2008年10月31日

『アステイオン』の季節。

筑波では、昼は学会で真面目に夜は学部時代からの友人と馬鹿話(というか妄想)に華を咲かせる、という三日間でしたが、東京に戻ってきてから数日はこなさなければいけない課題が溜まっていることから生活にメリハリが無く、朝起きてから夜寝るまでずっと課題に追われていました。

自分の研究を抱えながら、家庭教師やアルバイトに行き、慣れない英語の課題に取り組んでいるので、それらをこなすだけで、思いのほか時間が取られるようです。知的には充実しているのですが、時間が無いと映画を観に行ったり美術館に行ったりといった趣味の時間や走ったりといったことがなかなか出来ないのでフラストレーションが溜まります。

10月は、行きたい美術展がいくつかあるのに行けず、東京国際映画祭どころから前々から見たかった「アキレスと亀」も観れず、バイトと重なって大学に来たチャールズ英皇太子も見れず。よくよく考えてみたら、10月は休日が一日もありませんでした。基本的に週6日大学、1日はバイト&家庭教師、あとは学会と客観的にかなり楽しくない感じの一ヶ月になってしまいました。

どうしたものかと思いますが、もう暫くは我慢の日々が続きそうです。



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ゼミに入って以来の数年間楽しみにしているのが、春と秋に出る『アステイオン』です。今回の特集は「アメリカ 永遠の「新」世界」。阿川尚之さんの巻頭論文によれば、「文明論としてのアメリカ研究会」のメンバーによる論文が収められているとのことなので、専門的というよりは各執筆者の専門を踏まえながら、広い視野からアメリカについて考察した論考が収録されているようです。

読み物として云々というわけではありませんが、ロバート・エルドリッヂ「序幕は過去を開く――公文書公開と民主主義」には色々と考えさせられました。アメリカの公文書公開の歴史を紐解きつつ、その進展と後退を描くことによってアメリカという国のあり方を考えるという論文なのですが、いくら後退して閉鎖的になってもアメリカの公開状況は我らが日本とは比べ物にならないということを逆に痛感させられます。

各特集論文に続いて、毎回楽しみにしている御厨先生の連載「近代思想の対比列伝――オーラル・ヒストリーから見る」を読みました。「近代思想の対比列伝」は、オーラル・ヒストリーを紐解きながら二人の人物を対比してその生涯を辿るというもので、『アステイオン』ならでは連載となっています。第一章として今回まで三回に渡って取り上げられているのは、警察官僚としてトップを極めその後政治家として内閣官房長官や副総理を歴任した後藤田正晴と司法官僚としてトップを極めた矢口洪一の二人です。ほぼ同世代でありながら、異なる道に進んだ二人を対比することによって、様々な歴史のひだが明らかにされていきます。この連載はいずれ本になるのでしょうか。続く第二章で、誰が取り上げられるのかが気になるところです。

そして、今回から待望の新連載として始まったのが山崎正和「神話と舞踊――文明史試論」です。高坂正堯や佐藤誠三郎といった有力な同世代が次々と世を去ってから、氏の活躍はそれまで以上に際立っています。前作「装飾と近代」が非常に面白かったので、今回の連載にはそれ以上の期待をしてしまいます。



出来る限り本は細切れではなく一気に読み切るというスタイルのためか、この一ヶ月ほどは、授業等で使うものを別にすると積読になっている研究書をほとんど読むことが出来ていません。そんなわけで、ついつい読書は新書などに偏りがちです。そんな中がで読んだ一冊が、押村高『国際正義の論理』(講談社現代新書)です。

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書評形式でまとめようと思ったのですが、いまいちうまくまとまらなかったので、雑感をだらだらと書き連ねることにします。

冷戦終結とほぼ時を同じくして湾岸危機(イラクのクウェート侵攻)が起こり、そこに多国籍軍が介入し湾岸戦争が勃発したことによって、冷戦終結後の国際政治はその流れが決定されたように思います。旧ユーゴ、ルワンダ、ソマリア、シエラレオネなどで相次いで発生した地域紛争にいかに対処していくかは、今日に至るまで国際社会全体にとって最も大きい問題であり続けたといっても過言ではないでしょう。そして、地域紛争へ対処を迫られる中で重要な問題として浮上したわけです。

実際に、地域紛争への介入(または非介入)を巡って展開される様々な議論は、真摯であれば真摯であるほど容赦ない現実と理想との狭間に論者を落とし込んでいきます。そんな論者の苦しみが現れた典型的な議論が、マイケル・イグナティエフの一連の著作ではないでしょうか。

そうした海外における議論が「輸入」され、それなりに読者を獲得しつつも、日本での議論はどこか「空中戦」を戦っているような感覚がありました。湾岸戦争に対するあの煮え切らない対応や議論によって日本が冷戦終結後の国際政治の荒波へと乗り出したからかは分かりませんが、やはり当事者感覚の不在が日本での議論の進展を妨げてきたのかもしれません。

そんな中で、ようやく「国際正義」を正面から取り上げて、介入や貧困、行動する主体の責任といった重要な諸問題に取り組んだこの本が出版されたことは、非常に重要なことです。どの章も、網羅的では無いにしても、各分野における重要な文献を取り上げて「国際正義」を巡る諸問題について考察を進めているので、読者にとっては考えを一歩進めるいい手がかりをこの本は示してくれます。

以下は、この本の意義を認めた上での感想ですが、何となくこの本では「あと一歩の踏み込み」が行われていない印象があります。「国際正義」を巡る歴史を過去から紐解くならば、なぜ冷戦期にその歩みが止まらなければならなかったのか、そしてその理由は現在の「国際正義」を考える上で無視することが出来るものなのか、といったことについてもう少し考察を進めてもよかったような気がします。

また、「国際正義」を巡る諸問題は様々な点で相矛盾することがあるため、容易な一般化や解答の提出を拒むことがしばしばです。それゆえ、これらの問題を論じる際に多くの著者は、曖昧な表現や結論が多くなるわけです。それでもイグナティエフの著作などは行間に苦悩がにじみ出るほど、深く様々な点を検討しそして見聞をしている点が伺えます。しかし、そうした一歩踏み込んだ姿勢が本書からはあまり感じられません。何となく、リベラルな雰囲気は漂わせつつバランス良くその限界も指摘している、全編を通して感じる印象はこれに尽きます。

もっとも、こうした感覚を持つのは、前期の授業でJames Mayall, World Politics: Progress and its Limits (Cambridge: Polity Press, 2000) を読み、また最近読み返す機会があったからかもしれません。歴史的な流れの中に現代の国際政治を置き、そして現代の国際政治の困難を描いたWorld Politics を読んでしまうと、普通の本ではやや物足りなく感じてしまいます。結局、World Politics の書評をここに書いていないので、そのうちに書くことにしたいと思います。

at 23:52│Comments(0)本の話 

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