2008年05月29日
今週の授業(5月第4週)。
昨日までの暑さから一転して今日は寒い雨。そろそろ梅雨の足音が近づいてきているのだろうか。
◇
今週の授業。
<水曜日>
3限:国際政治論特殊研究
今回は、Part?:SovereigntyのChapter5 Self-determinationが範囲。
前回のナショナリズムの話ほど分かりにくいわけではないが、自決の問題もなかなか難しい。自決権は、国連憲章にも定められた国際社会の規範の一つだが、定義が微妙な部分が多い。国連憲章及び世界人権宣言においては、nationではなくpeopleの自決権に言及しているが、その定義の客観的基準を定めることは、どちらにしてもpeopleにしたところで困難なわけだ。
慣例的に認められて機能した自決権は結局のところ「脱植民地化としての自決」のみであり、その他の自決権については様々な問題が生じている。本章では「脱植民地化としての自決」という慣例的解釈への主たる挑戦として、分離主義者(secessionist)によるものを取り上げて論じている。
やや話は逸れるが、ここで挙げられていた冷戦時代の危機として挙げられていたのは、カタンガ、ビアフラ、バングラディッシュの三つである。それぞれ、コンゴ、ナイジェリア、パキスタンが舞台だが詳細について知識が共有されているわけではない。バングラディッシュは比較的よく知られているし、カタンガは、ゼミでたまたまブライアン・アークハートの回顧録を読んでいたので知っていたのだが、ビアフラについてはほぼ全く知らなかった。こうして事象がさらっと出てくるのもこの本の難しいところだ。
今回は来週の範囲であるChapter6 Reappraisalまで熟読していたので、何とか話は分かったのだが、主権の話に入っていよいよ話が分かりにくくなってきたという印象だ。授業での先生の話が、自決そのものというよりはその前提となるnationとstateの話にほぼ終始していたことは、この問題の難しさや複雑さを表しているのだろう。
毎週のことながら、自分の知識や考えている範囲の狭さを自覚させられる。
<木曜日>
5限のプロジェクト科目(政治思想研究)は休講。代わりに来週土曜日に授業がある。今回は読んでいかなくてはいけない文献が多いので、やや準備が大変だ。
2限:国際政治論特殊研究
外交文書を読むのも今回で三回目ということで、いよいよMBFRの本交渉に入ってきた。が、それが問題で、とにかく文書の中身は細かい数字が入ってきたり、技術的な話が多かったり、と率直に言って自分にはあまり面白くない。
その面白くないところからいかに面白い話を見つけるか、逆になぜ面白くないかを考えてみるというのが、ここで求められることだろう。今回は、時期的には1973年10月~1974年1月の文書が範囲だったのだが、なかなか話が進展せず同じ話の繰り返しが多かった。しかし、これはある意味で当然だろう。この時期は第四次中東戦争が勃発し米欧関係が緊張し、さらに中東戦争の余波として石油危機が発生した時期だ。こうした時期にもともとイギリスがそれほど乗り気ではないMBFR交渉にどれだけ力を入れられるかは自ずと明らかだろう。
こうなってくると重要になるのは、テキストをただテキストとして読むのではなく、そのコンテクストを縦(時代)と横(テーマ)に位置づけて理解することだろう。それに加えて、文書がどのレベルの文書なのかということもよく考える必要がある。こうした作業は、去年論文を書いている過程で嫌と言うほど考えてきたことだ。
さて、次回以降は話が進展するのだろうか。
と書いたものの、MBFRそのものはその後まとまらなかった話なので、進展はあまり期待できない。どこに面白さを見つけるのかが、なかなか難しい。余力があれば、FRUSにも簡単に目を通したい。
4限:国際政治論特殊研究
先週は休んでしまったので、授業に参加するのは二週間ぶりだ。近年のJapan Studiesのスタンダードな日本理解の根幹にあるのが何か、ということについて先生から説明があった点が個人的には興味深かった。
サミュエルズにしてもクリストファー・ヒューズにしても、共通するのは「自衛隊」に対する強い関心である。問題は、彼らが安全保障専門家ではない点だろう。彼らの自衛隊に対する過剰評価は、安全保障専門家・軍事専門家の評価とはかけ離れている。う~ん、なかなか難しい。
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今週の授業。
<水曜日>
3限:国際政治論特殊研究
今回は、Part?:SovereigntyのChapter5 Self-determinationが範囲。
前回のナショナリズムの話ほど分かりにくいわけではないが、自決の問題もなかなか難しい。自決権は、国連憲章にも定められた国際社会の規範の一つだが、定義が微妙な部分が多い。国連憲章及び世界人権宣言においては、nationではなくpeopleの自決権に言及しているが、その定義の客観的基準を定めることは、どちらにしてもpeopleにしたところで困難なわけだ。
慣例的に認められて機能した自決権は結局のところ「脱植民地化としての自決」のみであり、その他の自決権については様々な問題が生じている。本章では「脱植民地化としての自決」という慣例的解釈への主たる挑戦として、分離主義者(secessionist)によるものを取り上げて論じている。
やや話は逸れるが、ここで挙げられていた冷戦時代の危機として挙げられていたのは、カタンガ、ビアフラ、バングラディッシュの三つである。それぞれ、コンゴ、ナイジェリア、パキスタンが舞台だが詳細について知識が共有されているわけではない。バングラディッシュは比較的よく知られているし、カタンガは、ゼミでたまたまブライアン・アークハートの回顧録を読んでいたので知っていたのだが、ビアフラについてはほぼ全く知らなかった。こうして事象がさらっと出てくるのもこの本の難しいところだ。
今回は来週の範囲であるChapter6 Reappraisalまで熟読していたので、何とか話は分かったのだが、主権の話に入っていよいよ話が分かりにくくなってきたという印象だ。授業での先生の話が、自決そのものというよりはその前提となるnationとstateの話にほぼ終始していたことは、この問題の難しさや複雑さを表しているのだろう。
毎週のことながら、自分の知識や考えている範囲の狭さを自覚させられる。
<木曜日>
5限のプロジェクト科目(政治思想研究)は休講。代わりに来週土曜日に授業がある。今回は読んでいかなくてはいけない文献が多いので、やや準備が大変だ。
2限:国際政治論特殊研究
外交文書を読むのも今回で三回目ということで、いよいよMBFRの本交渉に入ってきた。が、それが問題で、とにかく文書の中身は細かい数字が入ってきたり、技術的な話が多かったり、と率直に言って自分にはあまり面白くない。
その面白くないところからいかに面白い話を見つけるか、逆になぜ面白くないかを考えてみるというのが、ここで求められることだろう。今回は、時期的には1973年10月~1974年1月の文書が範囲だったのだが、なかなか話が進展せず同じ話の繰り返しが多かった。しかし、これはある意味で当然だろう。この時期は第四次中東戦争が勃発し米欧関係が緊張し、さらに中東戦争の余波として石油危機が発生した時期だ。こうした時期にもともとイギリスがそれほど乗り気ではないMBFR交渉にどれだけ力を入れられるかは自ずと明らかだろう。
こうなってくると重要になるのは、テキストをただテキストとして読むのではなく、そのコンテクストを縦(時代)と横(テーマ)に位置づけて理解することだろう。それに加えて、文書がどのレベルの文書なのかということもよく考える必要がある。こうした作業は、去年論文を書いている過程で嫌と言うほど考えてきたことだ。
さて、次回以降は話が進展するのだろうか。
と書いたものの、MBFRそのものはその後まとまらなかった話なので、進展はあまり期待できない。どこに面白さを見つけるのかが、なかなか難しい。余力があれば、FRUSにも簡単に目を通したい。
4限:国際政治論特殊研究
先週は休んでしまったので、授業に参加するのは二週間ぶりだ。近年のJapan Studiesのスタンダードな日本理解の根幹にあるのが何か、ということについて先生から説明があった点が個人的には興味深かった。
サミュエルズにしてもクリストファー・ヒューズにしても、共通するのは「自衛隊」に対する強い関心である。問題は、彼らが安全保障専門家ではない点だろう。彼らの自衛隊に対する過剰評価は、安全保障専門家・軍事専門家の評価とはかけ離れている。う~ん、なかなか難しい。
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