2009年06月21日

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦』

昨日のエントリーで新刊ラッシュと書いたばかりですが、他にもまだまだ色々な新刊が出ています。

682dc2b9.jpg

a66df358.jpg

左の本(君塚直隆・監訳『オックスフォード ブリテン諸島の歴史 第9巻 19世紀 1815年~1901年』慶應義塾大学出版会)は、Short Oxford History of the British Islesの一冊であるThe Nineteenth Century: The British Isles 1815-1901 の翻訳です。政治・外交から、文学、宗教、ジェンダーまで包括的に書かれているシリーズのようで、本棚に並べておいてじっくり読み進めたい一冊です。自分の専門を考えればこれは趣味の一冊かもしれません。

大分趣向が変わりますが右の本(伊藤正直『戦後日本の対外金融 360円レートの成立と終焉』名古屋大学出版会)は、戦後日本を考える上で重要な一冊です。日本経済史研究もようやく70年代を射程に入れた研究が進みつつあるようで、ちゃんとフォローして置かなければと思わされます。ただし、ぱっと見た範囲ではありますが、重要と思われる政治学者の研究はほとんど参照されていません。参照されているものは、中村隆英先生の編著に含まれているものなどであり、隣接分野への目配りや交流は世代が下がるにつれて残念ながらどんどんと低下してしまっているようです。



読んでいない新刊の話ばかり書いていても仕方がないので、読み終えた本の簡単な紹介をしておきます。

第一段は吉次先生の本ですが、その他にも高安健将『首相の権力 日英比較からみる政権党とのダイナミズム』(創文社、2009年)、Odd Arne Westad, The Global Cold War: Third World Interventions and the Making of Our Times, (Cambridge: Cambridge University Press, 2005)、猪木武徳『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』(中公新書、2009年)などなどは、近いうちに紹介しようと思います。

3807013a.jpg

04853572.jpg

fdc7a419.jpg



6f623ece.jpg

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦 戦後日本外交の座標軸1969-1964』(岩波書店、2009年)

<はじめに>

戦後日本の政治外交史の文脈を考えてみると、池田政権は一種独特の存在感を持った政権である。吉田や岸のような形で追われるように政権を失うこともなく、また佐藤のように長期政権ゆえの捉えどころのなさもない。そして、70年代以降生まれた多くの短期政権とも異なる。こうした政権はその後、中曽根政権と小泉政権のみであろう。中曽根政権と小泉政権にしても、ある意味では「抵抗勢力」との戦いという後ろ向きにならざるを得ない「改革」の時代であった。その最期は池田自身の病気による不本意な退陣だったとは言え、「国民所得倍増計画」を掲げ、そして「政治の季節」の終焉に始まり東京オリンピックに終わる池田政権期は、戦後日本のまさに「青春の時代」であった。
このような池田政権は当然、多くの研究者の関心を惹きつけ、様々な研究が蓄積されてきたが、不思議なことにこれまで池田政権の外交を正面に据えた研究書は無く、本書の刊行はそれだけでも大きな意義を持つものと言えるだろう。以下、本書の概要を簡単に紹介した上で、若干のコメントを試みたい。

<本書の概要>

冒頭に明らかにされているように、本書は「池田勇人政権期(1960-64)における日本外交の軌跡を、アジア冷戦をめぐる国際政治のダイナミクスのなかで解明しようとするものである」(1頁)。こうした問題設定は、①日米安保の庇護の下で冷戦を戦うことを出来るだけさけて経済発展に邁進した、そして②「吉田路線」を継承し定着させた池田政権は「経済中心主義」の外交を展開した、という従来の池田外交象を著者が批判的に捉えていることによるものである。近年様々な論者によって、池田政権が単なる「経済中心主義」には収まらない外交を展開していたことが指摘されており、本書もこうした池田修正主義に則っている。

本論は、「安保闘争」後の池田政権発足を起点に、日米「イコール・パートナーシップ」の形成を描き出すことから始まる。第一章では、「保守支配の貫徹」や「自由主義陣営の一員」といった池田政権のアイデンティティとなる政策や、その背後にある意識の形成を、日米関係の再構築と重ね合わせながら丁寧に検討することによって、池田政権の基本政策が明らかにしている。総裁選後の「新政策」の形成、総選挙、池田=ケネディ会談、日米貿易経済合同委員会の開始といった出来事を包括的に検討しており、日米関係の再始動していく様子がいきいきと描かれている点は印象的である。「経済中心主義」という従来の主張以上に、「政治的」な側面を池田政権が持っていたことがここでは強調される。
続く第二章では、「三本柱」論として知られている、池田政権における日米欧協力体制の模索が検討される。佐藤政権期には首相訪欧は行われず、池田政権の対ヨーロッパ積極姿勢は、OECD加盟という大目標があったことを差し引いても明らかである。「三本柱」論は、池田政権にとって経済的のみならず政治的にも重要な意味を持つものであった。池田訪欧については、いくつかの研究も既に発表されているが、ややアジア冷戦の文脈に引きつけ過ぎている感はあるものの、本章はより包括的に池田政権期の対欧外交の全体像を描き出すことに成功していると言えよう。
第三章は、本書の主張の中心的な主張を形成する重要な章である。ビルマ(ミャンマー)は現在でこそ世界で最も経済的に困窮し政治的に孤立している国であるが、1960年代初頭は将来の発展が嘱望されていた。また戦略的にも、ビルマに対する米英の影響力が限られている中での中国の接近といった事情があり、日本政府はビルマ情勢に強い関心を持つようになった。かくして、「池田政権期の日本は、ビルマの左傾化を食い止め、あわよくばビルマを自由主義陣営に引き寄せることを、東南アジア反共政策の核に据える」ことになったと本書は分析する。そして、日本は賠償問題の再交渉や、経済協力の実施を手段としてビルマへの関与を強めていったのである。ビルマの重要性は、波多野澄雄・佐藤晋『現代日本の東南アジア政策』(早稲田大学出版部、2007年)でも指摘されているが、本章は池田政権期における対ビルマ政策の全体像を、冷戦の文脈に引きつけつつ、より詳細に明らかにしている。
そして第四章では「東南アジア反共外交の停頓」として、緊迫するインドネシア=マレーシア紛争や、ベトナム問題に対する日本外交を検討している。厳しさが増すアジア情勢の中での、アメリカからの「負担分担」要求や、マレーシア問題やベトナム情勢に日本は結局のところ積極的な姿勢を示すことは出来なかったのであった。

以上の本論を踏まえて、本書は「池田政権期の日本は、米欧と並びたつ「三本柱」の一翼を担う「自由主義陣営の有力な一員」として、アジアにおける共産主義との戦いで応分の役割を果たすという、新たな日本外交の座標軸を定めた。そして実際に、池田政権期の日本は欧米との連携を強め、東南アジアで反共政策を展開し、「自由主義陣営の有力な一員」という座標に向かって歩き始めたのであった」(251頁)と結論づける。
その上で、同時に池田政権期の日本外交の抱えていた限界、すなわち「ビルマを重点地域と位置付け、日米欧が協力してアジアにおける共産主義の拡大を食い止めるという点では、満足しうる成果を挙げることはできなかった」(254頁)ことを指摘しつつも、その「自由主義陣営としての有力な一員」という座標軸は、その後の各政権にも看過しえない影響を及ぼしたと著者は評価する。

<若干のコメント>

以上のように本書は、池田政権期の日本外交を包括的に検討している。従来の研究が日米関係やアジアとの関係、さらには安全保障問題と経済問題をそれぞれ論じる傾向が強かったのに対して、本書が内外の一次資料を詳細に検討し、池田政権期の日本外交の全体像を研究書として初めて提示した点は高く評価されるべきだろう。また、首相や外相の外国訪問などは、対処方針立案や訪問に至る過程、実際の会談、さらにはその評価などがそれぞれ丁寧に叙述されている点も本書が優れている点である。加えて、必ずしも自らの議論に都合が良くない部分も含めて丁寧に叙述されており、この点は本書の叙述に信頼感を与えている。

とはいえ、こうした本書の優れている点が、皮肉にもそのまま本書の中心的な主張の説得力を失わせていると言えるのかもしれない。既に紹介したように、本書の中心的な主張は、池田政権期の日本が米欧と並び立つ「三本柱」を構成する「自由主義陣営の有力な一員」としてアジアの冷戦で応分の役割を担うという座標軸を定め、それがその後の各政権へも道筋を定めたというものである。
しかしながら、本書の叙述を丁寧に読んでいけばいくほど、果たして池田政権期の日本外交が、(そうしたレトリックはあったとしても)どれだけ実際にアジア冷戦でその役割を果たしたのか疑問を持たざるを得ない。第三章で対ビルマ外交が、そして第四章ではインドネシア=マレーシア紛争とベトナムが検討されているが、その全てにおいて日本の「反共外交」の試みは中途半端なものであり、結果が付いてくることはなかった。
また、それぞれの局面においても日本が及び腰だったことは本書の叙述からも読みとることが出来る。例えば、1962年12月の日米貿易経済合同委員会で、日本がアメリカに対ビルマ支援への意欲を強調した際に、ラスク国務長官が日本のビルマ政策を歓迎し、さらに日本がフィリピン・マラヤ・タイ・ビルマ・カンボジアなどから構成される地域機構の「パトロン」になることを提案すると、日本はビルマ政府がフィリピンやタイといった自由主義陣営諸国を信用していないとして、その提案をやんわりと拒否したのである(156-157頁)。こうした日本の姿勢は、はたして「自由主義諸国の有力な一員」だったのであろうか。むしろ、日本の姿勢は冷戦の論理よりも地域の安定を目指すという志向が強かったと言えるのではないだろうか。

こうした点を考慮すると、本書が真に対立する研究は、高坂正堯や萩原延壽らの評論的な論考ではないのではないだろうか。宮城大蔵が『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書、2008年)等で指摘しているように日本外交は、確かにアメリカの冷戦戦略と重なる部分はあったのだろう。しかし、その手段は大きく異なるものであったのであるし、前述のようにアメリカがさらなる経済援助を促すと日本は渋ってきたのである。そうであるならば、戦後日本がアジアで果たした役割は、「冷戦」の文脈ではなく、「脱植民地化から開発へ」という文脈ではないのだろうか。
また、そもそも軍事力の裏付けなき冷戦政策を取る日本外交が、著者の言う「自由主義陣営の有力な一員」であると言うならば、軍事的な介入や援助を厭わない他国はどのように評価されるのであろうか。この点については、中島信吾『戦後日本の防衛政策』(慶應義塾大学出版会、2006年)の議論と合わせて検討する必要があるのだろう。
さらに、鈴木宏尚「池田外交の構図」『国際政治』(第151号、2008年3月)の議論とも本書は対立する。確かに「池田外交の構図」は本書で整理されているように(1頁)、池田政権の外交を「経済力を梃子とした国際的地位の向上」を目指すものと評価しているとも読むことが出来る。しかしながら、「池田外交の構図」では、同時にそうした池田政権の外交は、「国際冷戦と国内冷戦」へ同時に対処する最適解であったとも指摘しており、その点は本書の議論に修正を迫るものではないだろうか。

もっとも、以上のような疑問を感じるのは、本書がその議論を明確に打ち出すと共に、一次資料を丁寧に検討しているからこそである。池田政権期の日本外交を考える出発点として、本書がまず読まれるべき研究であることは間違いないだろう。本書をめぐって今後展開されるであろう様々な論争がどのような展開を見せるのか、今から楽しみである。

at 23:59│Comments(1)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by 名無しのリーク   2016年08月07日 10:17
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の重傷を負わせた犯罪企業

コメントする

名前
URL
 
  絵文字