2009年05月21日

先週の授業(5月第3週)+GW中の授業

先週の授業どころか、今週の授業ももう終わろうとしているのですが、せっかくの習慣なので書いておくことにします。それにしても、このブログというのは書くことが習慣になっている時はサクサクと書けるにもかかわらず、あまり書かなくなると途端に面倒になってくるものだと最近実感しています。



授業の話の前に、久しぶりに新聞書評の紹介。

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師匠の訳書↑の書評が先週末に「朝日新聞」(リンク)と「読売新聞」(リンク)の書評欄に掲載されました。どちらも短い文章ですが、この本のエッセンスをうまく伝えているいい書評だと思います。文章の長さの関係もあるのかもしれませんが、「朝日新聞」の久保先生の書評の方がよりこの本の良さを伝えているような気もします。

爆発的に売れる類の本ではないですが、長く読み継がれるためにも、新聞書評で取り上げられたのはいいことなのではないでしょうか。ちなみに、『世界政治』については、在外研究中の細谷先生が刊行直後にブログに書かれていました(リンク)。



まずは、4月第5週/5月第1週。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

前週の木曜日が開校記念日で休みだったため、前々週の講演(「Civility論」≠初期近代ブリテンにおける「作法」の政治学)を受けてのディスカッションがありました。

やはりという気がしましたが、ディスカッションの際に問題になったのは、議論の中で「作法(civility)」と「共和主義」を対立図式に置かれていることでした。確かに論考の中での定義を見る限りでは、この二つは対立図式として考えることも出来ないわけではないですが、討論者の後輩が指摘していたように、先生の定義する「共和主義」はかなり狭く定義されており、ハリントンやキケロなどを考えてみるとかなり議論が難しくなるように思います。

また、国内政治や国際政治を全く分けずに論じている点や、日本とのアナロジーの問題なども議論になりました。これまで忘れ去られてきた言説を発掘するという意義は重要であり、それこそが先生の意図がとも思うわけですが、やはり忘れ去られたことには忘れ去られるだけの意味はあるわけなので、そうした点をどのように考えるかも残された課題ではないでしょうか。個人的な印象でしかありませんが、もう少し隣接する議論との関係を整理・検討する必要があるのではないかと感じました。



5月第2週の土曜日にも、政治思想のプロジェクト科目があったのですが、これは先週分の所でまとめて書くことにします。



で、先週の授業。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊研究

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Steven L. Lamy, "Chapter7 Contemporary mainstream approaches: neo-realism and neo-liberalism" が範囲でした。

ネオリアリズムとネオリベラルは、コンストラクティヴィズムとの対比でラショナリズムとして括られることもありますが、そうした括りからも分かるように議論の基本的なポイントは実に分かりやすく出来ています。授業を通して再確認したのもこのポイントです。

実は昨日の授業でも感じたことなのですが、このテキストの理論の概説はあまり出来が良くないようです。部分で議論にねじれが生じていたり、詰めが甘い部分が散見されます。その点は授業でも話題に上がり、ネオリベラルの文脈で説明したレジームの定義が、実はコンスト的なのではないか、といった指摘が出ていました。教科書がこれいいのか、と思わないわけではないですが、自分一人で新しい分野を勉強するのではなく、復習的な意味もあって出ている授業なので、テキストに書かれているおかしい部分を逐一チェックする方が自分にとっての目的には合致しているのかもしれません。

授業でもう一点面白かったのは、ある後輩がペーパーに書いていた、ネオリアリズムの存在論(ontology)は必ずしもミクロ経済学の類推による合理的仮定にのみあるわけではなく、進化生物学(evolutionary biology)と考えることも出来るのではないか、という議論です。後輩が紹介していた様々な議論は、テキストの対象であるいわゆるネオリアリズムの議論というよりは、その一歩先を行く新しいリアリズムに関する議論だったので、このテキストに関する批判としてはずれている気もしますが、リアリズムの進化(?)の一つの方向性を考える上では面白かったです。

5限:プロジェクト科目(安全保障研究)

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前回に続いて防衛研究所の先生がゲストでした。日本海軍に関する名著として名高い池田清『海軍と日本』(中公新書、1981年)の第2部「海軍と政治」がメインテキストとして指定されていましたが、実際にはサブテキストの一つに挙げられていたゲストの先生の著作『海軍の選択 再考 真珠湾への道』(中公叢書、2002年)に従って授業は進められました。

『海軍と日本』は高校3年以来、ほぼ8年ぶり、『海軍の選択』は2年ぶりに読みました。

『海軍の選択』は、従来定説として語られてきた「艦隊派」と「条約派」の対立構図に疑問を投げかけ、また「条約派」とまとめられる人々も、軍縮条約に強い不満を持っていた点を見事に明らかにするとともに、山本五十六や米内光政らの「真珠湾への道」で果たした役割、海軍全体の海南島への執着といった問題を厳しく指摘するなど、全編に渡って「海軍=対米戦争に反対」という従来の一般的なイメージを覆す議論を展開しています。

一般的な海軍評価を念頭に置いた時に、『海軍の選択』は例外的に海軍に厳しい評価を下す、修正主義的な議論の代表的なものと言えるでしょう。研究分野に関係なく、修正主義的な研究は一つの問題を抱えていると思います。それは従来のテーゼのアンチテーゼとして研究が行われることであり、ジンテーゼへと止揚させる契機があまり強くないことです。こうした修正主義にまつわる問題は、今回の授業からも感じたことです。この点については、今週の授業を紹介する時にまた少し書くことします。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

5月9日(土)の講演(田村哲樹「ベーシック・インカム、自律、政治的実行可能性」)を受けてのディスカッションでした。田村先生は、『熟議の理由』(勁草書房、2008年)にまとめられた熟議デモクラシー論とともに、近年ベーシック・インカム論についても積極的に論考を発表されている方です。が、個人的にベーシック・インカム論の意義がどうしても分からず、講演・ディスカッションともに消化不良というかモヤモヤした気持ちと違和感が強く残りました。

色々と書きたいことはあるのですが、あまり生産的な気もしないので、一つだけ。「ベーシック・インカム」も「熟議デモクラシー」も、それぞれ大いに議論の余地があるものです。その二つを繋げるのであれば、なぜ繋げなければならないのか、なぜ繋がるのかといったことを明らかにする必要があるのではないでしょうか。

at 13:55│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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