2008年02月12日

気が付けば二月中旬。

修論関係の資料をキャレルや大学に置いてあるパソコンに入れていたので、執筆中はひたすらキャレル通いの日々が続いたのだが、修論を提出してからは、平日はフルタイムのバイトが連日続いたことや、研究会で他大学へ行くことが多かったことなどもあって、大学には数えるほどしか来なかった。物理的に大学に来れるにもかかわらず一週間以上大学に来なかったのは、大学三年以来初めてかもしれない。最近ブログの更新はもっぱら大学でやっていたので、更新も滞ってしまった。

二月に入ってから昨日が三日目(今日はこの後、大学に行く予定)。あとはバイト先周辺や、自宅近くの某国立大学で過ごしていた。国立大学の図書館は院生であれば自由に利用できるので重宝している。図書館もきれいで居心地もいいのだが、基本的に教養学部のキャンパスだからか蔵書はあまり充実していないし、学会誌や各大学の紀要が入っていないのが難点だ。まあ、各学部図書館や研究センター図書館に文献が分散しているのだから仕方が無い。



10日間も更新しなければ、その間に色々なことがある。勉強を兼ねて久しぶりに坂野潤治の本を読み返したり(といっても研究書の方ではなく、新書三冊と教科書)、中公クラシックスで再刊された高坂正堯『海洋国家日本の構想』を読んだり、『枢密院議長の日記』を読んだり、読書は比較的楽しくしていた。

こうやって、一見関係無さそうに思える本でも、だだだっとまとめて読んでみると思わぬ発見があるから面白い。坂野潤治の本で繰り返し強調されていたのは、「日本人は最新の西洋思想の導入には熱心でも、自国の近過去の思想には無関心」という警句だ。吉野作造の「民本主義」を高く評価しつつも、その各要素は「明治デモクラシー」の枠を一歩も出るものではなかった、と坂野は言う。なぜなら吉野作造の「民本主義」は、「明治デモクラシー」から学んだものではなく三年間の留学成果だったからである。

こうした吉野評価が正しいのかは分からないが、『海洋国家日本の構想』をぱらぱらと読んでいて坂野の言葉が頭をよぎった。1960年代に論壇で行われた論争は、どれだけ今の言論状況に影響を与えているのだろうか。もちろん、論壇で発言をする学者たちは、高坂正堯らの影響を強く受けているのだが、実際の主張や議論の中身に、高坂の主張(とその背景にある問題意識、論敵)はどれだけ生かされているのか。『海洋国家日本の構想』で展開されている議論は非常に刺激的だし、いま読んでも十二分に興味深いものだ。

at 11:27│Comments(0)日々の戯れ言 

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