2009年05月29日

今週の授業(5月第5週)

諸事情により時間が空いたので、今週の授業について更新。

でもその前に気になる新刊を簡単に紹介しておきます。全てまだ入手していない本を挙げるというのもどうかと思いますが、多分どの本ももう一度ここに書くことになるのと思います。

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一冊目は、吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦 戦後日本外交の座標軸1960-1964』(岩波書店)。自分の専門分野である戦後日本外交史に、また一冊博士論文を基にした本格的な研究書が加わりました。出荷日が26日ということなので、そろそろ書店にも並ぶ頃だと思うのですが、今日確認したところまだ大学生協には届いていませんでした。

池田政権については、とかく「経済中心主義」というイメージがつきまといますが、この10年の間に発表された研究はそうしたイメージを変えるものが多いのではないでしょうか。日米関係、日中関係、対東南アジア外交、対「自由陣営」外交等々、実に様々な領域の研究が蓄積され、単純な「経済中心主義」という見方では、もはや池田政権期の外交を語ることは出来ません。

吉次先生がこれまで書かれてきた論考は、日米関係や対東南アジア外交に関するものでしたが、これが一冊の本としてまとめられた時に、どのような全体像を描き出しているのか、今から読むのが楽しみです。

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次に紹介したいのが上に並べた二冊、佐藤誠三郎『「死の跳躍」を超えて 西洋の衝撃と日本』(千倉書房)と矢野暢『「南進」の系譜 日本の南洋史観』(千倉書房)です。題名を見れば分かるように、ある程度戦前の日本に関心がある方であればどなたも御存じであろう二つの名著が復刊されました。どちらも名著ながら、手に入らない時期が長かったものなので、こうした復刊され、より多くの方の目に入るのは素晴らしいことです。長く読み継がれるべき本をこうして再刊することは、一見すると労多くして得るものが少ない作業のように思えるかもしれませんが、こうした仕事は後々評価されることになるのではないでしょうか。

こう並べてみると、よく似た装丁だと分かると思いますが、どうやら同じ編集者の方が担当されたようです。復刊の過程で、とりわけ『「死の跳躍」を超えて』の方は旧版(都市出版)にあった多くのミスが修正されているようですし、どちらも弟子筋にあたる先生方の序文や解題が付せられているなど、旧版を持っている方でも「買い」だと思います。

この二冊についても、入手して再読してから、内容等を含めた紹介をするつもりです。



さて、授業の話。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊研究

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今週は、Michael Barnett, “Chapter 9 Social Constructivism”がテキストでした。

率直に言ってこの章でのコンストラクティヴィズムの説明はかなり問題があります。クリスティアン・ルス=シュミットのように、分析レベル(分析対象?)でコンストラクティヴィズムを、三つに分類するような見方が正しいかどうかは別にしても、そうした分類を一切無視し、さらにコンストラクティヴィズムが一気に広まった背景にもほとんど触れていないのでは、何が言いたいのかよく分かりません。その点では、10年近く前のものではありますが、石田淳先生の「コンストラクティヴィズムの存在論とその分析射程」『国際政治』124号(2000年)の方が、コンストラクティヴィズムのイメージや登場の背景を理解するのには適しているように思います。

ところで、日本でコンストラクティヴィズムが人口に膾炙し学部生でもその言葉を普通に口にするようになったのは、この5、6年のことだと思いますが、なぜこれだけ流行っているのかが自分にはいまいち理解出来ません。というのも、日本ではコンストラクティヴィズムが広まった重要な背景にあるラショナリズムの覇権という状況はおそらく生まれなかったでしょうし、また冷戦終結に関して国際政治理論が無力だったというような議論もそれほど強く議論されなかったように思うからです(それ以前の問題として冷戦理解も日本とアメリカでは大きく違うわけです)。

そんなことを思うと同時に、この授業を受けていて、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズムという形で、存在論や分析対象、分析レベルが異なるものを代表的な三つの「理論」と並べて教えることに若干無理があるように感じてきました。これは全然考えがまとまっていないので、あくまで感想というか感覚でしかありませんが…。

5限:プロジェクト科目(安全保障研究)

防衛研究所の庄司潤一郎先生がゲストで、テーマは「現代東アジアにおける歴史と記憶をめぐる諸問題」でした。

なぜ、戦後60年が経過した今、東アジアで歴史認識論争が起こっているのか? そして歴史認識の共有は可能なのか? という問いかけから始まって、?「記憶」の諸類型と歴史学、?戦争をめぐる歴史認識、?なぜ今なのか、?なぜ東アジアでこれだけ問題になっているのか、といった様々な問題が実にコンパクトかつバランス良くまとめられていたのが印象的でした。課題に指定されていたのは、雑誌論文をメインとする歴史認識問題に関するいくつかの論争や分析でしたが、そのどれよりもバランス良く歴史認識問題に目配りしていたと言っていいと思います。

課題文献を読み授業を受けての感想として若干ショックだったことは、なかなかこの問題について前向きな展望が持てないということです。そこに「歴史」問題とは異なる「歴史認識」問題の難しさがあるのではないでしょうか。歴史家ではない「素人」の歴史認識問題への参画、政治を中心とした様々な「外部」の影響等々は、この問題をいかに収集させるかという展望をますます描きにくくさせています。

「安全保障研究」という授業の題目にはあまりあっていない話なのかもしれませんが、色々と考えさせられた講演でした。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

前回の授業を受けての討論でしたが、案の定、担当の先輩・後輩がかなり厳しいコメントを展開していました。発表者の報告が非常によくまとまっていたので、それを踏まえて議論の内容をまとめることはそれほど難しくはないのですが、ここにその全てを書くことはあまり適切ではないような気もするので割愛します。政治と宗教の問題は、こうした開かれた場所でうまく論じるのがなかなか難しい問題なのかもしれません。

政治と宗教の問題とは関係なく授業で問題になったのは、引用するテキストの使い方です。具体的には、報告した先生のアーレント理解やアガンベン理解が問題になったのですが、ここは素人の私ですら疑問を先週感じた部分です。都合よくテキストを持ってきても、やはりコンテキストを無視してしまうと、こうした厳しい批判に晒されるのだという怖さを実感しました。

at 14:05│Comments(3)ゼミ&大学院授業 

この記事へのコメント

1. Posted by りんむー   2009年05月29日 23:57
僕はやっぱり経済中心主義だったんだと思っているけどね。むろんいかなる経済中心主義だったかは詰める必要はあるのだが。
2. Posted by 管理人   2009年06月01日 09:29
ウェスタッドの翻訳が出るんですか!
上にも書いたように「単純な」という経済中心主義では最早語れないことは間違いないと思うんですよ。りんむーさんがどんな池田外交論が展開されるのか楽しみにしてます。
3. Posted by りんむー   2009年06月01日 21:49
僕のはいつも話してること以上でも以下でもないですよ。

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