齋藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房)再びこの数日。

2008年04月28日

この数日。

大学が休みだろうと院棟に通ったり、授業に出たり、バイトに行ったり、先輩に研究相談をしたり、飲んだり飲んだり、家庭教師に行ったり、またバイトに行ったり、萩尾望都ブームが到来したり。日常。こんな平凡な毎日でも色々なことを考えたりするわけだ。

バイトは色々と面白い経験も出来るが、やはり腰を据えて自分の研究をやる上では出来る限りやりたくないというものだ。GWで周りの人があまりこないこともあり、次の出勤は約2週間後。この間にたまっているやらなければいけないことの数々をこなしておきたい。



先週の授業の話。

木曜日は授業の日だ。2限は、イギリスの公刊資料集であるDBPOを読もうという授業。今回の授業は、前回の記事に書いた本をテキストにディスカッションをした。自分が修士一年の時は、他分野だろうと何だろうと、無知をさらけ出しながら好き勝手にしゃべっていた。これが出来るのは、専門が固まる前の修士一年の特権でもある(俺は今でも好き勝手に話してるけど)。が、この授業では、なかなか修士一年生が話さないのが残念だ。もっとも、自分を含めて数年間この授業を取り続けている人たちが作り出す「馴れ合いの雰囲気」のようなものが、そうさせているのかもしれない。

4限は、Richard J. Samuels, Securing Japan: Tokyo's Grand Strategy and the Future of East Asia の輪読。これは、授業が終わるまでノーコメントということにしたい。が、一つだけ。やっぱり先行研究をしっかり読んでいない本を精読するのは辛い。

5限は、プロジェクト科目。テキストは先週に続いて↓

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著者がいるにも関わらず有意義な討論にならないのはなぜだろう、と少し考えてしまった。

ある先生の「『思想を殺す思想(=原理日本社の思想?)』に対する警戒感が必要」というコメントは納得できるものだが、その発言の裏にはこの本で扱われている思想そのものに対する嫌悪感があるのだろうな、と感じてしまう。そんな雰囲気を皆が共有しているからこそ、議論がなかなかうまく回らないのだろうか。

そのコメントに対する著者の返答は、「その指摘はもっとも」と断った上で、「右翼思想があのような展開をしたのには、それなりに論理的な理由があったことを明らかにしたかった」(大意)というもので、自分にとっては納得がいくものだった。

「思想を殺す思想」は確かに危険だが、思想だけで多くの人が殺されるわけではない。やはり国家は、力・利益・価値それぞれの体系の総合であり、価値だけをいたずらに過大評価して考えるのは、例えそれが政治思想の授業であっても違和感を覚える。

at 20:28│Comments(3) ゼミ&大学院授業 

この記事へのコメント

1. Posted by Goro   2008年04月28日 21:56
馴れ合いが問題なのかな~。
とはいえ、専門が近いとはいえ自分ばっかりしゃべるというのも
あまり気分がよいものでもない。
ある種の「論争」を授業でもしてみたいものです。
2. Posted by kama   2008年04月29日 11:44
とりとりさんやGoroなどがいる前で、特権行使による無知の露呈を怖がっているのかもしれませんね。
僕はお構いなしに今でもさらけ出してますが…苦笑
3. Posted by 管理人   2008年04月29日 13:58
俺は日本外交、しかも経済の話だからヨーロッパの話なんかド素人だぜ(笑)学年に関わらず好き勝手に発言できるのがうちの大学のいいところだから、遠慮せずに話せばいいのにね。先輩に煙たがられるくらいの元気のいい後輩がいるといいよなー、Goroみたいな(笑)
今週の討論はGoroということで、普通に考えればまたM1離さず、ということになりそうだよ。無理矢理、○○君はどう思う? 的な質問をGoroがするのがいいんじゃん。

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齋藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房)再びこの数日。