思います。
研究の「稼ぎ時」である夏休みをどれだけ有意義に使えるかは大学院生にとって死活的に重要です。資料の開示状況の関係でこの一ヶ月ほど二本の論文を同時並行で進めているのですが、先日新たなに開示された資料を読んでいたところ、お蔵入りにしていた修士論文の前半部分を公刊出来そうな気がしてきたので、これから一ヶ月弱は三本同時に調査を進めるというやや無謀な研究生活を送ることになりそうです。
ふと気が付くと前回の更新から2週間以上経っていました。研究会等のために色々と準備が大変だったことや、急遽アルバイトが入ったり等々、更新が滞ったことには色々な理由があったのですが、一番大きかったのは、大学で落ち着いて時間を取ることがあまり出来なかったことかもしれません。決してドラクエIXに追われていたわけではありません。
紹介しておきたい本も溜まっているのですが、まずはこの間にあった授業について簡単に書いておくことにします。
◇
・7月第1週
<水曜日>
2限:国際政治論特殊研究
前週の議論の積み残し(イアン・クラークの国際社会論)と『世界政治』の二本立てでした。『世界政治』については、また改めて書くことにしてここではクラークの議論(“Chapter 32 Globalization and the Post-Cold War Order”)について。
この章はクラークの一連の著作のエッセンスをまとめたものだと思います。さすがクラークというべきか、この本の多くの章がいまいち議論を詰めきれていないのに対して、一段深く国際社会の変質について考察が進められているのがこの章の面白いところです。
グローバル化なるものが進んでいるとして(その定義そのものに議論の余地があるわけですが)、それが国際社会を直ちに変化させるという議論をクラークは取りません。様々な非政府組織の台頭を認めつつも、国際社会における国家の重要性をクラークは再度強調し、各々の国家に対してグローバル化は変質を迫り、それによって国家を主要なアクターとして構成される国際秩序が変わるというのがこの章の議論です。この議論が魅力的なのは、国家の重要性とグローバル化の影響、さらには国際秩序の変化をどれも排除することなく統合的に論じることが出来る点にあります。
これ以上深く読むためには、クラークの一連の著作を読まなければならないのですが、彼の議論のエッセンスを知るにはこの章はいいのではないでしょうか。
5限:プロジェクト科目(安全保障研究)
テーマは「日本の安全保障政策を考える」、講師は元官僚の某「研究者」でしたが、ノーコメント……ノーコメントとしか言いようのない講演でした。まあ、こういうこともあるのでしょう。
<土曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
テーマは、「戦後民主主義とキリスト教」、講師は↑の著者の先生です。プロジェクト科目史上に残る長丁場となりました。↑は著者の実存的な格闘が行間からにじみ出ているなかなかすごい本です。キリスト教と戦後民主主義(先生にとっては丸山)をめぐる著者の内面における葛藤の凄まじさは、苅部先生が言うところの、「独特の熱気」ないしは「もっと言えば暑苦しさ」を感じさせるものでした。
・7月第2週
<水曜日>
2限:国際政治論特殊研究
今回のテキストは↑。この地味な本が勁草書房の六月売上第一位というのは驚きですが、それだけの内容を持っている本だと思います。
議論の基本的な構図は、国際社会を考える際の二つの立場を、プルラリズム(多元主義)とソリダリズム(連帯主義)に類型化し、その上でソリダリズムの危うさを指摘していくというものです。その際に、ただ批判を重ねていくだけでなく、まず「国際社会」について準備的な考察を行い、その上で原理的に最も重要な「主権」との関連を検討し、20世紀以降の国際政治を特徴づける「民主主義」、さらには冷戦終結後の主要な問題である「介入」について、考察を進めていくというプロセスと議論の深さにこの本の特徴はあります。
授業がほとんど発表と基本的な議論の確認で終わってしまったのはやや残念でした。いつもこの本を取り上げた時はこう書いているのですが、改めてじっくりと読んだ上でここで書くことにしたいと思います。
<木曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
前週の講演を受けての討論。議論になった点は、色々あったのですが、個人的に「やはり」と思ったのは、「政治」や「宗教」をどのように定義するのか、という問題です。つまるとこと定義次第、というのはしばしばあることですが、「政治と宗教のはざまで」と言ってもその定義次第でその意味するところや議論の帰結は大きく変わってくるのは当然です。うまく自分の言葉でまとめることが出来ないのですが、「政治」の定義の拡散が多くの問題を生みだしてしまっているような気がします。
・7月第3週
<水曜日>
5限:プロジェクト科目(安全保障研究)
テーマは「『日本の防衛構想』について」、講師の先生は防衛政策の最前線に立たれている方です。知的にも非常に得るところの多い有益な講演でした。ここに具体的な内容を書けないのが残念です。質疑応答の際に出された質問は、どれも根本的でありながら基本的なことなのですが、それに対する答えはごまかしではない真摯さと、どれもなるほどと思わせるものでした。
興味深かったことはたくさんあるのですが、冷戦終結が日本の防衛政策当局に与えた影響がどれほど大きいのかということが伝わってきました。実際に展開されている数などを考えれば、どれだけ「国際協力」が冷戦後の日本の防衛政策の柱となっているかに疑問がないわけではありませんが、冷戦期の前提ではもはや日本の防衛政策を考えることが出来ないことはよく分かりました。
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というわけで、これで前期の授業は終了です。先週火曜日には、日伊比較の研究会、また金曜日には第2回の自主ゼミ(ad hoc研究会)があったのですが、その話はまた改めて書くことにしたいと思います。
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