2008年04月06日

佐々木卓也『アイゼンハワー政権の封じ込め政策』(有斐閣)/高坂正堯『海洋国家日本の構想』(中公クラシックス)

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↑早速読み始めました。ほぼ読み終えてのとりあえずの感想として、一番最初に読む時は引用文献はあえて無視して、左半分の本文をじっくりと咀嚼して自分の頭で理解することに専念するべきなんだろうな、ということを思った。

文章自体は平易なのだが、説明していること自体は非常に複雑かつ多様である。よく内容を理解しないままに引用文献にも目を通していると、その複雑さや学問体系の多さにアタりそうになる。まず分かりやすく書かれている本文をじっくり読んだ方がよさそうだ。

300頁を超える本の約半分が充てられているのだから当たり前なのかもしれないが、とにかく引用文献が膨大、そして幅が広い。ついつい全ての引用文献を読みたくなる衝動にかられるが、それをしても師匠の後追いにしかならないことは分かっているので、そんなことはやるまい(というか多すぎて無理だし)。それでも、挙げられている古典くらいはもう少ししっかり読みこむ必要がありそうだ。『人間不平等起源論』とか、『法の精神』とか。



簡単に紹介、と思ったのだが長くなってしまった↓

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佐々木卓也『アイゼンハワー政権の封じ込め政策』(有斐閣)

 『封じ込めの形成と変容』(三嶺書房)以来、戦後初期のアメリカ外交史研究を着実に進めてきた著者による待望の新著である。トルーマン政権における封じ込め政策の形成と変容を明らかにした前著の続きとして、アイゼンハワー政権期の封じ込め政策が本書の検討対象である。本書のもとになった論文は『立教法学』等に掲載されたものであるが、論文発表後に刊行された最新の研究を踏まえた上で、全編に渡って修正が加えられており、本書はほぼ書き下ろしと言っていいだろう。

 本書の叙述は、第一章でアイゼンハワー政権における大量報復戦略に基づく封じ込め政策の形成過程に関する分析によって始まる。はじめにアイゼンハワー政権の基調をなす戦略の形成過程が明らかにされることによって、21世紀を生きる我々にとってややイメージが湧きにくい、専門的な核戦略の議論も比較的すんなりと入ってくるだろう。
 アイゼンハワーは、財政赤字の縮減を政権の至上命題として掲げていた。それは、核戦力へ依存し通常兵力を削減するという大量報復戦略へと結びついた。この大量報復戦略は、軍事費を長期的に耐えうる規模に抑えなければ、アメリカが「兵営国家」になってしまう、という信念に基づくものであり、告別演説まで一貫する政権の基本政策であった。こうした政権の基本姿勢は、様々な委員会による軍事費増額要求や後の柔軟反応戦略に繋がる民主党からの圧力、さらには同盟諸国との関係を重視するダレス国務長官の「転換」によって変化を迫られることになり、いくつかの妥協を行うが、結局アイゼンハワー政権がその封じ込め戦略を大きく変えることはなかった。

 以上の封じ込め政策の軍事的側面に加えて著者が強調するのが、東西文化交流などの封じ込め手段の多様化である。近年、日本でも冷戦をその軍事的側面だけからではなくより広い文脈から捉えなおす試みが始まっている(例えば、『国際政治』第134号の特集「冷戦史の再検討」を参照)。しかしながら、こうした試みでは、なぜ冷戦の文脈を軍事的側面から広げる必要があるのかが必ずしも明らかではなかった。冷戦という国際秩序の根幹に関わるものの影響が広範にわたるのは事実であるが、だからと言っていたずらにその分析の射程を広げることは議論を拡散させてしまうだけである。それに対して本書は、大量報復戦略の形成過程を分析し、その後の封じ込め政策の展開に、スターリン死去後のソ連の軟化や軍事対立の膠着化に伴う冷戦の変容を重ね合わせていくことによって、東西文化交流が封じ込め政策の一手段としての意味を持ったことを明らかにしており、説得的である。

 史資料の充実、系統だった政策決定過程の存在などもあり、アイゼンハワー政権期のアメリカ外交研究はこの20年近くにわたって断続的に進められてきた。ダレス主導というイメージが強い初期の研究に対して、近年の研究はアイゼンハワーの指導力を強調する傾向が強い。本書は、そうした論争からは一歩身を置き、アイゼンハワー政権期の封じ込め政策についてバランスの取れた外交像を描き出そうとしている。とはいえ、膨大な数がある先行研究との差異がどのような点にあるのか明解でないのはやはり残念な点である。
 先行研究との差異が明らかにされていないことは、例えばダレスの政策転換について読者に疑問を残す。なぜダレスは政権後期になって大量報復戦略の修正を唱え始めたのだろうか。本書ではダレスの転換は数ページ(127-129頁)で簡単に紹介されているだけであるが、従来の研究ではダレスの転換は同盟諸国との関係を重視したことによると説明されており、これは封じ込め政策の質的変化を考える上で本書が重要視する東西交流の進展以上に重要なことではないだろうか。
 
 こうした疑問は残るものの、日本語でバランスの取れたアイゼンハワー外交論が体系的にまとめられた意義は我々にとって大きいだろう。アイゼンハワー政権期の外交政策を考える上で、石井修の名著『冷戦と日米関係』(ジャパンタイムズ)とともに、基本書としてまず手に取るべき一冊としてお薦めしたい。



勢いでもう一冊。こちらは短評で。

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高坂正堯『海洋国家日本の構想』(中公クラシックス)

 『宰相吉田茂』に続いて、高坂正堯の初期の著作がまた一冊中公クラシックスに加わった。著者の論壇デビュー作である「現実主義者の平和論」から表題作「海洋国家日本の構想」まで1963年から64年にかけて発表された七本の論文が本書には収められている(さすがにデビュー作「現実主義者の平和論」からは気負いが感じられるが、著者ならではの平易ながらも明晰かつ深身のある文章が、29歳から30歳に書かれた論文ですでに完成していることには嘆息せざるをえない)。
 各論文の概要や本書の意義については、中西寛教授の解説(「時代を超えて生きる戦後論壇の金字塔」)に詳しいのでここに改めて書く必要はないだろう。ここでは本書について、私の知的関心に引き付けて二点だけ指摘しておきたい。第一に、本書は戦後日本の論壇に発表された数少ない国家戦略論であった。戦略の戦略たる所以は、数十年という単位で意味を持ち得る議論を展開している点にある。残念ながら若き著者の試みが受け継がれ、「グローバル・シビリアン・パワー」(船橋洋一)や「ミドルパワー」(添谷芳秀)などそれなりにリアリティを持った戦略論が展開されるようになるには、冷戦終結を待たなければならなかった。もっともその一つの理由は、「海洋国家日本の構想」がすでにそれ自身として十分に体系的であったことにあるのかもしれない。
 第二は、その著者が「現実主義者の平和論」で原型を示し、その後に続く各論文で詳述し、「海洋国家日本の構想」で体系的に整理された政策構想が、時代は若干異なりいくつかの留保は必要なものの、中国との接近や在日米軍の有事駐留への切り替えといった点で、右派社会党や民社党の唱える政策にかなりの程度まで類似していることである。これは、著者の考えがそれらの政党と近かったと考えるよりも、自民党政権のオルタナティブとなり得る政策構想を一部の野党が持っていた、と考えた方が知的には面白いだろう。こうした著者が「現実主義者」を自称せざるを得なかった、ということもまた同時に興味深いことである。
 戦後日本の歴史を振り返る上でも、そして今後の日本の針路を考える上でもじっくり読まれるべき本書が中公クラシックスの一冊として復刊されたことを素直に嬉しく思う。

at 23:47│Comments(0)本の話 

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