2008年04月25日

齋藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房)

昨日の授業で取り上げた本を紹介しておきます(※授業向けの討論を基にしているので、やや論争的な書き方になっています)。



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齋藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房、2006年)

 冷戦はなぜ終わったのだろうか。冷戦起源論から始まった戦後国際政治史の研究は、徐々にその関心をこの新たな問いに向けつつある。とはいえ、各国の資料公開状況を考えれば、冷戦終結が歴史研究の対象となるには今しばらく時間がかかるだろう。そうした中で、近年注目が集まっているのがデタント期である。実際に冷戦が終結するのは1990年前後であるが、デタント期における冷戦の変容に注目する論者は少なくない。例えば高坂正堯は、デタントによって冷戦が質的に変容したとして、1980年代の「新冷戦」を「『余分』の対立」と形容している。また、日本外交の文脈でも70年代の政策が冷戦後の政策の「リハーサル」だったとする研究もある。デタントを「冷戦の終わりの始まり」と捉える本書は、こうした問題関心と近い立場から冷戦変容期(=ヨーロッパ・デタント期)のヨーロッパ国際政治をイギリスの視点から分析した国際政治史研究である。

 初めに資料面について若干のコメントをしておきたい。巻末の主要参考史料・文献一覧には、未公刊資料としてイギリス公文書館資料及びNATO公文書館が、公刊資料としてはイギリス、アメリカ、フランス、ドイツがそれぞれ挙げられている。しかしながら、各章の注を詳細に検討すれば、アルメル研究の分析に際してNATO公文書館所蔵資料を検討している第三章を除けば、ほぼイギリス公文書館所蔵資料を利用していることが分かる。アメリカ及びドイツについては、イギリスの資料と併記される(例えば第5章注14など)か、第2章の一部(56-59頁)のように公刊文書が部分的に検討されるにとどまっている。このように考えれば、本書はいわゆるマルチ・アーカイヴァル・アプローチに基づいた研究ではなく、イギリスの外交文書に基づいたイギリス外交史研究と考えるべきであろう。
 近年の国際政治史研究では、マルチ・アーカイヴァル・アプローチが好意的に評価される傾向があるようだが、資料レベルが異なる各国の資料を組み合わせることの問題はそれほど自覚的に意識されていないように思う。日本における研究でも宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』(創文社)のような稀有な例外はあるが、本来の意味でのマルチ・アーカイヴァル・アプローチが成功している研究はそれほど多くない。
 本書の目的(の一つ)が「イギリスの視点からのデタント期の考察」にある以上、資料レベルの異なる各国資料をいたずらに組み合わせずに、着実にイギリスの資料を検討していることは、むしろ本書の優れた点であると言えよう。

 閑話休題。冷戦期のヨーロッパ国際政治は、多数のアクターと多様な現象が複雑に絡み合って展開された。東西に分断されたヨーロッパ、域外大国としてのアメリカ(+ソ連?)の関係に加えて、冷戦及びヨーロッパ統合や脱植民地化は相互に関連していた。こうした複雑な国際政治を歴史的アプローチから研究する際に重要になるのは、ストーリーの軸(≒分析視角?)を定めることであろう。ストーリーの軸を定めることによって、複雑さをただ複雑さとして説明するのではなく、どのように複雑なのかを明らかにすることが可能になる。
 本書が対象とするデタント期は、冷戦期の中でもとりわけ様々な要素が錯綜した時代であった。デタントには、MBFR(相互均衡兵力削減)やSALT(戦略核兵器制限交渉)などの軍事的側面と、本書でも取り上げられているCSCE(欧州安全保障協力会議)における「人・情報・思想の自由移動」などある種の文化的側面や、経済的側面などが複合的に連関していた。これらの側面は、「米ソデタント(超大国デタント)」と「欧州デタント」の違いとも関係している。また、デタントの進展には、東西関係だけでなく「西西」関係も重要な影響を与えた。さらにヨーロッパ統合は、1967年にヨーロッパ共同体(EC)が発足し、1973年にはイギリスのEEC加盟が実現し、その文脈が大きく変化していく。
 以上のように複雑なデタント期のヨーロッパ国際政治を、一貫してイギリスの視点から考察した点に本書のオリジナリティと工夫がある。この結果として本書は、イギリス外交史としての意義と同時にヨーロッパ国際政治史としての意義があると言えよう。

 それでは、具体的に各章ではどのようにデタント期のイギリス外交が検討されているのだろうか。前史的な意味合いが強い第一章では、チャーチルからマクミランに至る各政権の東西関係正常化の試みがテーマであり、具体的にはイギリス単独での対ソ接近策が中心的に取り上げられている(対ソ政策?)。第二章は、フランス主導でデタントが進んだ1960年代半ばを対象に、イギリスのデタント政策の変遷を検討している(デタント政策?)。第三章は、「アルメル研究」を検討することによって、NATOが軍事的側面のみならず政治的側面においても役割を果たすことになる過程を明らかにしている(NATO政策?)。第四章は、チェコ事件をきっかけに英ソ関係が悪化し、イギリスがデタントの行方に不安感を抱き、デタントの「管理者」としての自覚を持つ過程が描かれる。その際にイギリスが重視したのは今なお続いていた冷戦をいかに戦うかということであった(冷戦政策?)。第五章と第六章は、CSCEに至る道のりを「人・情報・思想の自由移動」問題に注目することによって描き出している(デタント政策?)。
 ほぼ年代順に叙述されているが、各章のテーマが微妙に異なることは以上のまとめからも明らかであろう。これが「対象」の変化によるものなのか、それとも「観察者」のバイアスによるものなのかは検討する必要があるだろう。一例として、ここでは本書前半と後半の繋がりについて考えたい。

 デタントを考える上でCSCEは重要な出来事であり、本書も後半ではもっぱらCSCEが取り上げられている。それでは前半部のハイライトとなる「アルメル研究」に関する分析は、その後半部とどのように繋がるのだろうか。NATOを舞台とした「西西」関係は、キッシンジャーによる「欧州の年」や石油危機によって悪化していった。こうした事実が本書後半部では一切描かれていない。終章にある著者自身のまとめからは、1960年代後半の「アルメル研究」によってデタントに臨むNATOの体制が確立(再定義?)され、それによってCSCEなどデタント政策の進展が可能になったと読み取ることも出来る。しかし前半部で取り上げられた「西西」関係は1970年代前半も続いていたし、逆にCSCEにおける「人・情報・思想の自由移動」問題に繋がる交渉、1960年代後半から各国間で進められていたのである。以上のように考えると、本書のテーマは前半と後半でやや分裂していると考えられないだろうか。つまり、東西関係の文脈に必ずしも限定されない同盟国間関係が前半の対象であり、後半はデタントという東西関係に焦点が当てられているのだ。なお、CSCEについては本書刊行後、山本健氏によって西側同盟諸国間の対CECE政策に関するマルチ・アーカイヴァル・アプローチに基づいた研究が精力的に進められており、興味深い視点を提示している。

 以上はデタントに注目した検討だが、イギリス外交の文脈からも疑問が残る部分がある。例えば、ヨーロッパ統合(≒EEC加盟)との関係は、このヒース政権の外交政策を考える上で極めて重要な問題である。もっとも、それだけであればヒース外交論として問題があるだけであり、本書全体の枠組みにとっては重要な問題ではない。しかし、「欧州宣言構想」挫折の説明でも、その重要な要因としてEEC加盟問題が取り上げられている。つまり、本書が対象とする時期のイギリスにとってヨーロッパ統合にいかに関わっていくのかは、デタント政策以上に、重要な問題だったと言えるのかもしれない。
 ここまでの若干の検討からも明らかなように、複雑なヨーロッパ国際政治を一貫した論理に基づいて検討することは容易ではない。以上に挙げた問題の他にも、ドイツ問題の進展(東西ドイツの相互承認など)はデタントの進展と大きく結びついていたこと、本書の議論がそのまま冷戦終結論と結びつくわけではないこと、などの点についてもさらなる検討が必要であろう。

 授業での討論を基にしたこともあり、やや批判的な紹介になってしまったかもしれない。しかし、本書がデタント期のヨーロッパ国際政治を考える上でも、また戦後のイギリス外交を考える上で、重要な視座を提供していることは間違いないだろう。最後になったが、アルメル研究を取り上げた第3章を、デタントやイギリス外交の文脈にとどまらない示唆を持つ重要な章として挙げておきたい。

at 23:55│Comments(0)本の話 

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