2009年02月15日

リチャード・N・ガードナー『国際通貨体制成立史』

水曜日に行った読書会の記録代わりに、メインで取り上げた本を紹介しておきます(※用意した原稿がかなり長いものになってしまったので、分量は半分程度に圧縮してありますので悪しからず)。

昨年の春休みに始めたこの読書会も今回で9回目となりました。この調子で、年10回程度の読書会を継続出来れば、冷戦史研究の古典的な本はほとんど網羅出来るのではないかと思うわけですが、メンバーに留学予定があることもあり、このままの枠組みでどれだけ継続出来るかは微妙なところです。

今回も邦訳がある本を取り上げました。冷戦史研究というわけではありませんが、様々な研究で現在も参照され続けているリチャード・N・ガードナーのSterling-Dollar Diplomacyが今回のメインテキストです。1956年の初版刊行後、1969年、1980年にそれぞれ第二版及び第三版が刊行されているのですが、それぞれ副題や書名が変更され新しく序論が付されているものの、本論の部分には変更は加えられていません。

邦訳(『国際経済体制成立史』東洋経済新報社、1973年)は、1969年に刊行された第二版の全訳ですが、翻訳にやや難ありでところどころ意味が取れない部分があるので、原著で読むことをお勧めします(私の場合、三分の一くらいの部分は邦訳と原著を引き比べて読みました)。

今回は私が発表担当だったのですが、用意した原稿が不十分だったのか提示した疑問点が良くなかったのか、やや議論がかみ合わなかったような気がします。もう少し経済学(経済史)的な観点からこの本の議論やテーマについて考えてみたかったのですが、これは参加者の専門分野の問題もあるのかもしれません。

なお、サブテキストは、①田所昌幸『「アメリカ」を超えたドル 金融グローバリゼーションと通貨外交』(中央公論新社、2001年)序章&第一章、②G. John Ikenberry, "The Political Origins of Bretton Woods," in Michael D. Bordo and Barry Eichengreen, (eds.), A Retrospective on the Bretton Woods System: Lessons for International Monetary Reform (Chicago: University of Chicago Press, 1993) の二つです。



Richard N. Gardner, Sterling-Dollar Diplomacy: Anglo-American Collaboration in the Reconstruction of Multilateral Trade (Oxford: Clarendon Press, 1956)

<はじめに>

第二次世界大戦後の多角的(multilateral)な国際経済体制再建をめぐる英米交渉について、通貨と貿易をめぐる諸問題を中心に様々な角度から検討した本書は、国際経済学・国際機構論・国際政治経済論(IPE)にまたがる重要な研究として、初版の刊行から50年以上を経た現在でも参照され続けている。ブレトン・ウッズ体制の形成についても、英米両国の文書公開の進展に伴い、一次資料に基づいた様々な研究が発表されているが 、それでもなお本書は第一に挙げられる必読文献としての地位を失っていない。研究の価値を測る基準は数多く考えられるが、どれだけ長く読み継がれるか、ということは有力な基準である。その基準に拠れば、本書を、「現代の古典」としての地位を確立した重要な研究と位置づけることに異論は無いだろう。

<概要>

本書のテーマは、第二次世界大戦後の多角的な国際経済体制再建をめぐる英米交渉であり、通貨と貿易をめぐる諸問題を様々な角度から検討している。具体的には、①英米の戦時協力(大西洋憲章、武器貸与法)、②ブレトン・ウッズ会議の成果である国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)の創設、③英米金融協定締結、④国際貿易機構(ITO)憲章の制定及びその「流産」、の四つのテーマを取り上げている。その際、単に英米交渉のみを取り上げるのではなく、それぞれの背後にある世論との関係を併せて分析している点が特徴的である。

結論を含めて16章からなる本書は、四つのパートに分けられており、各パートがそれぞれ先に挙げた四つのテーマに対応している。第一部「多角主義の目的」で取り上げられるのは、英米の戦時協力であり、時期としては1942年2月までを検討している。アメリカでは、対日政策と同様に、第二次大戦後の国際経済秩序についてもその構想が参戦以前から検討されていた。ハル国務長官を中心として、経済的な孤立主義及びナショナリズムと決別し、多角的な貿易体制の再建を目指す動きが、アメリカ政府内で高まっていたのである。
これに対してイギリスでは、アメリカとの緊密な協力の下で多角主義的な体制を再建するべきとの主張を強く支持する人々が存在する一方で、保護貿易制度と英連邦における特恵関税制度維持を主張する右派と国内の経済計画を海外の影響から切り離すべきと考える左派勢力がそれぞれ存在していた。こうした英米の構図は、この後のそれぞれの交渉でも続く基本構図である。
大西洋憲章と武器貸与に関する相互援助協定をめぐる英米交渉は難航したが、それぞれ困難な交渉を経て1941年8月、1942年2月に妥結に至った。結果を見れば、目の前の戦争遂行を優先せざるを得ないイギリスが、留保は付けつつもアメリカの主張する帝国特恵の見直しを受け入れた形となった。

第二部「多角主義へ向けた計画」では、英米協力の第二段階として、多角主義を実現するための具体的な方法をめぐる両国の検討と、ブレトン・ウッズ協定の交渉及び批准をめぐる国内の議論が取り上げられており、時期としては1945年11月までを検討している。
専門的な細かい点や両国の原案(ホワイト案及びケインズ案)の詳細は省略して、ここでは議論の大枠のみをまとめておこう。ここでも、英米の経済的な立場の違いが交渉姿勢や方針に影響を与えた。国際収支の黒字が予想されるアメリカと、戦時中に巨額のポンド残高を抱えることになったイギリスの立場の違いは明らかである。こうした両国の意見の相違を棚上げする形でブレトン・ウッズ協定が調印されたのであるが、両国の解釈及び世論の認識は異なったままであった。こうした形でブレトン・ウッズ交渉がまとめられた結果として、戦後直ちに新たな問題が浮上することになった。それは、戦後過渡期の問題である。

第三部「多角主義への転換」では、1946年7月の英米金融協定(対英借款)成立に至る過程が取り上げられる。第二部までに検討されるのは、戦後に対する長期的な構想であったが、ここでより大きな問題となったのは短期的なそれである。戦時中の負債を抱えるイギリスの国際収支問題処理は、ブレトン・ウッズ協定の前提条件となるものだった。
イギリスがアメリカに対して寛大な措置を求める一方で、一方のアメリカ、とりわけ議会の見方はイギリスのそれとは著しく異なるものだった。借款協定を、多角主義の義務をイギリスに負わせるべきことをリンクさせるというアメリカの姿勢は、交渉を困難なものにし、交渉は経済的要因よりも世論の力で決定されたと著者は評価している。しかし最終的には、新たな要因、すなわち米ソ関係の悪化が借款協定の成立を促すことになった。1946年3月のIMF及び世銀の創立総会にソ連の姿は無かった。冷戦の胎動によって借款協定は、辛うじて成立することになる。

第四部「実践された多角主義」では、少し時計の針を戻し1946年3月のIMF及び世銀の創立総会から1950年末のITOの「流産」に至る過程が検討されている。交渉結果について、相異なる英米案をそれぞれ反映する形でまとめられたITO憲章は、「重すぎる」ものとなったと著者は評価する。こうした1946年を経て、戦後国際政治の転機となる1947年を迎えることになった。
1946年を通じて、英米両国の間には多くの点で意見の相違があったものの、戦後の国際経済秩序にとって多角主義が望ましい目標であるという点では、両国は一致していた。しかし、1947年にヨーロッパ各国が重大な政治・経済危機に陥ったことによって、多角主義を回復する見込みは全くつかなくなってしまったのである。それは、1947年7月のポンドの交換性回復によって決定的となるイギリスの国際収支危機、西欧諸国の貿易赤字の拡大、ITOの「流産」という形を取った。結果的に、西欧の危機は、対ソ戦略としてマーシャル・プランという新たな手段の登場によって回避されることとなったが、それは戦後初期における多角主義追求の放棄という政策転換を伴ったのである。

以上四部からなる議論をふまえ、著者は、多角主義の復活という目標は達成されなかったと、この歴史を結論づける。著者の考える多角主義実現の条件は、①政治的均衡の達成、②経済的均衡の達成、③債権国と債務国が共に適切な対内・対外政策を実施すること、の三点である。しかし、①は冷戦によって、②は戦後過渡期問題の軽視によって、③は債権国と債務国間の調整認識が不足していたことによって、いずれも不十分に終わってしまった。

<評価>

以上のように、本書を終えるにあたり、著者は戦後の多角主義実現に向けた英米交渉にやや辛い評価を与えている。しかし、本書の第二版及び第三版の序論からも分かるように、この評価を著者は修正している。各版の序論は、英米協力の成果と残された課題をバランス良く検討しているが、概して著者の評価は肯定的なものに変化している。とりわけ著者が高く評価していることは、英米交渉がその後の多角主義の進展へと道を開く制度を作り上げた点である。このような著者自身の評価の変遷をどのように考えるかは、我々が本書を考える際に重要な問題であろう。

次に考えたいことは、資料及び本書の分析枠組みである。1956年の時点で執筆された本書が、資料面でその後の研究に及ばないことは当然であるが、同時に1956年の時点で利用しうる各種資料を効果的に用いている点は高く評価されて然るべきである。とりわけ、各協定及び草案の詳細な検討を行うとともに、協定批准に際しての議会での討論、さらにその背後にある世論を新聞・雑誌の論説を分析している点は重要である。
密教的な安全保障政策とは異なり、一般に経済問題は顕教的に議論がオープンに行われる。また、国際機関設立は各国での批准が必要となり、批准にあたっていかに議会を説得するかということは、各国政府にとって最も重要な問題である。国際政治史的な観点から見るとやや詳細に立ち入り過ぎている感はあるものの、本書は、国際経済秩序形成という問題を分析するにあたって適切なアプローチを取っていると評価できるだろう。
もちろん、外交交渉を検討する際の世論の扱い方は注意を要する問題である。取り上げた議論が恣意的に選択されていないことを証明することは困難であるし、印象論的だという批判を免れることも難しい。この点について、本書は、英米の外交交渉、さらには両国の議会における議論を丹念に検討し、どの点が議論のポイントであるかを明らかにした上で世論を検討するという手順を踏んている。こうした手順を踏んだことによって、本書の場合はこの点をうまくクリアしたと評価できるのではないだろうか。

とはいえ、本書の枠組みに問題が無いわけではない。資料的に難しい問題はあったのかもしれないが、第二次大戦後の国際経済秩序形成を考える際には、より冷戦要因を強調する必要があるのではないだろうか。この点は、本書の叙述からも明らかであると思われる。英米金融協定締結の決定打となったのは、米ソ対立が徐々に明らかになってきたことであるし、戦後過渡期の問題を解決したのは冷戦の開始を決定付けるマーシャル・プランであった。
この点については、ギャヴィン(Francis J. Gavin)が本書の後の時代(1958年~71年)を研究する際に、通貨問題と安全保障問題の相互作用に着目している点が示唆的である。

本書は、戦後国際政治史における「最長不倒」を誇る「現代の古典」である。とはいえ、本書の刊行から50年を経た現在の視点から考えれば、より大きな枠組みの中に英米による多角的貿易体制再建の試みとその顛末を位置付ける必要があるのではないだろうか 。

at 18:49│Comments(0)本の話 

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