2008年11月24日

豊饒なるイギリス外交史(その2)。

相変わらず、三田祭開催中の大学に来ています。

一昨日は、友人に「三田着いた?」と12時過ぎに連絡したところ、「○○[教室名]で今から飲む」とメールが来たため、昼から飲むはめになりました。その後は、ゼミの同期生と後輩のブースに顔を出したり、キャレルに戻ってちょっと勉強をして、再び6時くらいから飲みました。行動力のある友人がいた大学時代は遠出もしたのですが、彼がいないとどうやら輩達は飲むことしか出来ないようです。



前々回のエントリーで、益田実先生の『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策:「世界大国」の将来と地域統合の進展,1945~1957年』を紹介しましたが、今日はその少し後の時代のイギリス外交を扱った研究書『イギリス帝国からヨーロッパ統合へ:戦後イギリス対外政策の転換とEEC加盟申請』を書評形式で紹介しておきます。

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小川浩之『イギリス帝国からヨーロッパ統合へ』(名古屋大学出版会、2008年)

<はじめに>

世界大の帝国を抱えたイギリスは、第二次世界大戦の脱植民地化の流れの中でその帝国を失っていった。サッチャー政権以降、再び英米の「特別な関係」に注目が集まるようになり、イラク戦争は「ブッシュの戦争」であるだけでなく「ブレアの戦争」でもあったと評価する向きもある。しかしながら、実際の英米関係は対等な二国間関係ではない。アメリカにとってイギリスは、あくまで国際社会におけるジュニア・パートナーに過ぎないのだ。
このように近年は、英米の「特別な関係」が再びクローズアップされるようになってきたが、戦後の歴史を紐解けば、世界帝国からヨーロッパの地域大国へと自らの立ち位置を修正していくイギリスの姿が浮かび上がってくる。二度のEEC加盟申請失敗を乗り越えて、イギリスは1973年にEECに加盟し、ヨーロッパ統合に参画していく。周知のようにユーロ参加を見送るなど、その立ち位置は現在も揺れているものの、イギリスはあくまでもヨーロッパの一国である。
「大英帝国」として戦後を迎えたイギリスは、いかにしてヨーロッパ統合への参画へその歩みを進めたのだろうか。

<概要>

本書は、マクミラン政権における第一次EEC加盟申請(1961年)に至る対外政策の再編を、イギリスを中心とする各国・機関の一次資料を用いて中期的観点から分析した国際関係史研究である。
かつての帝国領土の多くを失ったイギリスであるが、旧植民地や自治領との間にコモンウェルスが形成され特恵制度が維持されたことから、依然として「帝国=コモンウェルス」との関係は重要だった。このような認識は、政府関係者の大半に共有されており、それは「三つのサークル・ドクトリン」の採用へ繋がった(ドクトリンの概要は前々回の記事を参照→リンク)。しかしながら、1950年代を通したヨーロッパ統合の順調な進展によって、コモンウェルスとの関係を重視するという、このドクトリンの有効性は徐々に失われていくことになり、ついに1961年には、コモンウェルスとの関係からそれまで忌避されてきた政治統合をも含むヨーロッパ統合への参画、すなわちEECへの加盟申請という政策が選択されることになる。

1961年の第一次EEC加盟申請に至る道のりを、メッシーナ・イニシアティブによってヨーロッパ統合が「再着手」される1955年までさかのぼって本書は検討している。メッシーナ・イニシアティブ後における通商関係の変容を検討する第一部では、①メッシーナ・イニシアティブに対するイギリスの対応、②オーストラリア及びニュージーランドとの貿易協定再交渉が、それぞれ取り上げられている。

続く第二部では、ヨーロッパFTA案とカナダとのFTA案という二つのFTA構想が取り上げられる。「三つのサークル」の間でバランスを見極めつつ提示されたこの二つのFTA構想とその交渉は、イギリス政府が試行錯誤を重ねながら困難な状況に置かれていく様子を明らかにする。西ヨーロッパ規模のFTAを目指したヨーロッパFTA構想は、アメリカの積極的な支持を獲得できず、EEC諸国も当初はEECの深化を優先したために交渉そのものが停滞した。そして1958年に入ってからはEEC諸国側からもいくつかプランが提示されたものの、交渉は行き詰まる。
一方、英加FTAは、カナダの政権交代をきっかけにその交渉が始まったものだったが、結局挫折に終わることになった。この交渉の過程で、イギリス側はヨーロッパ統合への接近以外に選択肢を失いつつあり、カナダ側もアメリカとの非対称にならざるをえない相互依存に深く組み込まれているという現実が浮き彫りにされた。

第三部では、まずイギリスがEEC六ヶ国(インナー六)の外側に位置する七ヶ国(アウター七)で新たなFTA(EFTA)形成を目指す様子が、英米関係の展開と重ね合わせながら検討される。イギリスは、EFTAの設立を通してEECとの「橋渡し」を目指したものの、十分な成果を上げることは出来なかった。イギリスの試みは、EEC諸国から統合を薄める動きとして警戒されるとともに、アメリカからも評価されなかったからである。そして、1960年代前半には、U2機撃墜事件によって、パリ首脳会談が決裂したことによって、イギリスはより広い文脈で対外政策の行き詰まる状況に置かれた。こうして、イギリス政府内ではEECへの加盟申請に徐々に傾いていくことになった。次いで、取り上げられる南アフリカのコモンウェルス脱退は、第二次大戦後におけるコモンウェルスの拡大と制度変化という大きな流れの中で、イギリスにとってのコモンウェルスの重要性に再考を迫り、結果としてコモンウェルスの遠心性的傾向を浮き彫りにすることになった。
以上のように、対ヨーロッパ政策と対コモンウェルス政策を螺旋状に並べていくことによって、本書の叙述は進められている。そして本論の最後となる第七章では、英米関係を軸に検討を進め、イギリスがEEC加盟申請へとその方針を転換していく過程が描かれる。EECの統合深化を強く支持していたアイゼンハワー政権からケネディ政権への政権交代によって、アメリカはイギリスの試みを支持するのではないかとの期待が持たれたものの、その期待が実を結ぶことはなかった。こうしてイギリスは、政治的影響力、経済力の両面において、アメリカとEECの狭間に埋没し、次第に国力の基盤を失っていく危険を封じる必要性を強く感じるに至った。そして、残された最後の選択肢であるEEC加盟申請を行ったのだった。

<本書の結論と意義>

メッシーナ・イニシアティブによるヨーロッパ統合の「再着手」からEEC加盟申請に至るイギリス外交は、実際のところ失敗の連続だったように思える。事実、イギリスにとって大きな決断であった加盟申請は、その後フランス大統領ドゴールによってあっさりと葬り去られた。
本書は、EEC加盟申請の背景を以下の三点にまとめている(299-300頁)。①1950年代後半に「三つのサークル」や「東西間の架け橋」構想など、それまでイギリスが対外政策の拠り所としてきたものが大きな揺らぎを見せたことが、政府内外で大幅な政策転換の必要性に関する認識を強めたことによって、EEC加盟申請に向けた基盤を形成した。②ローマ条約の調印・発効によって本格的に始動したヨーロッパ統合が有効に機能し始めたことによって、EECの外に留まり続けることによる深刻な不利益が生じるようになった。③当初はEEC加盟よりも望ましいと考えられた選択肢が次々と失敗または不十分とみなされるようになった。
そして、以上の三点の変化を踏まえて、マクミラン政権はEECに完全な加盟国として加わることが自国の政治的影響力と経済力を回復・強化する唯一の選択肢と判断するに至り、(最後にはアメリカ政府内でも予期されていなかったほどに早い段階で)自らの主体的な判断によりEEC加盟申請という政策転換を決断した、というのが本書の結論である。

博士論文を基にした本書は、数多くの先行研究を踏まえつつ、とりわけコモンウェルスとの関係を重視して分析を進めることによって、イギリスの第一次EEC加盟申請へ至る対外政策を検討している。その際、イギリスの衰退傾向といった長期的要因や、米の政権交代や南アフリカのコモンウェルス脱退といった短期的要因ではなく、イーデン政権からマクミラン政権に至るイギリスの対外政策再編の試みの中でこの第一次EEC加盟申請を検討している点が本書の特徴である。1955年から1961年に至る中期的な時間軸の中でEEC加盟申請へ至る道のりを各国・各国際機関の一次資料を用いて明らかにするとともに、イギリスにとって重要だったコモンウェルスとの関係も含めて詳細に検討を行うことによって、本書は第一次EEC加盟申請という重要なイギリスの政策転換を包括的に論じることに成功していると評価することが出来るだろう。ここでの紹介では省略してしまったが、経済史的観点からも本書は詳細な分析を行っており、その点でも重要な意義を持つ研究となっている。
本書の取り上げる前の時代を扱っている益田実『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策』(ミネルヴァ書房)と併せて読むことで、我々は戦後初期のイギリスとヨーロッパという重要な問題について深く考えることが出来るだろう。
やや残念な点は、本書の各章の議論の有機的な繋がりがやや弱いことである。三部構成からなる本書は、各部に「はじめに」と「おわりに」が置かれているが、「おわりに」では各章それぞれの要約が行われているだけで、それぞれの章の分析がどのようにより広い文脈の中で意味を持つのかが明らかにはされていない。もちろん結論部分で各章の持つ意義は明らかにされており、本論の中でもう少しその繋がりを明示的に書いて欲しかったというのは望み過ぎかもしれない。しかし、各章の有機的な繋がりがより意識されていれば、中期的な要因の並列ではなく、より各要因の効き方が明らかな結論を提示することが出来たのではないだろうか。 
また、イギリスのEEC加盟申請は、「三つのサークル」という従来のドクトリンに大きく修正を迫るものであった。そうであれば、このドクトリンが放棄される過程で包括的な検討は無かったのだろうか。各国との交渉等が詳細に検討されているだけに、より大きな「イギリス帝国からヨーロッパ統合へ」というダイナミズムの変化についても、著者なりの評価を読みたいと感じた。

※なお、EEC加盟申請後の時代については、(第一部は本書と内容がかなり重なっているものの)既に益田実との共著の科研費報告書という形で発表されており、研究代表者である益田実教授のHPで閲覧することが可能である(リンク)。

at 14:23│Comments(0)本の話 

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