2008年07月24日

こんな論文見つけた。

前々から噂にしていた、ある「学術」論文の末尾に付された文章を見つけた。

 本稿をお読み下さった方々はお解り下さると思うが、拙稿は筆者が学生時代から今日まで自分の価値観に基づく意志あるいは研究の必要上、読んできたプラトン以来の政治哲学の古典的名著、そして政治哲学に関する数多の研究書の中に盛り込まれている諸々の思想原理から成り立っている。そしてこれらは、筆者のオリジナルな思想原理ではないにしても、筆者の思考枠組みの中で既に骨肉化してしまっている。それ故、筆者は本稿を作成するにあたり、いちいち引用文献の註は附さないことにした。それにもかかわらず、本稿を作成するにあたり筆者が刺激を受けた文献資料と著者に敬意を表すべく左に記しておきたい。(『近代国家の再検討』慶應義塾大学出版会、1998年、29頁)

うーん。



先週木曜のプロジェクト科目(政治思想研究)は発表担当だった。

前回の授業の報告「「ウェストファリア・システム」という神話」を受けての討論ということだったので、関係する文献を色々読んでコメントを考えていったのだが、結果的には「空振り」でした。

先生の根底にあると思われる問題意識(=近代国際法批判)に引きつけつつ、その研究が具体的にどのような形で近代国際法批判に繋がるのか、もしくは繋がらないのかということについて論じてみたのだが、やはり求められたのはもう少し内在的に研究を検討することにあったようだ。といったところで、そんなことは国際法史もドイツ国制史も政治思想史もド素人の自分には出来ないじゃないか! と思わなくもないのだが…。

授業における議論の中で友人が指摘していた研究の問題点は、「de jure」と「de facto」の問題が研究の中でしっかりと位置づけられていないということで、これが非常に的確な批判で納得させられた。

先生の議論に従えば、近代国際法が成立したのは19世紀以降ということになる。そうであれば、研究で取り上げられている17世紀~18世紀の「国際法」は、いわゆる近代国際法ではなく、それ以前の「慣習」とでも言いうるものである。にもかかわらず、先生の議論は19世紀的な国際法が17世紀~18世紀には存在していない、ということの指摘に終始しているのだ。加えて、分析の際にも「国際法的なるもの」と「国際政治的なるもの」の峻別が明確に行われていない。

こうした点は、つまるところ先生の考える「国際法とは何か」という問題に帰着する。なぜ近代国際法以前の時代と考える17~18世紀を対象にしているにもかかわらず、「国際法」研究にこだわっているのだろうか。

そんなところが議論で出た重要な点だろうか。

ちなみに自分が出したコメントの骨子は、先生の議論は現代の国際法体系を問い直すことに直接繋がるのではなく、近代国際法体系成立を考えるための前提の提供になるのではないか、ということだ。

やや発表は不本意だったが、普段あまり考えることがない問題を考えるいい機会だった。

at 11:59│Comments(2)日々の戯れ言 

この記事へのコメント

1. Posted by りんむー   2008年07月27日 11:53
この「うーん。」はどういったニュアンス?
2. Posted by 管理人   2008年07月28日 12:38
そこは、推して知るべし、です(笑)
もう一本これに似た注が一つだけの論文があるようなのですが、それを夏の内に見つけたいと思います。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字