2008年10月06日

Melvyn P. Leffler, A Preponderance of Power

昨日は、読書会がありました。

定評ある冷戦史研究を読もうという読書会で、基本的に月一開催で今回が6回目となります。日程が合わなかったことから、今回は三ヶ月ぶりでしたがこれまでと同様に面白い議論になりました。一人が夏から留学、もう一人が帰省中ということで初回からの参加者がちょっと少なく、私と発表者の二人ばかりが話していたような気がするのはやや残念だったところです。

今回も簡単にメインテキストを書評形式で紹介(以下のまとめには、読書会での討論の一部が反映されています)。



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Melvyn P. Leffler, A Preponderance of Power: National Security, the Truman Administration, and the Cold War (Stanford, Calif. : Stanford University Press, 1992)

<はじめに>

 アメリカを代表する冷戦史家として日本で広く知られているのはジョン・ルイス・ギャディスだが、90年代以降の活躍を考えればメルヴィン・レフラーもまた押さえておくべき重要な研究者である。レフラーは、近著For the Soul of Mankind: the United States, the Soviet Union, and the Cold Warや、編著書Origin of the Cold War: An International Historyなどでも知られているが、何と言ってもその代表作は、1992年に出版された本書だろう。
 本書の出版は冷戦終結直後のことであり、90年代半ば以降にヨーロッパの歴史家を中心に進められた国際関係史的なアプローチとは一線を画しているが、本書はその明晰な分析と結論によって、冷戦初期を取り上げた数多くの研究の中にあって、出版から15年以上を経過した今もその輝きを失っていない重要な著作である。以下、本書の概要を簡単に説明しつつ、その意義を検討していくことにする。

<概要>

 序論で明らかにされているように、本書は、トルーマン政権の国家安全保障政策、その中でもとりわけ大戦略を主要な検討対象としており、分析に際しては各政策担当者の対ソ脅威認識が重視され、その脅威認識から導き出される各地域に対する政策を描き出している。
 注意しなければならないのは、本書における「国家安全保障」の語が通常用いられる意味よりもやや広く定義されていることである。本書の意味する「国家安全保障」とは、領土防衛という狭い意味だけでなく、アメリカの政治経済システム、さらにはその価値をも防衛することが含まれるのである(13頁)。日本政治史を紐解くと「狭義国防」と「広義国防」という言葉があるが、本書は言わば「広義国防」として「国家安全保障」を定義していると言える。

 本論は時系列に沿って構成される全11章から成っており、パートで分けられているわけではないが、ここでは便宜的に三つに分けて紹介したい。なお、以下の概要は著者が最終的に説明している「大戦略」を中心に抜き出したものであり、本文ではアメリカの各地域に対する政策の変遷が詳細に跡付けられているので、この点は注意していただきたい。

 「第一部」としてまとめられるのは、第一章から第三章である。第一章では、トルーマン政権の成立と各政策担当者の脅威認識が明らかにされ、第二章では、第一章で明らかにした対ソ認識に基づいて各地域に対する政策がどのように形成されたかが描き出される。対になるように構成された二つの章に続く第三章では、1946年を対象に、政策担当者の間で対ソ脅威認識が固まり「冷戦コンセンサス」が形作られ冷戦が始まる様子が分析されている。
 第三章までに明らかになるのは「恐怖と力」こそが、アメリカの政策形成に決定的な要因だったのであるということだ。螺旋状にソ連への脅威認識を高めていき、防衛的な動機によって拡張的な行動を取っていく様子が、この三つの章で説得的に描かれている。様々な認識の対立はありながらも、最終的に1946年秋までに「冷戦コンセンサス」が形成されたと著者は結論する。

 冷戦の開始からNSC68の成立までを描くのが第四章から第八章であり、この五つの章を「第二部」と呼ぶことが出来るだろう。「冷戦コンセンサス」が形成され冷戦が始まったものの、アメリカには冷戦を戦うために必要な軍事力が欠乏していた。この点は政策担当者にも認識されていたものの、諸処の状況により「力の優越(Preponderance of Power)」という認識が揺らぐことはなかったため、冷戦を「力の優越」の下に戦うという目的とそれを実行する手段とのギャップが放置されてきたのである。そして、中国の喪失、ソ連の核保有、経済的失速などが重なったことによって「力の優越」が脅かされたと各政策担当者が認識した結果として、ニッツェ政策企画室長の下で策定されたNSC68によってこのギャップは解消したのである。
 なお、ギャディスはNSC68を、アメリカの冷戦戦略の一大転換点として位置付けているが、著者はそれを冷戦戦略の転換とまでは見ていない点は重要である(607頁、注188)。「力の優越」という観点からトルーマン政権の政策を、断絶ではなくより連続的・統合的に捉えている著者にとって、NSC68は確かに重要な転機となる政策だったものの、それは政策手段が強化されただけであって、政策の目的はそれ以前と大きく変わっていないという点こそが重要なのであろう。
 個々の政策に立ち入れば、「力の優越」を求めてアメリカが世界のパワーセンターを確保するためには、西ヨーロッパの統合、西ドイツの独立、日本の独立と再軍備といった、ソ連を刺激するであろう冒険的な政策を実施する必要がある。そして、各パワーセンターのために、それぞれその周辺との結びつきを強化する必要があるとアメリカは考えた。こうした政策を実施するためにはソ連との「力の均衡」ではなく、圧倒的な「力の優越」こそが必要だったのである。以上のように考えれば、NSC68はそれ以前からの「力の優越」を求めるアメリカの政策の延長線上にあるものということになろう。

 こうして形成されたNSC68に基づいてアメリカはいかなる政策を実施したのであろうか。これを考える際に重要になるのが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争である。第九章から第十一章では朝鮮戦争勃発後が描かれ、この三章が「第三部」と言えよう。朝鮮戦争の勃発によっても、トルーマン政権の基本軸が変わることは無かったということを著者は強調する。著者が好んで引用するニッツェの「優越した力こそがアメリカの政策の目的である」というセリフは1952年半ばのものである(446頁)。様々な事象が説明されているが、概して印象に残るのはその連続性の強調である。

 以上の本論を踏まえた「結論」として、著者は冷戦責任論に言及する。著者の結論は、本論同様にバランスが取れたものとなっている。それは、ソ連に責任があるのと同じようにアメリカにも責任がある、というものである(515頁)。著者は、ソ連の行動のみがアメリカとの脅威認識を高めたわけではなく、ソ連が直接関係したかどうかが明らかでないような事態(例えば中国の喪失、西欧の危機等)に対してもアメリカは恐怖感を募らせていったことを指摘している。
 そして著者は、トルーマン政権全体を通してその対応は用意周到で賢いものだったと評価しながらも、ソ連への対応には一部改善の余地があり(例えばソ連への脅威認識の一部は過剰だった)、各パワーセンターのために行った第三世界への拡張は思慮に欠けるものだったと結論付けている(516-517頁)。

<評価>

 トルーマン政権の全期間を対象に、その政策を「力の優越」という観点から統合的に描き出した本書は、冷戦史研究のみならず、戦後国際政治史研究全般にとって大きな意義を持つものと評価されよう。膨大な一次資料を読み解いた上で、一貫した視角からその政策を統合的に描き出すことに成功しているという点で、本書は極めて例外的な研究である。

 国務省文書を中心に書かれた初期のギャディスの研究と比べた時に、本書が際立っているのはその資料の網羅性である。国務省はもちろんのこと、膨大な国防総省の文書を渉猟し、さらに利用できる範囲で議会やCIAの文書も取り入れている。重要なのは、新しい資料を用いたということよりも、それが本書においてバランス良く取り入れられているということだろう。国務省文書をメインとしてその分析を着実に行いつつも、国防総省の視点を効果的に組み入れることに成功しており、これにより本書の説得力は大きくなったと言える。

 冷戦史研究の諸潮流の中に本書を置いて見えてくるのは、本書が「修正主義」の研究の良質な部分をうまく受け継いでいることである。周知のように「修正主義」の研究は、ベトナム戦争の泥沼化を背景として、アメリカの第三世界への介入に対する批判が先行するとともに、マルクス主義史学の影響を受けた経済決定論的な色彩が色濃く、悪く言えば陰謀論的なものが少なくない。これに対して本書は、「国家安全保障」概念を拡張することによって、経済的な利益や経済システムの維持といった要素を、経済決定論としてではなく安全保障の目的の一つとして組み込み、さらには第三世界への関与も「帝国主義批判」ではなく「力の優越」を得るための手段として説明している。つまり「修正主義」から陰謀論的な色彩を取り除きつつ、その成果を自らの研究に組み込んでいるのである。
 「力の優越」に注目したことによって、冷戦史研究の対立をバランスよく処理した手腕は見事の一言である。これは視角の適切さであると同時に、著者が一次資料とともに二次文献についてもバランス良く処理する手腕の持ち主であることを示している。本書出版後の研究の進展を考えれば、例えばヨーロッパについては書き直す必要はあるかもしれない。しかしながら1992年の時点における研究成果はバランス良く生かされているし、それが各地域について満遍なく行われている点は素晴らしい。

 以上のように評価出来る本書であるが、若干の違和感があるとすれば、それは「まず政策担当者の脅威認識を分析し、それに基づく各地域に対する政策を明らかにする」という叙述スタイル(≒分析枠組み)である。
 各政策担当者の脅威認識をまず明らかにし、それに基づいて地域政策を検討する方法を言い換えれば、対ソ脅威認識が独立変数で、各地域政策はその従属変数ということになる。この結果として、本書では、ヨーロッパや中東、そして東アジアが並列的に論じられることになる。アジアは冷戦の第二戦線だったという通説的な議論を、著者はどのように考えているのであろうか。ヨーロッパとアジアや中東との相違は、単なる「戦術の違い」なのだろうか。
 以上はヨコのダイナミズムの乏しさへの指摘であるが、タテのダイナミズムの乏しさも同様に指摘することが可能である。一番大きいのは、NSC68をも連続性の視点で捉えていることであり、この点はギャディスの議論とも鋭く対立している。確かに「広義国防」的な安全保障観は、近年のアイゼンハワー政権研究にも通じるところがあり、断絶よりも連続を強調する著者の見方を補強しているとも言える。しかしながら、冷戦の終点に立って歴史を眺めた時に、果して連続性のみを強調することが正しいのだろうか。この点を考えるためには、アイゼンハワー政権のみならず、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの各政権へと検討を進めなければならないのかもしれない。



と、簡単に紹介を書いたわけですが、本文だけで500頁以上の大作である本書を読むのはなかなかしんどいものがあり、やや消化不良気味の気もしています。やはり、上級英文法をしっかりとやらなければいけないのでしょうか。

また英語の問題だけでなく、1992年の時点で本書に書かれていることがどれだけ新しく意義を持っていたのか、またどの部分が著者のオリジナリティなのかについて具体的なイメージが湧かない点も議論していて歯がゆかった部分です。ポスト修正主義研究の成果を前提とした教科書等で勉強してきた我々がその真の意義を考えるためには、やはり正統主義の研究をしっかりと読み込んでおく必要がありそうです。

at 23:55│Comments(2)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by Hogan Interactive Uomo   2014年08月18日 11:15
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2. Posted by http://www.drmoliver.com/?id=390   2014年09月09日 18:26
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