E・H・カー。田中均『外交の力』

2009年01月19日

先週の授業(1月第3週)

修士論文も博士課程出願も無事に終わりました。

これでひと段落ついたのでしばしゆっくり休んで、といきたいところだったのですが、授業の準備で読まなければならない文献が多かったり、週末に冷戦史の読書会があったりと、だらだらと勉強をしている間に一週間が終わってしまいました。



先々週にも一つ授業はあったのですが、とりあえず先週の授業について備忘録程度に書いておきます。先週の授業をもって修士課程での授業も全て終了…のはずです。もっとも、四月からも、師匠の授業・英語・思想は履修するつもりなので、一週間のスケジュールはそれほど変わることはないのかもしれません。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

今回のテキストは、Raymond Aron, "What is a Theory of International Relations?" Journal of International Relations, Vol.21, No.2 (1967) 。

Journal of International Relationsのこの論文が掲載された号には、アロンの他にもモーゲンソー、ウォルツ、ドイチュ、ヒンズリー、トンプソンなどの諸論考が掲載されています。以前この授業でも取り上げた、Klaus Knorr and James N. Rosenau (eds.), Contending Appraches to International Politics, (Princeton, New Jersey: Princeton University Press, 1969)とともに、ネオリアリズム登場以前における重要な論点を理解するために重要なものではないでしょうか。

この特集号を基にした本の翻訳が『国際関係の理論と現実』(法律文化社、1971年)ですが、残念ながら翻訳はあまり良くありません。といっても、自分がそれよりうまく翻訳する自信がないのが悲しいところです。

閑話休題。この論文では、アロンによる国際政治理論の定義が試みられています。題名とテーマは明快なのですが、その中身は難解な部分が多いのでパッと読んだだけでは理解するのが難しかったです。とりわけ、アロン独特の用語法が多いのが難点です。

授業では、そういったアロン独特の用語法について先生から詳細な解説があったので自分の中で色々なことがストンとうまく落ちたように思います。例えばアロンの言う「歴史」は、我々が通常イメージするそれとは異なり、現在進行形のことも「歴史」の範疇に入ってきます。アロンの国際関係に関する本として最も有名なのは1962年に初版が刊行されたPaix et guerre entre les nationsですが、その中の「歴史」の章で取り上げられるのは第二次大戦後の核抑止の話です。アロンにとっての「歴史学」とは、特定の状況における「特殊性」を析出する作業のようです。

「歴史学」に対置されるのが「社会学」なのですが、アロンにとっての「社会学」もまた通常我々がイメージするそれとは異なります。アロンにとっての「社会学」は、特定の状況の中に見られる「一般性」により着目する議論のようなのです。

「歴史学」と「社会学」はいずれにしても帰納的なアプローチという点で共通していますが、アロンにとっての「理論」はそれとは異なり演繹的なイメージがあります。国際関係の理論であれば、?国際関係のストラクチャーとエージェントの不可分性、?国際関係の無政府性、?国際関係が同質的(homogeneous)か異質的(heterogeneous)か、といった点が重要であり、これを始点に理論を組み立てています。

と、だらだらと書いてみたわけですが、いつも以上にうまくまとめることが出来ません。うまくまとめることが出来ないのはもちろん自分の能力不足によるものですが、アロンの議論の立て方に伴う難しさもあるのだと思います。アロンの議論の立て方に対するオラン・ヤングの痛烈な批判をこの授業でも読みましたが、いまいち自分の中でヤングの議論も消化しきれていません。春休みには、時間を見つけて自分なりに「アロンの国際関係論」を消化したいと思うのですが…。

<木曜日>

2限:Alternative Approaches to Japanese Foreign Policy

最終回ということで、参加者一人一人からコメントや質問をしていくという形式でした。「理論と実践」の問題と共に、半期の授業を通して問題となった「脅威」の問題について先生から皆に質問があり、そこが今回の焦点だったように思います。

前回の授業で、「脅威=能力×意図」という簡単な図式を先生が提示し、「現在の日本にとって脅威はあるの?」という問いが受講者になげかけられました。当然「ある」という風に私は考えているのですが、受講者の多くは先生に「納得」させられたようで、(一般的には最も脅威と言われる)中国や北朝鮮は脅威ではない、と考えるに至ったようです。

この辺りの話は理論以前の問題として、戦後の国際政治をどのように考えるのかという問題に繋がることだと思います。確かに脅威は「能力×意図」で説明が出来るかもしれませんが、ある一国だけを取り出してその国が自国にとって単独で脅威になると考えるのは、アメリカですら同盟なしに安全保障を考えることが出来ない現代の国際政治の状況を無視した議論なのではないでしょうか。先生はそうしたことをもちろん踏まえた上で、あえて論争的に議論を提示したのでしょうが、それに多くが「納得」してしまうのは正直なところとして理解しがたいです。

確かに能力と意図を考えれば、北朝鮮そのものはそれほど大きな脅威ではないのかもしれません。しかし、仮に北朝鮮が崩壊乃至暴発した場合、クリントン政権が検討したように対北朝鮮攻撃が行われた場合など、朝鮮半島情勢が不安定化することは、おそらく日本にとって最も「脅威」となる事態のはずです。こうしたところを踏まえずに、日本の安全保障や外交政策を考えるのには無理があるのではないでしょうか。

ちなみに理論については、多くの受講者が最も魅力に感じたのはコンストラクティヴィズムでした。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

鈍器とも評される大著『思想課題としてのアジア』(岩波書店)の著者として知られる山室信一先生がゲストでした。課題文献は、?『日露戦争の世紀――連鎖視点から見る日本と世界』(岩波新書)、?『[増補版]キメラ――満洲国の肖像』(中公新書)、?「「国民帝国」論の射程」山本有造・編『帝国の研究』(名古屋大学出版会)で、「国民帝国・日本の展開と満洲国―法と空間に関する学知の視角から―」と題して講演が行われました。

本からは、大胆な視角ながら細かく調べる人だという印象を受けていたのですが、講演は細かい話ではなくより大きな構図や視角を重視したもので、先生の議論のエッセンスがよく伝わってきました。自らの全ての研究が、これほどまでに有機的に繋がっている先生も珍しいのではないでしょうか。

改めてじっくりと『思想課題としてのアジア』を読み返したいと思いました。

at 15:33│Comments(0) ゼミ&大学院授業 

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