2008年06月23日

混乱を招く勉強方法(?)。

本の読み方や勉強の仕方というのは、人それぞれ異なるものだろう。効率のいい勉強の仕方はあるのだろうけれども、つまるとことその人にとって一番いいやり方はその人だけのものだ。

自分は――こう言ってすぐに自分の話になるわけだが――同時並行的に本を読むというのは苦手で、学部時代から授業の課題本で毎週一章ずつ進むものだろうと、とにかく一気に読み切ることにしていた。それは、異なる知的体系のようなものを同時に考えるのがあまり得意ではない、と自覚していたからだ。

学部時代は講義があったので、細切れに様々なことを考えなければいけなかったのだろうが、大学四年の時は特殊研究を中心に履修していたので、一気に読み切る方式でも問題はなかった。大学院進学後もこれは同じだった。英語を読むスピードがなかなか上がらずに苦労したことはあったが、論文集などがテキストだった場合は、細切れに週に数章ずつ読んでも、細切れだった感じはあまりなかった。また昨年&一昨年の前期にもぐっていた他大学の授業も、基本的に一週間に一冊研究書を読み切る方式だったので、自分の頭の使い方にはぴったりハマっていた。

ところが、大学院三年目の今年は事情が違ってきた。

英語の本を毎週一章ずつ輪読する授業が二つあり、この他に公刊外交文書を読む授業と、プロジェクト科目(政治思想研究)がある。これだけならまだよかったのだが、この数日は次の読書会で取り上げる研究書(英語)を一章ずつ読み進める作業と、↓の本を読み進める作業を行っているため、頭の中を様々な知的体系が並行している。

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まだ英語文献を日本語文献と同じように一気に読み切って理解する力が無いため、英語文献を読む場合は一日数章ずつしか進まない。また日本語文献でも、それほど強くない理論物は、数章ずるしっかり理解していかなければなかなか頭に入ってこない。この作業に、先に挙げた授業関係の文献の読み込みが入り、さらに自分の研究に関係する文献や資料を空いた時間に読んでいく。この一週間は大体こんな感じで勉強を進めているわけだ。

いくつかの科目を同時並行的に勉強しなければいけない受験を経験していれば、こういった勉強方法の方がやりやすいのかもしれないが、中学受験しかしていない自分には全く向いている気がしない。また一つ一つの作業が、毎日少しずつしか進まないので、何やら毎日消化不良気味であまり勉強が進んでいる感じもしない。

六月が終われば(EURO2008も終わることだし)、こうした「勉強生活」から離れてまた「研究生活」に入ることが出来ると思うので、それまでは耐えたいところだ。



そんなことを言いながらも、注目の新刊はしっかり読んでいけるのが、時間のある大学院生の特権だ。というわけで、最近読んだ中で面白かった文献を一冊紹介しておきたい。

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・宮城大蔵『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書)

 「戦後アジアにおいて、日本とは何だったのか」――そして、そもそも「戦後アジアとは何だったのか」。我々が日本、そしてアジアを考える時、まず思い浮かべるのは北東アジアであろう。朝鮮戦争という熱戦が勃発し、それと共に米中という二つの大国がにらみ合い、北方には極東ソ連軍が控える。こうした冷戦時代の北東アジアの歴史を眺めてみた時、九条=安保路線(吉田路線)の下で経済成長路線をひた走る日本の存在感は、国際政治の舞台でそれほど大きなものではない。著者も言うように、戦後日本は国際的な権力政治の舞台からは「降りた」のかもしれない。二つの分断国家を抱える北東アジアにおいて、こうした状況は現在においても変わっていない。
 しかし東南アジアへと目を転じてみると、冷戦に彩られた北東アジアの戦後史とは異なる歴史が浮かび上がってくる。巨視的に眺めてみれば、東南アジアの戦後は「脱植民地化」という政治闘争――ベトナム戦争もこの一つであろう――に始まり、それが「開発」という大きな波へと変わっていく歴史であった。「脱植民地化」から「開発」へ、これは「政治」から「経済」へ、という言葉で言いかえることも出来よう。そして、この東南アジアの戦後史の中に日本を置いてみると、これまでの日本イメージとはやや異なった姿が見えてくるのである。

 本書は、このような戦後アジアを問いなおす作業を続けてきた著者による待望の新著である。これまで著者が発表してきた著書(『バンドン会議と日本のアジア復帰――アメリカとアジアの狭間で』『戦後アジア秩序の模索と日本――「海のアジア」の戦後史 1957~1966』)や論文(「日中接近とインドネシア――「日・豪・インドネシア三カ国構想」の模索」)をもとに書かれた各章の記述は、迫力と手堅さ、そしてドラマとしての面白さを兼ね備えている。

 日本はいかなる形でアジアに「復帰」したのか――アメリカとアジアの狭間で揺れる日本の姿をバンドン会議という舞台を通して描き出すのが第一章である。
 第二章では、「南進」への課題であり呼び水となった「賠償」問題が描かれる。そして第三章では、マレーシア紛争をめぐって「脱植民地化」「冷戦」「革命」が入り乱れる中で、日本がいかに東南アジアへ「南進」していったのかが取り上げられる――地域秩序の変動の中で、日本が果たそうとしたこと、そして出来なかったことは何だったのろうか。これに続く第四章で取り上げられるのは、戦後アジアの勢力図を大きく塗り替えることになるインドネシアの「9・30事件」とその後の情勢への対応である。本書のハイライトとなるこの第四章では、バンドン会議で本当するアジアのナショナリズムを前に戸惑っていた姿とは異なり、「脱植民地化から開発へ」という動きを率先してリードする日本の姿が描き出される。
 さらに第五章では、「9・30事件」とともに戦後アジア史の転換点となった米中接近と日本の対応のインパクトが、インドネシアとオーストラリアの視点を借りつつ描かれる。「中国問題」の浮上を前にして、新たな課題に取り組む各国の姿が印象深い一章である。

 こうして描かれる戦後アジアと日本の姿は、我々が持っていたイメージとは異なるダイナミズムを持っている。戦後アジアの姿はいかに大きく変わったのだろうか!――この思いは、1970年代後半から現在までの東アジアを描いた田中明彦『アジアのなかの日本』(NTT出版)を読んだ後にも感じたことだ。この30年の変化の背景にある歴史とドラマを本書は丁寧に描き出している。読み物としても面白く学術的にも示唆に富む本書は、歴史研究と新書という媒体の持つ意義を再確認させてくれる一冊である。

 注文を一つだけ。『「海洋国家」日本の戦後史』という題名はミスリードであろう。本書の議論は、高坂正堯の焼き直しでも無ければ、戦後日本の歴史でもない。より大きな戦後アジアを見据えた歴史である。そうであれば、ちくま新書の「~を問いなおす」シリーズの一冊として、『戦後アジアを問いなおす』の方が、より本書のイメージに近いのではないだろうか。

at 12:53│Comments(2)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by がくし   2008年06月24日 02:29
初めてコメントします。足跡からきました。EURO2008を見ていると聞きました。大学院生のおかげで、EUROの視聴率があがってるなって思いました。今度一緒に見ましょう。
2. Posted by 管理人   2008年06月24日 23:32
>がくし君
最近あんま大学で会わないね。…それが、EURO2008は生では全然観れてないんだよ。もう残り試合も少ないが、決勝くらいは生でじっくり観たいところだね。

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