2009年06月19日

今週の授業(6月第3週)

この数ヶ月は新刊ラッシュが続いているようで、自分の研究をやっているとなかなか読書が追い付きません。こんな本買いました、とブログに書いてもあまり意味がないのですが、自分に読む圧力をかけるためと、備忘録代わりに書いておくことにします。

それにしても↓の二冊のような大作が、机の上にどーんと置いてあると嬉しい悲鳴が上がってしまいます。

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楠綾子先生の『吉田茂と安全保障政策の形成 日米の構想とその相互作用1943~1952年』(ミネルヴァ書房)は、戦中から占領期の日米安全保障関係を検討した決定版になり得る研究書となるのではないでしょうか。ただ全388頁かつ二段組という大作で、その細かさと徹底した史料調査に読みだすのを躊躇してしまうほどです。博士論文ベースの戦後日本外交史の研究書がまた一冊増えたことは喜ばしいことですが、こう続々と研究書が刊行されるとやや焦りの気持ちが湧いてくることは否めません。

先週末にあった某研究会でも話題になったことですが、細かく歴史的事実を明らかにしていくことそのものよりも、その事実を明らかにすることによって何が分かるのか、ということがより重要だと個人的には考えています。言いかえれば、ただ歴史を叙述するだけではなく、その叙述を通していかなる日本外交論、国際政治論を展開するかが研究者の腕の見せ所なのではないでしょうか。

明石欽司先生の新著『ウェストファリア条約 その実像と神話』(慶應義塾大学出版会)は、内外を問わずウェストファリア条約研究の決定版と言いうる研究だと思います。国際法史研究としてだけでなく、便利な枕詞として用いられる「ウェストファリア体制」という言葉をいかに考えるべきか、そもそもウェストファリア条約とは何か、古典外交はいかに形作られたのかといった国際政治学的な関心からも、また西洋史(ドイツ国制史)の観点からも、この本は様々な読み方が可能だと思います。この本の基になった論考の大半は読んでいるのですが、刊行を機にじっくり読んでウェストファリア条約について考えることにしたいと思います。が、全624頁というのは、これまたしんどい厚さです。

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『コンスタンの思想世界 アンビヴァレンスのなかの自由・政治・完成可能性』(創文社)は自分の専門とは全く関係ないので、半分以上趣味の領域ですが、刊行が楽しみだった一冊です。堤林先生には、学部一年時以来、サークル・授業等でお世話になってきたこともあって、勝手に親しみを感じて刊行された論文には目を通してきました。それら個々の論文が一冊の研究書として、まとめられた時にどういったものになるのか、読む前から楽しみです。もっとも、自分の専門分野を優先しないといけないので、この本をじっくり読むのは夏休みになってからになりそうです。

さて、上記三冊の他にもまだまだ新刊ラッシュは続いています。未刊ですが、戦後日本外交関係では、井上寿一先生の新著『吉田茂と昭和史』(講談社現代新書)が、また新聞記者の方がインタビューと一次資料を基に書かれた『「共犯」の同盟史 日米密約と自民党政権』(岩波書店)という本も出るようです。

他にも翻訳物では、酷評していた某日本外交論の翻訳が日本経済新聞社から4月に出ましたし、岩波書店の「ヨーロッパ史入門」の一冊として、ドックリル&ホプキンスの『冷戦 1945-1991』が出るようです。



と、読んでいない本の話ばかりをしていても仕方がないだろうということで、今週の授業の話ですが、これもまた他愛も無い感想を垂れ流しても仕方がないような気もします……。まあ、見ている人がそれなりにいるようなので、何らかの役には立つのでしょう。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊研究

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今週は、Andrew Linklater, “Chapter 31 Globalization and the Transformation of Political Community”がテキストでした。

通常の国際政治学では、前提とされることが多い「国家」に代表される政治共同体の変容がテーマのこの章は、メタ国際政治学のような趣がありました。議論自体はそれほど難しいものではないですが、一冊の本になるような(実際リンクレイター自身が本にしているのですが)テーマをコンパクトにまとめてあるため、文脈がよく分からない部分が散見される章でした。その点は面白い議論を展開しているだけに残念でしたが、個人的にはこれまでの章があまりにひどかった分、楽しく読むことが出来ました。

また、これまで読んできた章がグローバリゼーションの「統合」の側面ばかりを強調していたのに対して、この章はグローバリゼーションに伴う「分裂」の側面も併せて取り上げているので、全体としてのバランスが担保されていたように思います。

授業が終わりに近付いてきてからようやく気が付いたのですが、この本は全体としてテキスト以上にコンテキストに問題がある章が多いようです。おそらく、発表者がコンテキストを理解しようとしてテキストを読んでいないように思える時に、先生は発表者に厳しいコメントを発しているようです。自分の場合は、学部以来先生にお世話になっているので、そういった意識は身体に浸み込んでいるいるのですが、そうではない院生にとってはなぜ先生が厳しい問いかけをするのかがよく伝わらないのかもしれません。

5限:プロジェクト科目(安全保障研究)

今週は、ゲストは無しで先生自身がお話しされました。テーマは、「核兵器と朝鮮戦争 トルーマンとスターリン」、テキストは「核兵器と朝鮮戦争 予防戦争と自己抑制の間」赤木完爾・編『朝鮮戦争 休戦後50周年の検証・半島の内と外から』(慶應義塾大学出版会、2003年)と「朝鮮戦争と核兵器」慶應義塾大学法学部・編『慶應の政治学 国際政治』(慶應義塾大学出版会、2008年)でした。

前回に続いて核兵器の話かつ時代もそのすぐ後、ということですんなりこのテーマに入っていけました。20世紀半ば以降の国際政治、中でも力の体系としての国際政治を考える上で、核兵器の問題は外すことが出来ません。なかでも朝鮮戦争期が興味深いのは、本格的な核時代到来以前であり、核保有量については実質的にアメリカがほぼ独占状態であったことです。ある意味では、核兵器使用の「蓋然性」はキューバ危機時以上に高かったと言うことも可能でしょう。

その朝鮮戦争時代に核兵器をめぐってアメリカはどのような戦略・政策を採ったのかという点を、「対ソ予防戦争」という補助線を引くことに明らかにすることが二つの論考に共通する旋律です。もっとも、先生自身がおっしゃっていたように、核兵器が使用「されなかった」ことを説明することは難しい課題であり、いつまで経っても決定的な答えは出せないという側面はあるのかもしれません。細かい内容は基本的に上記二つのテキストの通りなので割愛しますが、先生がトルーマン政権とアイゼンハワー政権の間の断絶を強調していたことが印象的でした。

自分の専門の関係もあり、ついつい国際政治を考える上で軍事的な話よりも政治外交的ないしは経済的な視点に偏りがちなだけに、こういった話を聞いてしっかりと考える機会があるのは貴重なことです。軍事・政治外交・経済、これらが相互に関連しつつ現実の国際政治は展開しているわけであり、今回の話をより広い文脈の中に置いた時にどんなことが言えるのかは興味深いポイントです。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

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今週は瀬戸一夫先生による「時間の思想史」という講演でした。基本的には↑の本の概要をコンパクトにまとめつつお話し頂いたと言っていいのだと思います。本ではより多様な問題関心に沿った議論が展開されていますが、講演ではそのエッセンスとなる部分と背景説明が中心でした。具体的には、イングランド叙任権闘争を舞台とした神学者アンセルムスの思想を、同時代の政治史と時制論理という切り口を重ね合わせて描き出す、といったところでしょうか。

本は緒論と結論しか目を通していないのであまり偉そうなことは言えませんが、質疑応答で問題になった点は、緒論を読んで感じた疑問と繋がる点であり、次週の討論でどういった議論になるのかが楽しみです。個人的には、時間・過去・今・未来・改変といった様々なキーワードに関する定義や、哲学的な意味付けがやや弱く、そこにいくつか出た質問に共通する根っこのようなモノが潜んでいるような気がしました。

at 12:29│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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