2008年05月11日

再び読書会。

忙しい一週間を過ごしたからといって週末に休むこともなかなか出来ないのが大学院生活だ。いつまでも終わりのない研究生活だけに、うまく自分で時間を決めて休む必要もあると思うのだが、今週は勉強を優先した。というわけで、以下は今日の読書会の話。

準備会合を兼ねて論文を読んだ会合が第0回から第1回に格上げになったため、今日が第3回の読書会となった。三回続いた研究会は続くというジンクス(?)があるらしいので、うまく続けていけるといいと思う。

今日は、メインのテキストとして細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、2001年)を取り上げ、サブテキストは、Klaus Schwabe,"Atlantic Partnership and European Integration: American-European Policies and the German Problem, 1947-1969," in Geir Lundestad (eds.) No End to Alliance: The United States and Western Europe: Past, Present, and Future ( New York: St.Martin's, 1998) と、D. C. Watt,"Rethinking the Cold War: A letter to a British Historian," The Political Quarterly, vol.49 (1978) の二本の論文だ。

門外漢ながらメインのテキストの報告を自分が担当し、ヨーロッパ外交史が専門の後輩がサブテキスト二本を担当した。報告原稿を作ったので、若干修正してここに載せておくことにしたい。

メインテキストが博士論文を基にした本だったので、メンバーの今後の研究を含めて色々と話すことができたので楽しかった。



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細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)

1、目的/視角

 「本書は、第二次世界大戦後のヨーロッパにおいてどのように国際秩序が形成されていったのかを、イギリス外交を中心に論ずることを目的とする。その中でもとりわけ、一九四七年以降に英米仏三国間でどのようにして、西ヨーロッパの平和と安全保障の確立を目指したのかを、その外交交渉に注目して検討することになる。そして国際秩序の形成には、外交という伝統的な政治的叡智が極めて重要な意味を持つことを主張する」(3頁)。

 冒頭でこのように本書の目的を明らかにした上で、著者は、戦後ヨーロッパ国際政治史に関する膨大な数の先行研究の多くが?「米ソ冷戦史観」と?「欧州統合史観」に分裂していると指摘し、両者を統合的に論じることを本書の視角として設定している。
 結論を先取りすれば、本書が描き出す戦後ヨーロッパ秩序とは、「ヨーロッパ分断」体制を指す。著者の言葉を借りれば、それは「米ソ対立に基づく「勢力圏分割」とは本質的に異なる。むしろ、度重なる外交の結果形成された、より慎重で、より妥協的で、そしてより協調的な「分断ヨーロッパ」としての国際秩序」(15頁)である。

 この「ヨーロッパ分断」体制に至る過程でイギリスが求めたのは、1947年2月のヨーロッパ講和条約に帰結する「大国間協調」、ブリュッセル条約や欧州審議会に帰結する「西欧統合」、そして北大西洋条約に帰結する「大西洋同盟」という三つの枠組みに基づくものであった。本書は三部によって構成されるが、それぞれ第?部で「大国間協調」、第?部で「西欧統合」、第?部で「大西洋同盟」がそれぞれ検討されている。以下、簡単に各章の概要を紹介しよう。

2、本論の概要

 第?部「戦後平和の模索 大国間協調体制の展開と限界」では、1945年7月から1947年12月の、外相理事会における四大国の外交を中心に、大国間協調体制の終焉までが描かれる。ここではまず、「戦後ヨーロッパの「分断線」が、大国間協調の枠組みの中での外交交渉」によって引かれたことが指摘される(33頁)。1947年2月に提示された「ベヴィン・プラン」は「ドイツ分断」の可能性を実質的に志向するものであり、大国間協調体制の終焉に重要な意味を持った。その後、トルーマン演説(1947年3月)、マーシャル・プラン表明(1947年6月)とその後の交渉を経て、大国間協調体制は最終的に終焉を迎えるのであった。この過程で、マーシャル・プランの重要性をいち早く理解したベヴィンは大きな役割を果たした。

 第?部「西欧統合の胎動 英仏協調と西欧同盟」では、1948年1月から1950年5月の、西欧統合をめぐる外交が描かれる。大国間協調体制が崩れたことによって、イギリスは英連邦と西欧諸国の協力によるヨーロッパ「第三勢力」構想を志向するようになり、その具体的な形として「西欧同盟」を提唱した。しかしながらイギリスの西欧統合は、国家間協力としての西欧統合であり、「ドイツ問題」を背景に超国家的な統合を志向するフランスと対立することになった。結局この問題でアメリカの承諾を勝ち取り、イニシアティブを取ったのはフランスであった。シューマン・プランの表明を経て、西欧統合は、「イギリスなどの超国家的統合を敬遠する諸国を抜きとした、「小欧州」のみによる統合」(157頁)となったのである。こうして1949年10月には、「西欧同盟」構想は潰えることになり、イギリスは「第三勢力」構想を明確に放棄することになった。

 第?部「大西洋同盟の形成 西側安全保障とドイツ再軍備問題」では、1948年3月から1950年12月の、大西洋同盟形成をめぐる外交が描かれる。第?部で述べられているように、イギリスの「第三勢力」構想に基づく「西欧同盟」を求める試みは成功しなかったが、1948年3月以降、イギリスは西欧統合をめぐる交渉を続ける一方で、英米間で「大西洋同盟」をめぐる交渉を行っていた。交渉を経て1949年8月には北大西洋条約が正式に発効する。英米交渉の背景にあったのは、1948年2月のチェコスロヴァキア危機を受けてベヴィンがアメリカとの協力を求めるようになっていたことである。そして、「西欧同盟」から「大西洋同盟」というイギリス外交の変化に決定的に重要な意味を持ったのがストラング委員会であった。1949年2月に始まったストラング委員会の報告は、最終的に同年10月の閣議で了承され、「英米関係の緊密化」がイギリス外交の柱として据えられることになった。その後、「ドイツ問題」の再浮上を経て、1950年9月からは「ドイツ再軍備」をめぐる交渉が同年12月まで行われ、紆余曲折はありながらも北大西洋機構が確立したのであった。

3、結論

 以上に簡単に紹介してきたように、本書は1950年12月のNATO成立によって終わる。「目的」と同じく、結論も本書から引くことにしたい。
 「一九五一年にはもはや、戦後ヨーロッパ秩序の構図は誰の目にも明らかであった。「鉄のカーテン」を境界線として、二つのブロックが対峙する「ヨーロッパ分断」体制が形成されたのである。その分断線を越えて他方のブロックに介入するには限界があった。西欧諸国政府はあくまでも、西欧ブロックの内側での国際秩序の安定と経済復興を目指したのである。…この「ヨーロッパ分断」体制としての戦後国際秩序は、少なくとも一九八九年の東欧革命、そして一九九〇年のドイツ統一まで、その基本的枠組みを維持することになる」(249頁)。
 「国際秩序とは結局のところ、人間の手によってつくられるものである。そこには多様な利益や理念が集まり、それらが衝突し調整される中、そして相互理解が深まり妥協に到達する中で、現実の国際秩序が形成される。その過程を詳細に検討することは、平和の本質、安全保障の本質を理解する上で不可欠となるであろう。人間の行動に基づく作業である限り、そこに欠陥があり、問題があり、不満が残ることはやむを得ないだろう。しかしながら結果として、戦後世界で「ヨーロッパ分断」体制としての国際秩序を各国が受け入れ、その土台の上で相互利益の調整や危機管理を続けたのである」(252頁)。

4、若干のコメント

 以上の内容紹介を踏まえて、若干のコメントをしておきたい。本書の出版後、日本ではイギリス外交史研究が大きく発展を見せている。著者自身が多くの概説書・通史を表している現在では、第二次大戦後のヨーロッパ国際政治をイギリスの視点から描きだすことに違和感はそれほど無く、むしろその視点の方が自然に感じるかもしれない。しかし、我々が本書を評価する際には、本書出版以後の著者を中心とするイギリス外交史家の活躍による研究状況の変化を考慮する必要があるだろう。

 本書は、第二次大戦後のヨーロッパ国際政治について、「米ソ冷戦史観」と「欧州統合史観」を「戦後ヨーロッパの形成」という観点から統合するとともに、イギリス外交というストーリーの軸を設定することによって、膨大な先行研究との違いを導き出している。世界大戦の終わりはただちに新しい国際秩序をもたらすわけではない。その過程を外交史として描き出す意義は本書から十二分に伝わってくる。ただし本書の切り口や結論は、著者自身も断っているように、John W. YoungやMarc Trachtenbergの諸研究と類似している点は多いとも言える(著者の、Marc Trachtenberg, A Constructed Peace の評価については『国際政治』第129号参照)。
 もっとも、膨大な先行研究や着想が類似した研究の存在によって、本書の価値が下がるわけではない。むしろ、誰かが研究に手を付けているとそこには触れない傾向が強い外交史の世界にあって(この傾向はとりわけ日本の学界に強い)、本書のように史料的に新しさがそれほど無くとも、分析視角の斬新さによって新たな歴史像を提示することは極めて重要であり、歴史研究の持つ可能性を再確認させる。戦後ヨーロッパで行われた重要な外交交渉を、その流麗な文体で再現した本書は、学術書としてだけではなく一つの歴史小説としての面白さも兼ね備えていると言えよう。

 「戦後ヨーロッパの形成」を分析する際に、本書が重視するのが「外交」の役割である。「ヨーロッパ秩序形成」を巡って複雑に展開した外交交渉を描くことによって、その重要性とともに限界も詳らかにしている点は説得的である。とりわけ第?部で描かれるヨーロッパの「分断線」が固まっていく過程で、外交交渉が果たした役割が極めて大きいことは説得的である。冷戦史研究の観点からは軽視されがちな1945年~1947年に展開された外交の意義は、アメリカで進められた冷戦史研究への批判の観点からヨーロッパの外交史家によって強調されてきたものであり、本書の叙述からもその一端を伺うことができる。トルーマン・ドクトリン発表以前のヨーロッパ国際政治を考える上では、イギリスはアメリカ以上に重要な役割を果たしたと言ってもいいかもしれない。

 本書を通読して感じた一番の疑問は、「ヨーロッパ分断」体制は1950年12月に完成とは言えないのではないか、というものである。もっとも、この点に著者は自覚的であり、第8章や終章では1955年が重要だったことが示唆されている。さらに、著者の第二作『外交による平和 アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、2005年)によって、この疑問に対する著者自身による回答は出されている。

 最後に、中西寛京大教授による書評(中西寛「外交の可能性への問いかけ ―細谷雄一著『戦後国際秩序とイギリス外交』を読んで―」『創文』2002年1・2月号)の中で本書に提示された疑問の中から三点を提示しておくことにしたい。?イギリス外交は、当時の指導者や官僚が考えていたほど一貫し、かつ影響力を持っていたのであろうか。?この時代に「外交」がもった意味は、やはり古典外交の時代とは違うのではないだろうか。?戦後国際秩序の中で、「ヨーロッパ」に対してはどれほどの比重が与えられるべきであろうか。以上の疑問は、本書が描き出す「戦後国際秩序とイギリス外交」を考える上で、どれも重要な問題である。それは本書の問題というよりも、むしろ戦後のイギリス外交そのものに潜む問題と言えるのかもしれない。

at 23:06│Comments(0)本の話 

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