2008年08月14日

死刑について。

「死刑について」なんていう題名を掲げたからといって、別に真面目に死刑制度について考察しようというわけではありません。

「…死刑!」と言えば、山上たつひこ『がきデカ』の最も有名なギャグとして知られているわけですが、あまりの暑さに頭が働かず夜『天才バカボン』を読み返していたところ、「死刑」が連発されることにふと気が付いた。「服を着てると死刑ということに国会で決まった」とか、こうやって書いてみると意味が分かりません。

そんなに時間も無いので単行本の最初の方をパラパラ読んでいただけなのだが、とにかく「死刑」が頻出している。『バカボン』は途中からかなりブラックユーモア色が強くなる印象があったが、実は最初の頃からそうだったようです。

バカボンのパパが近くを歩いていたおじさんに濡れ衣を着せて、おまわりさんに突き出し、短絡的なおまわりさんは「決めた! 犯人に決めた! 書類を書こう」、パパ「当然死刑でしょうな」、おまわりさん「死刑です」。これは目ん玉が繋がったおまわりさんの誕生に繋がるシーンとしてよく知られているものですが、他にも「服を着ていると死刑と国会で決まりました」といった題の回もある。

最近はあまり漫画を読んでいないのでアンテナに引っかからないのかもしれませんが、『天才バカボン』や『がきデカ』のような大ヒットするギャグ漫画があまりないような気がします。ちなみに、この数年のヒットは『アフロ田中』シリーズです。もっとも、これはグッとくる層が限られるようにも思います。かつてのギャグ漫画の持つ不謹慎さが、この世知辛い世の中では受け入れられないのでしょうか。



あまりの暑さで夜は『バカボン』やら『がきデカ』を読んで過ごす今日この頃ですが、昼は試験勉強と論文執筆に没頭しています。

論文執筆といっても、今回はゼロから書くのではなく、例の「幻の修士論文」の一部を切り取って投稿用に改稿するのでやや特殊かもしれません。研究会での発表や、先輩や先生から頂いたコメントを踏まえて書き直したいと考えて取り組んでいるのですが、一度書いてしまったものを大きく修正するのがなかなか難しいことに今更ながら気がついて苦しんでいます。

字数を気にせずに無駄に長いものを書いてしまい、それをまず縮めていくことをしたのが戦略ミスなのでしょうか。ともあれ、一度始めてしまったものを投げだすのも性に合わないので、まずはこのまま作業を進めていき、草稿を書き上げたいと思います。これが今日&明日の課題。



前回に続いて新刊本について(ハミ―との重複を避けつつ)。

創文社の「本年度刊行予定」の中に気になる二冊を見つけました。一冊は、金子新『アデナウアーのドイツ』、もう一冊は、高安健将『首相の権力』。前者は、昨年『法学研究』に審査報告が載っていた博士論文を基にしたものだと思いますが、本格的な戦後ドイツ外交史研究はこれまで日本で空白状態だったので、非常に楽しみなところです。後者はLSEでのPh.D論文を基にした著作でしょうか。著者の先生には、研究会発表の際にもお世話になりましたし、これまでに発表された論文からも色々と刺激を受けています。既発表論文は、どれも歴史研究から見ても高い水準の実証性を兼ね備えつつ70年代以降を対象に研究している比較政治学の論文です。こちらもまた非常に楽しみです。

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上に挙げた本もそうですが、大学院の先輩達が続々と博士論文を刊行されています。今週刊行されたばかりの西川賢『ニューディール期民主党の変容』(慶應義塾大学出版会)もそんな一冊です。課程博士にも関わらず、こうして博士号取得後すぐに出版できる水準の博士論文を書き上げている先輩の存在はとても刺激になります。アメリカ研究は、対日政策を除くとほとんど馴染みがない自分ですが、歴史研究に基盤を置いて実証に力を入れながらも、隣接するアプローチにも目を配っているこの研究書はじっくり読みたい一冊です。

at 12:53│Comments(3)日々の戯れ言 

この記事へのコメント

1. Posted by りんむー   2008年08月14日 21:44
>一度書いてしまったものを大きく修正するのが
>なかなか難しいことに今更ながら気がついて
>苦しんでいます。
同感。おいらはほとんど書き下ろしです。
2. Posted by 国際問題   2008年08月14日 22:30
拙著をわざわざ取り上げていただいてありがとうございます&お買い上げありがとうございました。衷心より御礼申し上げます。
宜しければ忌憚ないご批評を心よりお待ち申し上げます。
拙著で言うと、二章は一番はじめに書いた論文を修正したものだったのですが、結局最終的に本にするまでに実証の方向性がもともと想定していたものから変わってしまい、書き直しに苦労しました。
小谷野敦氏もいっていますが、ある程度方向性が見えるまで書かないという手もあります。ですが、それだと一生何も書けないで終わる可能性もなきにしもあらずですので、個人的には書きながら柔軟に修正していくというのが一番無理のない方法ではないかと思います。しかし、そういう意味において一本目の論文というのは世に問うためには勇気が要るし、細心の注意も必要だと思います。
自分の場合は一本目の論文はかなり無謀な「見切り発車」でした。まあそれをいうと今度出した著作自体も「20代の総決算」というか、自分の中では「習作」にあたるものです。それでも次の本でもうちょっとまともなことがいえれば、この本を出した意味もあるかなと思っています。三島由紀夫でいえば、今回の本は『禁色』に相当する位置づけです。
ちなみに『民法研究ハンドブック』に一本目の論文をどのようなタイミングで世に問うかということに関する記述がありました。
3. Posted by 管理人   2008年08月19日 19:49
>西川さん
ご丁寧にコメントをありがとうございます。また、コメントをお返しするのが遅れまして申し訳ありません。すぐにでも読みたいのですが、焦らずにまず論文執筆、そして試験勉強という目の前の課題を片付け、腰を落ち着けてから、じっくり拝読させていただきます。
ブログ本文に何回も書いておりますように、公刊を前提に論文を書く作業は今回が初めてなので、苦労する日々が続いております。そのような中で、今後に繋がるアドバイスを思いがけず頂戴しまして恐縮しております。
もし自分の「実証の方向性」が今後大きく変わった時に、西川さんのようにうまくまとめ直すことが出来るか、その不安が大きいです。それでも、何とか一本公刊することが出来れば、それに対していただいた批判等を基に、より水準の高い研究へつなげることが出来るのではないか、と今は敢えて楽観的に考えています。
そうは言いましても、1970年代の日本外交する場合、一次資料となる外交文書はほぼ全て情報公開法に頼らざるを得ません。このような時代を研究する場合に、どの程度まで「書かない」ことがいいのかは今でも迷い続けています。
またお会いしました時に、色々とお話し出来れば幸いです。

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