2008年10月20日

レイモン・アロンにしびれる。

この週末は、クライマックス・シリーズを観ることもなく、来週の授業の準備や今書いている論文の手直しをしたりしていました。授業やアルバイトだけであればそれほど大変なわけではないのですが、その合間に研究を進めなければならないのはなかなか骨が折れます。自分が研究をするようになって、大学の先生の大変さが少しだけ分かったような気がします。

そうは言いながら、二十代の半ばに自分のやりたいことを精一杯出来る環境にあることはとてもいいことなのだなとも思うわけです。それなりに研究で悩みつつも、社会人のようなストレスとは無縁なわけで、当たり前のように過ごしているこの日常は後から振り返ってみると、思いのほか充実していると考えるのかも知れません。



↑のように自分に言い聞かせつつ、この週末はどの作業もうまくまとまらず、成果という成果は乏しかったことが悔やまれます。そう簡単にまとまるはずがない自分の研究は別にしても、もう少し効率よく考えをまとめる方法がないものでしょうか。

目の前の課題の一つは、院ゼミで読んでいるレイモン・アロンです。先週のホフマンによるアロン論に続いて、今週は先生が翻訳したアロンの遺作『世紀末の国際関係』(原題:Les dernieres annees du siecle)が課題文献です。

原著は今から24年前に出版されたものなのですが、今読んでも色々と考えさせられる面白い本でした。「訳者あとがき」にもあるように、本書は小著ながら広範な領域をカバーしており、それは国際政治学の理論上の問題から国際経済、核戦略、そして当時の時事問題に至り、各々の領域についてアロンの立場が明確に示されているので、日本人の読者にとっては手軽にアロンに触れる最適な本と言えるのではないでしょうか。書評形式で簡単にここ紹介しようと思ったのですが、いまいちうまく文章がまとまりませんでした。

アロンはこの本で、1962年(Paix et Guerreを出版した年)と1982年(この本の原稿を執筆していた年)の比較を行った上で、さらに「世紀末の国際関係」の考察へと筆を進めています。2008年を生きる我々は、アロンが予測した「世紀末」の国際関係がどのようなものだったのか、さらに21世紀初頭の国際関係がどのようなものだったかを知っており、アロンのいくつかの予測が大きく外れていることも知っているわけです。

例えば、アロンは「今世紀の終わりに至るまで、アメリカとソ連だけが真の大国でありつづけるということは、いかなる未来予測より確かだと私には思える」(278頁)としていますが、これが大きな誤りであったことは明らかです。ちなみに、日本でアロンのようにぶれることなく国際関係の現状について発言を続けた高坂正堯も、『現代の国際政治』(講談社学術文庫、1989年)の中で、「冷戦は終わっても、米ソ二極体制は終わらない」旨を強調しています。『現代の国際政治』はベルリンの壁崩壊の直前、ソ連崩壊の数年前という微妙な時期に書かれたものですが、「現実主義」の国際政治学者の情勢認識として興味深いものだと思います。やや話がずれましたが、重要なことは、アロンのこの予測が外れたことよりも、なぜアロンはそのように予測したのかということでしょう。

またアロンがこの本で最も強調している国際政治における「国家間関係」の第一義的な重要性は、現在に至るまで十分に意味のある主張だと思います。この本の刊行直後に『朝日新聞』に掲載された山崎正和の書評は、アロンの主張を実にうまくまとめています。

…アロンの慎重で丹念な分析は、直接には現実の政治状況の予想に向けられ、今世紀末まで「平和は不可能だが、戦争は起こりそうにない」という良識的な結論を引き出している。だが、この本の真意は、より思想的に国家の観念を擁護することにあり、それが八〇年代のもとではかなり成功している、と見ることができる。たしかに二十年前に比べて、国家エゴはむしろ剥きだしの素顔を見せるようになり、イデオロギーや経済の論理の透徹を随所で妨げている。そして、その非合理な意思は混乱を起こすが、曖昧であるだけに極端に走ることがなく、適当に妥協して破局を防いでいるともいえる。その状況を克明に描いて見えるアロンの言外の主張は、「国家は全能ではないが、国際社会は生まれそうにない」ということであり、この面倒な状況が実は人類の救いなのだ、という逆説的な楽観主義にほかならないといえよう。

この中心的な主張の他にも、「抑止」や「軍備管理」、さらには「国家と国際経済」に関するアロンの主張は現在にも十分通じる深い洞察を含むものです。これをもとにどういった議論になるかは非常に楽しみです。

at 11:55│Comments(0)本の話 

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