多忙で候。ようやく。

2009年03月14日

『創文』。

相変わらず労働に追われる毎日を送っています。

本業である研究や、それに関係する勉強時間はそれなりに確保するようにしているのですが、映画を観たりする時間をまとまって取ることがなかなか出来ないことにストレスが溜まります。この三月中旬を乗り切れば、何とか自分の時間を確保することが出来そうなので、それを励みに頑張ろうと思います。

そんなわけで、この1ヶ月半ほどは、寝る前に漫画を読むくらいしか趣味に使っていません。『ドラゴンボール』、『寄生獣』、『20世紀少年』&『21世紀少年』、『天才ファミリー・カンパニー』を読み終えたので、次は何にしようかなと本棚を眺めるのは楽しいのですが……。



この数日は次回読書会に向けて、アラン・ミルワードの本を読んでいるのでいます。最初の章は面白いのですが、肝心の中身は経済史出身の著者らしく異常に細かいのにやや辟易としています。某後輩のセリフではないですが、「ベルギーの石炭の話とかどうでもいい」と思ってしまうのは、政治学徒には致し方ないのかもしれません。

サブテキストには、Journal of Cold War Studiesに載ったモラヴチックの論文が指定されているので、そのコピーを先ほど図書館に取りにいったついでにチェックしたところ、『創文』2009年1・2月号に面白い小論が載っているのを見つけました。

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「今月号は、巻頭に宮城大蔵・川嶋周一の各先生、そして、「特集1・美学研究の現在(西村清和・小林信之・杉山卓史の各先生)」、「特集2・架橋する思想(早川誠・鏑木政彦・森川輝一の各先生)」を含めて盛りだくさんの内容に、「2009年度創文社図書目録」を付けた、合併号としてお届けします」とのことですが、本当に盛り沢山の内容です。特集2は、プロジェクト科目(政治思想研究)にゲストとして来た先生が書いているので、読むのが楽しみですし、他にも「福祉国家の国際比較」「イタリア文書館「お宝探し」の楽しみ」「アラビア語キリスト教の世界」など興味がそそられる題名が並んでいるのにグッときます。

とはいえ、ここで紹介したいのはもちろん巻頭の二つの小論(宮城大蔵「戦後日本と国際環境」、川嶋周一「比較・関係・制度――国家を超える政治構造の歴史をいかに記述するか――」)です。両先生ともに、創文社から博士論文を基にした著書を出版されていることもあり、『創文』誌の常連執筆者ですが、今回の小論はいつも以上に読み手に考えさせる味わい深いものとなっています。

「戦後日本と国際環境」は、これまでの研究でも、諸外国の見方や立場をうまく取り込むことによって立体的な日本像を描き出してきた、宮城先生らしい小論となっています(もっとも、宮城先生の研究は日本外交史というよりは日本も主要国として登場する戦後アジア国際政治史といった方が正確かもしれません)。

題名を見るとかなり大きなテーマを扱っているようにも思いますが、実際に書かれているのは、?1972年9月のヒース英首相訪日、?1970年代の経済大国化した日本、そして?現在台頭しつつある中国についてです。このように並べると、何がどう繋がっているのかよく分からないかもしれません。しかし、小論はいくつかのエピソードやその背後にあるより大きな潮流を踏まえつつ、上記三つのテーマをうまく繋いだ、読者に色々と考えさせるものになっています。

ここで簡単に内容を紹介しようと思ったのですが、いまいちうまくまとめられないので印象的な部分をいくつか引用。

…田中首相の訪中を目前にしたタイミングでのヒース訪日は、日本を自由主義陣営に繋ぎ止める努力が必要だという米英両国のバミューダでの合意に基づいたものなのであった。(2頁)

…1970年代の日本に向けられたこれらの警戒と猜疑の眼差しは、今日からすれば杞憂にすぎず、日本の内情を理解しない見当違いなものであったと見える。しかし高度経済成長を経て世界的な経済大国として復活し、十分な国力を持つに至った日本が、各国が警戒したような独立路線へと向かわなかったのは何故か。これを無意味な質問と退けず、愚直に向き合うとすれば、どのような答えがあり得るであろうか。(3頁)

…しかしながら結局のところ、大国化した日本が、各国が警戒したような独自の方向に踏み出さなかった最大の理由は、単純なようではあるが、日本にとって、その必要が本当に強くは感じられなかったからということに尽きるのであろう。それは換言すれば、戦後日本が、自国を取り巻く国際環境の中で、自らの「安全」と「繁栄」をともに追求し得ると十分に感じることができたということに他ならない。日米安保の下、西側世界の自由市場で経済的繁栄を追求することに、戦後日本は自らの前途を見定めたのである。言い換えれば、それが日本の選んだ戦後世界への「再適応」の形であり、それを可能にしたのが、日本の「再適応」を受けとめる国際環境の存在であった。(4頁)

自分の研究を直撃されてます(爆) 本格的な研究に繋がり得る議論は、着実な実証研究の積み重ねよりも、こうした小論から出来上がる面があるのかもしれません。

宮城先生の小論は自分の専門に関係するものですが、川嶋先生の小論は、読書会の方に関係するテーマを扱っています。ちょうど今読んでいる読書会のメインテキストとサブテキストを、ヴォルフラム・カイザーの言葉を借りて「不毛」とばっさり切っているのを読んだ時には思わず苦笑してしまいました。

「比較・関係・制度――国家を超える政治構造の歴史をいかに記述するか――」という題名を見ただけでは何を取り上げているのかが、よく分からないかもしれませんが、具体的に取り上げているのは川嶋先生の専門であるヨーロッパ統合史です。

ヨーロッパ統合の創設期である1940・50年代から、共同体機構が機能し始めた1960・70年代に、徐々に歴史研究の対象がシフトしていくなかで、どのような研究が可能なのか、ということを問いかけるこの小論については、来週の読書会を踏まえて、また簡単に紹介したいと思います。

「それにしても」と思ってしまうのは、同じ70年代を見据えた小論であるにも関わらず、対象とするのが日本かヨーロッパかということで、ここまでイメージが異なるのかということです。もちろん、二人の先生の研究スタイルの違いはあるでしょうし、問題意識が違うのは当然のことですが、この二つの小論の示す方向性の違いは、パーソナリティの違い以上のものなのではないでしょうか。より広い戦後国際政治史として考えてみれば、この二つの小論は繋がってくるようにも思うのですが、具体的にどうすればいいのかはよく分からないところです。

at 15:15│Comments(0) 日々の戯れ言 

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