2009年01月10日

E・H・カー。

昨日、修士論文の製本と出願書類の準備を終えたので、あとは来週の論文及び出願書類提出を残すのみということになりました。来週は授業が三コマありどれも準備が必要ですし、二月末には口頭試問が残っていますので、まだまだ気を緩めることはできませんが、長かった修士三年目もほぼ終わろうとしています。

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それほど休みたいという気にもならないのですが、帰宅してウイスキーを傾けながらゆっくり小説を読む時間と余裕が一時的に出来たのは嬉しいことです。ちなみに今読んでいるのは、先頃文庫化された矢作俊彦『悲劇週間 SEMANA TRAGIA』(文春文庫)です。

外交官である父とともにメキシコで暮らす若き日の堀口大學を主人公にした小説で、かなり長いものなのですが、読みだすと止まりません。インターネットで調べてみたところ、著者インタビューがありました(リンク)。これを読み終えてから来週の準備にかかろうと思います。



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『外交フォーラム』は、学部二年くらいから毎月必ずチェックしています。内容の充実度が月によってかなり違うため毎月買っているわけではありませんが、今月はパッと表紙を見た瞬間に買おうと思いました。特集が「E・H・カー」、第二特集が「2009年日本の外交課題」、さらに特別企画が「アメリカ大統領選挙を読み解く」ということで、いつも以上に盛り沢山の内容です。各特集の執筆者もかなり充実しています。また「書評フォーラム」も、執筆者の先生らしい名書評でした。

特集を読んで感じたことのは、やはりE・H・カーは難しい人物だということです。実に多くの顔を持つカーをいかに捉えるのかは本当に難しい問題です。特集では、イスラムを中心とした国際関係史、国際政治学、ソ連・ロシア研究、日本近代史、イギリス外交史、そしてE・H・カー研究、それぞれの観点からカーの業績や諸研究に関する論考が並んでいます。

この10年ほどの間に日本におけるカーのイメージは変わりつつあることがこの特集からもよく伝わってきました。雑駁な言い方かもしれませんが、国際政治学における現実主義者カー、歴史学における相対主義者カー、という分裂した二つのステレオタイプのみではなくより多角的かつ統合的にカーを捉える動きが共有され始めているように思います。

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特集に執筆されている、遠藤誠治、山中仁美両先生の論文も興味深く面白いものですが、何と言ってもジョナサン・ハスラムによる評伝『誠実という悪徳 E・H・カー1892-1982』が翻訳されたことが大きいと思います。ちなみに『誠実という悪徳』はこのブログでも紹介したことがあります(リンク)。怠惰な私はカーの本はほとんど翻訳されたものしか読んでいませんが、それでもステレオタイプなカーのイメージとは異なる、自分の中のカー理解は徐々に形作られてきました。それでも何かもやもやしたものが残っていた中で、翻訳されたハスラムの評伝を読んで、そのもやもやがようやくクリアになりました。

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特集の中でもいくつか言及されていましたが、カーについては様々な重要な研究があります。歴史学関係では既に邦訳があるものとして『いま歴史とは何か』(ミネルヴァ書房)がありますし、より幅広くカーを取り上げたものとして、マイケル・コックスが編集したE.H.Carr: A Critical Appraisal,(Basingstoke: Palgrave, 2000)があります(後者は一部を読んだだけで、残りが積読になっているのですが…)。

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もう少し手軽に読めるものが、細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房、2005年)です。カーと共に、かつカーを考える上で欠かすことのできないアイザイア・バーリン、オリバー・フランクス、ダフ・クーパー、ハロルド・ニコルソンらを取り上げているこの本は、カーを考える上で様々な示唆を与えてくれます。細谷先生は本特集にも一文を寄せているのですが、何となくそのトーンは『大英帝国の外交官』におけるそれとは異なるような気がします。

そんなこんなで結局本の紹介になってしまいましたが、カーについてもまたじっくり考えたいところです。

at 13:40│Comments(1)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by 名無しのリーク   2016年06月24日 22:15
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の大怪我を負わせた糞ブラック企業

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