2009年06月13日

今週の授業(6月第2週)

あたふたと授業の発表をこなしている内に、いつの間にか26歳になり、そして日本代表のW杯出場が決まり、と一週間が過ぎてしまいました。

W杯出場決定といっても、何となく盛り上がりがかけるのは同世代に共通するもののようです。あのジョホールバルの時と同じような盛り上がりは、やはり初出場が決まったことによるのでしょうか。

個人的にサッカーのW杯出場以上に盛り上がったのは、先週末の安田記念です。ウォッカのラスト1ハロン、苦しい位置に閉じ込められながら自らコースをこじ開けてのあの脚は、テイエムペラオーの有馬記念を彷彿させる、有無を言わさない強さを感じさせるものでした。ダイワスカーレットというライバルがいなくなってしまったのが非常に残念です。

さて、授業も発表が全て終わり、小銭稼ぎのアルバイトもひと段落つき、ようやく本腰を入れて研究に入ることが出来るようになった昨日、今の自分にとっては最大級に嬉しい知らせが届きました。これでようやく研究者としての第一歩を歩み出せるといったところでしょうか。正直ひと安心という気持ちはありますが、ここで緩まずに次の研究に取り組んでいこうと思います。



<水曜日>

2限:国際政治論特殊研究

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今週は、Ngaire Woods, “Chapter 14 International Political Economy in an Age of Globalization”がテキスト。

発表担当だったのですが、この章の出来がまた良くなかったので辟易としました。バランスが悪く、ところどころ紹介している議論が間違っていて(国家の強さの話など)、さらにこれといった主張が無いというのはこれが教科書であってもあまりにひどいと言わざるを得ません。「この章を読ませたのは失敗です」と先生が言っていました(笑)。先生がこの分野の専門であり、自分もこの章が専門に近いのでやや辛いという面もあるのかもしれませんが、……大丈夫かオックスフォードと突っ込みたくなります。ダメだダメだと言ってばかりいては始まらないので、適宜議論を補いながら発表してみました。

と、こんな感じでテキストに最近文句ばかり言っているのですが、来週はリンクレイター、再来週はイアン・クラークが、それぞれ自分の著書のエッセンスをまとめている感じの章なので、このストレスからもようやく解放されそうです。

6限:プロジェクト科目(安全保障研究)

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今週は、授業が東アジア研究所の研究会と重ねられたということもあり、6限に行われました。ゲストは、↑の著者のジャック・ハイマンズ、テーマは「Britain and Hiroshima」(日本への原爆投下とイギリス)でした。

ようやく安全保障研究らしい話を今回聞くことが出来たのですが、授業の趣旨を考えると何となく変な気もします。アメリカの政治学者には珍しくといっていいのだと思いますが、今回の話は完全に外交史といっていいものでした。日本への原爆投下については、麻田貞雄先生がこれでもかというほど詳細な論争のまとめ(「『原爆外交説』批判 “神話”とタブーを超えて(1949-2009年)」『同志社法学』第60巻第6号、2009年1月)をされているので多少知ってはいるのですが、そこにイギリスがどのように絡んだのかについてはほぼ知らなかったので、とても勉強になりました。

質問も色々と出ていたので面白かったのですが、個人的には結局アメリカの決定にはあまり影響力がなかったというイギリスの原爆投下への姿勢を分析することによって何が見えてくるのかといったことや、これまでのご自身の研究との関係でどのような知見があるのかといったことが気になったのですが、質問するタイミングを逃してしまいました。一点目は、リサーチ・デザインの上では重要なことなのですが、原爆投下のように事例が一つ(広島・長崎を分ければ二つ)しかないような事例の場合は、それを細かく見ていくだけでも面白さがあるのかもしれません。

報告内容は、今年中にJournal of Strategic Studiesに掲載されるそうです。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

先週の報告「ネオリベラルな統治と生政治」を受けての討論、今回は発表担当でした。

私自身は批判的国際関係論に与しているわけではないのですが、土佐先生の著作はこれまでも愛読し、批判的国際関係論者一般とは異なるバランス感覚や、現実感覚に惹きつけられてきたので、授業でどのような議論を行うべきか色々と迷いました。

結局は、内在的に研究関心や分析の視角を検討し、その問題点を指摘した上で、無理矢理自分のフィールドに近いところに議論を引きつけてみる、といった発表になってしまいました。

ちなみに先週の報告は、統治技術としてのリベラリズムの問題→その現れとしてのグローバル・ベンチマーキング・システム→例外状態に置かれたローカル・ガヴァナンスの一例としてのイスラエル/パレスチナ、といった流れでした(ほぼ、「グローバルな統治性」芹沢一也、高桑和巳・編『フーコーの後で』慶應義塾大学出版会、2007年、と重なっています)。前半ではフーコーの議論、後半ではアガンベンの議論をそれぞれ引きながら論じており、そこに有機的な連関があまり無いような気もしたのですが、それを指摘するだけでは面白くないなと思い、結局発表では後半部分を重点的に取り上げることにしました。

というわけで、大きな流れとしては、土佐先生の研究関心や問題意識を著書やHPに書かれていることを用いて概観し、その上で批判的国際関係論の理想主義(idealism)とは異なる意義、国際政治と世界政治の違いをそれぞれ指摘し、さらにジェームズ・メイヨール『世界政治』の議論(プルラリスト/ソリダリスト)に引きつけて土佐先生の議論に潜む危険性を指摘するという形を取りました。

が、共感する部分がそれなりに多い議論をあえて批判的に論じてしまったために、いまいちまとまりにかけていたように自分で思いますし、おそらくより意義があった前半部分ではなく後半部分を取り上げたことも問題があったように思います。

at 11:56│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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