2007年12月23日

年の瀬。

有馬記念が終わり、残すところはあと東京大賞典だけになってしまった。

賭け事は好きではないが、馬を見るのは大好きです。そんな自分は、有馬記念が終わると「今年も一年終わったなー」と感じる(…今年はまだやることが残っているわけだが)。そう思うようになって、もう十五年くらいになるだろうか。もっとも、有馬記念で年が終わるのは、競馬関係者でもただ馬好きだけらしい。馬券師にとっては東京大賞典が残っているし、生産者にとって一年の区切りは有馬記念ではなくダービーだとも聞く。人間の暦感覚というのは、人それぞれ違っているらしい。

馬が好きだといっても、最後に競馬場に行ったのはディープインパクトが勝ったダービーなので、もう二年半も前になる。思えば、大学院に入ったから一度も行っていないわけだ。馬主の夢をあきらめて大学院に来たことと関係があるのだろうか(といっても就職していたら馬主になれるというわけではもちろんない)。



 歴史を書きながら私は、不思議な想念に襲われる。歴史は、ある結果が起こるに至ったプロセス(諸要因)の説明である。そのプロセスは、さまざまの可能性の競合であった。人々は、ある可能性に期待をかけて競い合い、そうするうちにいくつかの可能性が現実化し、他の可能性は潰れ、競合に決着がついた。潰れた可能性を発掘することは起こりつつあった歴史の裏面や深部を探るために不可欠であるが、その可能性は、結局現実化しなかったのである。したがって、起こったことはすべて、そうなるべくしてそうなった、不可避だったと説明しなければならない。冷却した溶岩のような過去が残すのは体験と教訓だけである。しかし、起こりつつあることは、そうではない。競い合う可能性のどれかが現実化し、どれが潰れるかわからない。人々は、それぞれの体験と教訓によって、どれかに期待をかけることができる。どれにも期待できなくても、いずれ決着がつく。こうして可能性の潰し合いが、つぎつぎと決着し、不可避な歴史に繰み込まれ、そうしながら人類は滅亡に至る。(升味準之輔「戦後史の起源と位相」『戦後日本?占領と改革』岩波書店)

at 23:28│Comments(0)日々の戯れ言 

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