2008年03月15日

波多野澄雄、佐藤晋『現代日本の東南アジア政策』(早稲田大学出版部)

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英語で読むべき本がどんどんたまっているにもかかわらず、日本語でも読まなければいけない本、目を通さなければいけない本が続々と刊行されている。一番左は、刊行前から期待していたサントリー学芸賞受賞第一作。左から二番目は、日米韓の外交資料を用いた池田政権の本格的外交史研究。三番目は、日本と国連に関するテーマオーラル。最後は、元中国大使にして70年代のアジア局最重要人物の回顧録だ。それぞれ時間を作って読まなければいけない本だ。



目の前にある膨大な先行研究やら、関係する諸研究の山、やらなければならないことを前にすると、ついついまたリゲインの音楽が流れてくる、…24時間戦えますか♪ とはいえ、これが危険だと言うことは昨年夏前によく学んだので、今年はグロンサンのテーマを頭に流すことにしたい。意味不明ですが、とにかく、毎日が日曜日のようで、実際のところ「月月火水木金土」という生活なので、うまくメリハリをつけていこうと思います。



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波多野澄雄、佐藤晋『現代日本の東南アジア政策』(早稲田大学出版部)

 近年、アジアは急速に一体化しつつある。経済面から始まった統合も、徐々に政治領域へとその影響が及び始めた。同時に、こうしたアジアにおける一体化の歩みと日本の関係を、歴史的視座から再検討する試みも行われている。田中明彦『アジアのなかの日本』(NTT出版)がその代表的なものであろう。カンボジア和平を起点とし、さらに「福田ドクトリン」など1970年代の政策も再検討する同書は、現在の東アジアを考える上で歴史的な視座を提供してくれる。本書『現代日本の東南アジア政策』は、さらに1950年代前半にまでさかのぼって、日本とアジアの関係を検討している。

 資料公開の進展と共に1980年代半ばに始まった戦後日本外交史研究は、もっぱら日米関係中心であった。それに対して2000年以降に多くの若手外交史家が中心的に取り組んだのが、日本の対アジア外交である。従来の日米関係中心的な研究から導き出される日本像は、アメリカのジュニア・パートナーとしての日本であった。日本の安全保障政策の根幹に日米安全保障条約がある以上、それは当然なのかもしれない。しかしながら、戦後日本の歩みは日米関係のみによって意義づけられるわけではない。近年進みつつあるアジア外交研究は、アジアの場における戦後日本の姿を描き出すことによって、従来のイメージとは異なり、アメリカとの関係に影響は受けながらも、アジアにおいて独自の役割を模索した戦後日本の歩みを明らかにしている。

 本書は、このような戦後日本とアジアとの関係、その中でも近年のアジア統合の動きの中心となっている東南アジアとの関係を、まだ「東南アジア」がインドなどの「南アジア」を含めた領域である、吉田内閣期の「東南アジア開発」から、現在の「東アジア共同体」をめぐるに至る50年をこえる長いスパンで検討した通史的研究である。本書が注目する東南アジアは、「歴史的には、冷戦的な行動枠組みや大国間政治に悩まされつつも、独自の外交的役割を模索し、自律的な活動を展開できる数少ない舞台」であり、さらに「ナショナリズムや共産主義が渦巻き、欧米陣営から離脱する危機を常に伴っていたが、そのような危機を遠ざけつつ地域の安定化に寄与するという役割について、日本外交は自覚的であった」(はじめに)。本書は、このような問題関心に基づいて日本と東南アジアの関係を検討している。

 アジアは(この30年で)なんと姿を変えたのか! 本書の著者は、先に挙げた田中明彦『アジアのなかの日本』を読んでの感想をある書評でこう述べている(リンク)。私が本書を読んでの感想もこれにならえば、アジアは(この60年で)なんと姿を変えたのか!、というものである。第二次大戦中の日本による占領、さらに戦後、ヨーロッパ諸国の「再統治」を経て、アジア諸国は相次いで独立を果たしていく。しかしながら脱植民地化の過程は順調に進んだわけではなかった。そこに冷戦の文脈や、各国内部に渦巻くナショナリズムの文脈が影響し、戦後初期の東南アジアは混乱そのものであった。しかし、1960年代にインドネシアが9.30事件を経て「開発」の道へ進み(インドネシアについては宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』に詳しい)、1970年にベトナム戦争が終結することによって、ASEANが徐々に一つの形を成していく、その後中越戦争やカンボジア内戦が続き1980年代においてもまだ東南アジアは混乱していた。しかし1980年代後半にはカンボジア内戦も落ち着き、1990年代に入ると東南アジアは一つの地域としてまとまりを見せるようになっていった。1990年代以降、現在に至る流れの中でASEANはアジアの地域主義をめぐり中心的なアクターとなった。

 日本はこうした東南アジアの歴史の中でいかなる役割を果たしてきたのであろうか。日米英の外交文書と先行研究をくまなく渉猟して書かれた本書は、ある意味でこれまでの対アジア外交研究の総まとめとも言える。「はじめに」でも述べられているように、確かに資料の公開状況の差によって時代ごとに叙述の深さの濃淡はある。佐藤政権までの叙述の深さと比べると、その後の時代がややあっさりとしている感はある。

 日本とアジアとの関わりが賠償を中心であり、そこに「東南アジア開発」構想が絡み合う50年代。インドネシア、マラヤの脱植民地化の動き、そしてベトナム戦争といった地域紛争に彩られた60年代から70年代前半。地域情勢に一定の落ち着きが見られたことによって、徐々に経済的な関係が重みを増していく70年代半ば以降。カンボジア和平によって紛争に決着が付き、本格的に地域主義が力を増していく90年代から現在まで。こうした東南アジアの歴史に日本はどのように関わっていったのか。本書が、通史的にその関わりを明らかにした意義は大きい。

 とはいえ本書の叙述に違和感がある箇所がないわけではない。例えば、1960年代の東南アジア外交を「中国封じ込め」と見ることには多くの異論がありえよう。確かに本書が説くように、日本の東南アジア政策の背景に中国の東南アジアへの浸透に対する考慮があったことは広く認められるところだろう。しかし、日本の対中政策の展開などと重ね合わせるときに、果たしてそれが「中国封じ込め」という「戦略的」なものだったかどうかは疑問が残る。本書前半部まで強く見られる「中国の影」が、70年代以降の本書後半部ではすっかり抜け落ちている。それが資料の制約によるものなのか、それとも前半部の「中国の影」が過大評価されていたものなのかは、さらなる実証研究の進展を待つしかないだろう。

 また、短い「はじめに」で簡単な問題関心が述べられているだけで、本書の分析対象の設定や、結論が明示されていない点もやや不満が残るところではある。1950年代の叙述では当時の「東南アジア」の概念に基づいてインドなど南アジア諸国まで検討されているが、その後はほとんど出てくることはない。また逆にオーストラリアは、APECを語る文脈で突如現れてくる。なぜこうした叙述になるのか、本書が検討する範囲はどこまでなのか、こうした点が明示されていれば、本書の描き出す戦後日本の対東南アジア外交がよりわかりやすくなったのではないだろうか。さらに、歴史的に日本の対東南アジア政策がいかなる変化を見せたのか、を単に叙述するだけでなく最後に著者自身によってまとめられればなお良かっただろう。

 若干の不満は述べたものの、本書のような一次資料に基づいた堅実な通史的研究が公刊された意義は極めて大きいと言えよう。本書で描かれた日本外交の姿が、北東アジア外交とどのような関係にあるのか。また、アジア経済秩序の模索と、より広い国際経済秩序とはいかなる関係にあったのか。さらに今後東南アジアと日本はいかなる関係を結んでいくのか。本書は、このような重要な問いへと、我々を導いてくれる。

at 23:58│Comments(2)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by たっぱー   2008年03月16日 13:53
はじめまして。他大の学部生です。
コメントするのは初めてですが、いつも参考にさせていただいています。
誤植の指摘だけをさせて下さい。
田中先生の著書に関してですが、『アジアのなかの日本』のことですよね?
小さなことですみません。
これからもよろしくお願いします。
2. Posted by 管理人   2008年03月16日 14:17
>たっぱー様
ご丁寧にコメントありがとうございます。若輩者が生意気なことばかりを書いているブログなので、面識のない方からコメントがあるとドキッとしてしまいます。
このブログには、いつも推敲もせずに気の向くままに書いているので、ご指摘いただいた点だけでなく、多くのミスタイプや事実誤認等があります。自分で気が付いた時には、後からこっそりと訂正しています。ご指摘いただいた点はおっしゃる通りですので、取り急ぎ訂正しておきました。

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