2008年06月21日

気が向いたので更新。

あっという間に週末が来てしまった。といっても、午後に授業が一つあるので、あまり週末という感じもしないのだが…。

先週末は、久しぶりに開催された某研究会に参加してきた。

核問題について、これまでとはやや異なるトランスナショナルヒストリーからの研究ということで楽しみにしていたものだ。初めからこういった新しいアプローチを取るのではなく、昔ながらの外交史を書いた上での新しいアプローチだったので、非常に説得的かつ興味深いものだった。

従来からある古典的な外交史の限界はしばしば言われることであるが、まだまだやらなければいけないテーマはあると思って自分は研究しているわけだ。しかし、改めてそのテーマを研究する意味があるのかと問われた時に、その答えをはっきりと言えるようにしなければいけないのだろう。なぜこの時代・このテーマをこのアプローチからやる必要があるのか。なぜ日本人の自分がやる必要があるのか。そんなことを自問しながら研究をするのはしんどいな?、と頭の片隅で思いながらも、色々と刺激を受けた研究会&懇親会だった。



読む本がたまって仕方がない時に、優先順位を付けるを手掛かりとなるのが書評だ。学会誌に載る書評は掲載までやや時間がかかるので、参考になるのは新聞や月刊誌の書評なのだが、最近はインターネット上でも結構書評が充実してきたのが嬉しい(新聞書評も日経以外はネットで読むことが出来る)。

そんな一つが、三省堂書店HPにある「神保町の匠」(リンク)という書評サイトだ。まだ開設されてから二ヶ月弱だが、一週間に二冊程度をコンスタントに紹介してくれるので更新を楽しみに待っている。人社系の編集者が評者陣に揃っているので、専門的にどうこうということよりも、面白い本を積極的に紹介しているといった感じなのが、本好きとしては嬉しいところだ。



毎月楽しみにしている毎日新聞の連載「権力の館を歩く」。政治家の私邸や別荘から官庁まで、「館」を切り口に時の権力について思いを馳せるという趣向が格別に面白い。毎月第三水曜日に紙面に掲載されるのだが、今回は池田勇人特集だった(リンク)。なお、今回のネット版には写真が無いので、興味のある方はぜひ紙面の方をチェックして欲しい。

今回面白かったのは池田邸の庭だ。庭園巡りが好きな自分にとって、権力者達の庭作りは非常に興味がそそられるものなのだが、写真を見る限り池田の庭はお世辞にもいい趣味とは言い難い。

信濃町にも週末を過ごす仙石原にも共通していること――それは館の広いガラス戸に向かって雑然とした木々と石が鬱蒼とした雰囲気を醸し出し、廻遊式の池が館をめぐり、開放的な芝生の平地が突然出現し、大小の灯籠があちこちに立っている。石も灯籠も出物があると、それとばかりに池田の号令一下集められた。「石にも木にも顔がある」と述べた池田は、その置き方をめぐって庭師や植木屋と大ゲンカ。ついには一族郎党、秘書、SPを総動員しての「庭」づくりだ。あまりいい趣味じゃないと大平正芳は言い放った。

ということらしい。

今の権力者達にも、こうした「庭作り」のような文化は残っているのだろうか。世知辛い世の中だけに、なかなか難しいのかもしれない。そもそも多くの使用人を使う「邸宅」が大っぴらに許される時代でもない(田舎の感覚からすれば普通の大きい家という程度の赤木元農相宅がバッシングされる時代だ)。

移りゆく時代を嘆くのは趣味ではないが、何事もビジネスライクな世の中というのはあまり面白くはないな、と嘆息してしまう。

at 10:39│Comments(4)日々の戯れ言 

この記事へのコメント

1. Posted by りんむー   2008年06月21日 12:03
池田邸は信濃町にあったはずですが、今は何になってるのでしょうね。
2. Posted by りんむー   2008年06月21日 12:46
よく読むと信濃町は引用に書いてありましたね。
3. Posted by Hamy   2008年06月22日 01:29
『一億人の昭和史』の宰相列伝号に掲載されていた、やたら大きな庭石の横で満足げな顔をしている池田の写真が印象に残っています。
この手の「昔の政治」ネタだと、6/21毎日の岩見隆夫のコラムにあった料亭政治もそれですね。
4. Posted by 管理人   2008年06月22日 15:29
>りんむーさん&Hamy
こういったエピソード物についつい触手が動いてしまうのは、やはり歴史をやっているからなんですかね(笑)今から50年経った時に出てくるエピソードは、「干からびたチーズ」辺りがせいぜいですかね。

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