2008年05月23日

今週の授業(5月第3週)。

梅雨に入る前に初夏のような暑さが到来し、ややバテ気味です。



今週の授業。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊研究

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↑のPart?:SovereigntyのChapter4 Nationalismが今週の範囲。本・部・章それぞれの題名が非常にシンプルだ。

前回までは国際社会(international society)に関する章だったが、今回からは主権(sovereignty)に関する章が三回続く。今回は章題のとおりナショナリズムがテーマだが、ここでのナショナリズムの定義は通常用いられるものよりも若干狭い意味で使われている。すなわち、「一つのネイションが一つのステイトを求める思想」としてのナショナリズムである。

ナショナリズムを巡る問題は非常に難しい問題であり、その難しさを今回の授業でも再確認した。個人的に興味深かったことは、著者の「政治的アイデンティティーは偶発的問題(contingent matters)であり、その偶発性は合理的な議論や民主的投票などで解決できる問題ではない」という主張だ。前段の問題は、とかく合理的に物事を説明しようという傾向が強い国際政治学の中で、さらっと「偶然」の重要さを指摘している点が面白い。そして後段は、著者一流の皮肉だと思うが、これは平和構築の問題を考える上で非常に重要な問題をも投げかけている。

一文一文それぞれが示唆に富んでいるので、読み進めていくのは楽しいがちょっと疲れる、というのも正直な気持ちだ。日本語で読みたい。

ちなみに、ナショナリズムの問題は、Nationalism and International Society ( Cambridge : Cambridge University Press, 1990 )という著書でさらに掘り下げて論じられているらしいので、時間があれば目を通したい。

<木曜日>

2限:国際政治論特殊研究

今回が実際の外交文書に入って第二回目。だんだんとこの前書いた論文で扱った時代に入ってきた。論文には直接生かすことは出来なかったが、昨年夏はDBPOのYear of Europe & Energy Crisisを読んだのは先週書いたとおりだ。しかし、今回の授業で読んでいるMBFRに関する資料から受ける印象と、Year of Europe & Energy Crisisの資料との印象があまりに異なるので、やや消化不良気味だ。

いずれにしても重要なことは、タテ(時代)とヨコ(テーマ)をそれぞれ広げて考え、その中に読んでいる資料を位置付けていくということだ。それが言うほど簡単でないのが難しい。特に、1970年代という新しい時代だけに、信頼できる外交史研究の数がまだまだ限られていることが、この問題をさらに難しくしているのだろう。

加えて、このMBFRはうまくいかなかった話だ。様々な観点からプラスに評価することは出来るだろうけれども、結局MBFRそのものは失敗に終わったわけだ。こうした失敗例をどのように取り扱うか、ということは成功例を取り扱うよりも数段難しい。同様の問題は「ヨーロッパの年(Year of Europe)」を扱う場合にも起こりうることだ。もっとも「ヨーロッパの年」は、提起したアメリカにとっては失敗だったわけだが、元々乗り気ではなかったヨーロッパ諸国にとっては、潰れたこと自体は成功だったと言えるのかもしれない。ん~、難しい。

やや話がずれてしまったが、今回で予備交渉が終わり、いよいよ次回からは本交渉のに入る。時期的には1973年夏~だ。秋には第四次中東戦争が始まって米欧関係はさらに悪化することになるだけに、さらにこのMBFRをどのように位置付けるのかが難しくなってくる。さて、授業ではどのように議論されるのだろうか。

3限は、野暮用がありお休みしてしまった。今期はこれで二回目の欠席。あと一回休む予定なのだが大丈夫だろうか。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

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今週は↑に関する著者の講演を踏まえた討論だった。

やや知的体力に余裕が無いので論評をしないが、個人的にはこの本を読んで、同じ思想を対象としても、やはり文学部系と法学部系の描き方が違う点が興味深かった。本の副題は「ヨーロッパ中世の<ことば>と<こころ>」だが、中身は「誓い」が持つ「聖性(強制力)」に関するもので、社会秩序の観点から「誓い」を論じている本としても読める。

しかしこの本では、「なぜ誓いが聖性を持ったのか」ということがそれほど突き詰めて考えられているわけではない。今回の発表者によるまとめを借りれば、著者による「答え」は?「誓い」が社会形成において重要な位置を占めていたため、?社会の紐帯が強く名誉や信頼の喪失が制裁として機能していたため、?人々が現世や来世における神の罰を恐れたため、という三つにまとめられている。しかし、授業である先生が指摘していたように、ただ?を読めばトートロジーのようでもあるし、?についてはなぜ社会の紐帯が強かったのかという新たな疑問も湧いてくる。新たな「なぜ」が浮かんでくるのは?も同様である。それが例え「暫定的仮説」に留まるとしても、やはりもう少し掘り下げた「なぜ」を問うのが法学部系の議論であり、そこは史料に語らせることによって禁欲的になるのが文学部系の議論ということなのだろうか。

そんなことを漠然と感じた。

at 20:41│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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