2008年10月11日

今週の授業(10月第2週)。

気が付けば今週ももう週末です。結局今週は授業の準備と月曜日に貰ってきた資料の整理と読み込みしかすることが出来ませんでした。ダラダラしているとあっという間に時間が過ぎていってしまうようで焦ります。来週はもう少しうまく時間を使いたいところです。

前期と同様に備忘録代わりにブログに授業の簡単な記録を残していこうと思います。



<水曜日>

3限:院ゼミなのですが、ゼミの人数が少ないので、基本はレイモン・アロンの輪読で、そこに我々ゼミ員の発表が適宜挟まるという形で授業を進めていくことになりました。一緒に読書会をしている後輩も参加することになったので、先生+院生三人でアロンを熟読するという贅沢な1時間半になりそうです。ちなみに来週は、スタンレー・ホフマンのアロン論&モーゲンソー論を読む予定です。

<木曜日>

2限:先週は通院のためお休みしてしまったので、自分にとっては今回が二回目の授業でした。Buzan, Barry, Ole Waever, and Jaap de Wilde, Security: A New Framework for Analysis (Boulder, CO: Lynne Rienner, 1998)の一章が課題文献。Securitization(安全保障問題化)という概念をどう考えるのかがポイントでした。外交史を専門にしているものにとっては、脅威を認識する「プロセスこそが重要」だという議論はよく理解が出来るものです。むしろ逆に、なぜそれをわざわざ強調しなければいけないのかということの方に関心があります。といっても、こうした自分の疑問をうまく授業の中で発言出来ないのがもどかしいです。

4限:昨年度までお世話になっていた先生の院ゼミ。こちらのゼミは人数が多いので、毎週研究発表があります。自分の発表は再来週なので、それに向けて論文を仕上げたいと思います。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)。先週の報告「政治理論・政治的なものを「見る」ということ――アーレント研究の視座から」を受けて、今週は院生による問題提起と議論がありました。詳しい話は今週したいと先週書いたのですが、自分の中でいまいち消化不良気味なので割愛。自分が専門とする外交史や国際関係論よりも政治思想は人文学的な色彩が強い学問です。理論か歴史かといった議論はもちろんのこと、どのような分析視角や枠組みを設定するのかといったことが、明示的に行われないこともままあるので、専門外の人間にとっては議論に入っていくのがなかなか難しいなと改めて思いました。



前々回の記事で紹介した村田良平元外務事務次官の回顧録を読み終えました。

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とにかく誤字脱字の多さには辟易としました。ここまで編集がひどかったのは、藤原帰一『国際政治』(放送大学出版協会)以来のことです。いかに本の中身が良かったとしても、あまりに誤字脱字が多いとその本の価値が下がってしまうような気がするので残念です。もっとも、編集が入っているのかどうか疑うようなひどい日本語の本も多々あるわけですが。

次期支援戦闘機を意味する「FSX」が「SFX」になっているために、「…かつてSFXに関しては、大騒ぎの結果米国は一旦は合意したところを撤回して、自国の希望を通すわがままを敢えてした」という文章になり、これはハリウッドの話なのかなという笑える間違いもありますが、その他人名の間違いも散見されます。

以上のような本文は本人もチェックするはずなのでまだしも、この本の誤字脱字のひどさは、それが目次やルビ、扉といった編集が第一義的に責任を持つべき部分にあまりに多いことです。目次の「牛馬大使」(正しくは「牛場大使」)についてはこの間も書きましたが、その他にも写真の説明で「オーストリア大使」のところが「オーストラリア大使」になっていたり、ルビの表記が不統一(平仮名だったりカタカナだったり、はたまた無駄な括弧が付いていたり)などは相当ひどいものです。

そんな愚痴はともかくとして、内容自体は上巻を中心に研究者にとって貴重な情報が多数ありました(ただし、下巻の第12章以降は著者の主張が全面に展開されており、やや「怪文書」めいているので要注意です)

通読して印象に残ったのが、どちらかと言うと幹部になる前の時代だったのはやはりと言ったところでしょうか。これまでかなりの量のオーラル・ヒストリーを読んできましたが、官僚の場合はほぼ全て課長や課長補佐時代の話が面白く、局長時代以降が面白いことはそれほど多くありません(サミットのシェルパ経験者などはその数少ない例外です)。実際仕事の多くが課長レベルで処理されているという面もあると思いますが、局長以上が判断しなければいけない問題は回顧録などでさらっと書くことがはばかられるようなことが多いのかも知れません。

また、40年以上の外交官生活を通して感じた印象が様々なところで出てくるのですが、1970年代についてはあまり明確な評価がなされていないことも印象的でした。70年代に関しては研究者の間でもその評価が固まっていません。これはもちろん70年代はこれから本格的な歴史研究が進んでいく時代だという面もあります。しかし、そういった面はあるにしても80年代や90年代の方が一定のイメージが共有されているように思います。70年代を研究している自分にとっては、そこにやりがいを感じるとともに、難しい時代を対象としてしまったことにとまどう面もあります。

「当時付けていた日記によれば」といった表現が散見されることから、どうやら著者は詳細な日記をずっと付けていたようです。この日記がいずれ公開される日が来るのでしょうか。

at 17:04│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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