2008年05月31日

五月も終わり。

あっという間に今月も終わってしまった。

幅広く文献を読んだり、授業の文献の「貯金」を作ったり、バイトに追われていたりしていたら、いつの間にか一ヶ月経ってしまったという印象は否めないが、それなりに得たものはあったと思う。自分の研究の意義を少し文脈を広げて考えることは出来たが、研究自体はほとんど進められなかった。関係する回顧録を読んだり、同時期の関連する資料を少し読んだりといった程度だろうか。来月は自分の研究に取り組む一ヶ月にしたいところだ。

そんな今月最後の日は、冷戦史の「修正主義」に取り組む一日だった。先日ここにもちらっと書いた、麻田貞雄のレビュー(「冷戦の起源と修正主義研究 ―アメリカの場合―」『国際問題』1974年5月号)を読み返し、ウィリアム・A・ウィアリアムズ『アメリカ外交の悲劇』(御茶の水書房)を読んで帰宅。その後、英文のレビュー数本を流し読みし、ガブリエル・コルコの邦訳に少し目を通したところでこの時間になってしまった。

明日の読書会のために読んでいたわけだが、こんなきっかけでもないと「修正主義」の研究は、レビューを読む程度で飛ばしてしまうのでいい機会だった。が、今後じっくり読む機会はなかなか無いような気もする。さて、どういった議論になるのやら。



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升味準之輔『なぜ歴史が書けるか』(千倉書房)。

ゴールデン・ウィークにざっと読み、今週改めて熟読した。じっくりと紹介したいのだが、今日はちょっと時間がないのでひとまず出版社HPの紹介文をここに載せておくことにしたい。あまり書棚では目立たないであろう上品な装丁、『UP』連載当時と同じくシンプルながらも凄味を感じる題名に、ぐっとくるのは自分だけではないと思う。多くの人に手に取って欲しい一冊だ。

碩学の思索、時空を往還す

 若くして『日本政党史論』(東京大学出版会、全七巻)を著し、日本の政治研究に偉大な足跡を残す升味準之輔先生。「55年体制」という言葉の生みの親としても知られ、一貫して歴史に学ぶことの重要性を説き続けてきた泰斗は今年(二〇〇八年)八十二歳を迎えました。
 本書は二〇〇二年、東京大学の御厨貴教授の私塾で行われた、若き政治学徒たちとの刺激的なセッションから生み出されました。 意欲的な研究者とのやり取りに触発された升味先生は、彼らのみならず、若い世代のために、自身の蹉跌や経験、方法論などを書き残そうと考えたのです。
 升味先生は刻苦の末、一年がかりで五百枚の原稿を書き上げました。驚くべきことに、それは専門である政治史を切り口に歴史と人間の関わりを探る、優れた歴史学研究のテキストとなっていたのです。
 揺るぎない視座から、透徹した視線で「史料と追体験」「原因と結果」「伝記研究」「メタヒストリー」「歴史と社会科学」といったテーマが論じられ、人は如何に歴史を描くか、あるいはそこから学ぶかが、膨大な史書を引きつつ語られます。ローマ、ギリシャ、ヨーロッパ、ソヴェト、アメリカ…。紀元前から二一世紀まで、碩学の筆は時空を縦横に往還します。
 歴史に心を寄せる諸賢にぜひとも一読を乞います。


at 22:44│Comments(0)本の話 

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