2007年12月13日

ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳~E・H・カー 1892-1982~』

あっという間に一週間が過ぎてしまう。

先週末は、ゼミの先輩の発表を聞きに某研究会へ。

着実に資料を読み込んだ手堅さと明確な視角を併せ持つ研究はやはり面白い。対象とする時代がほぼ同じこともあり、自分の研究を進める上でも参考になることが多かった。

研究対象が近い研究者が集まると、とかく細かい話になりがちである。研究会でもかなり細かい話になったが、細かい話だけでなく、研究の視角や枠組みの部分もしっかりと議論されていた。それに加えて、ヨーロッパとの比較や、時間軸を広げた意義付けについても議論が行われたので非常に面白かった。

サブスタンスはしっかりと一次資料に基づいて実証し、それをタテとヨコに広げた意義を考える。これを言うのは簡単だが、実践するのは非常に難しい。最近、先輩や後輩に修論のアウトラインを見てもらい、微調整を繰り返している。少しずつ少しずつ議論がまとまってきたような気がする。



最近、夜寝る前に読んでいた一冊。次は、マイケル・イグナティエフ『アイザイア・バーリン』(みすず書房)を読みたい。

久しぶりに書評形式で紹介。

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・ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』(現代思潮新社)

 もしも私が、学問的ディシプリンとしての国際政治学の定義を示せ、と言われたとしたら、私はそれを、政治哲学の国際関係への適用だと呼びたい気持ちに駆られる。それは、今まで主に歴史学の一部分として研究されてきたのであり、決して、政治科学の領域として研究されてきたのではなかった。
 しかしこの意味では、国際政治学とは、取りも直さず、生きた現実的対象に関わるものなのであって、もっぱら文献や記録の研究に専心するようなものでは決してない。(375頁)


 国際政治や歴史を学ぶ者であれば、一度ならずE・H・カーの著作を手にしたことがあるだろう。しかし、私にとってカーは読めば読むほど分からなくなる存在であった。国際政治学者としては「現実主義者」、そして歴史家としては「相対主義者」という人口に膾炙したカーのイメージは、それぞれ『危機の二十年』と『歴史とは何か』に基づくものである。しかし、1939年に刊行された『危機の二十年』の第一版は対独宥和政策を強く擁護したものであったし、『歴史とは何か』で相対的な「歴史学」観を示しつつもカーは歴史の進歩主義を強く信じていた。なぜ、カーは1939年に『危機の二十年』を書き宥和政策を主張しなければならなかったのだろうか。また、なぜカーは『ソヴィエト・ロシア史』の執筆に没頭するなかで『歴史とは何か』を書き、その中で相対主義的な歴史観を提示したのだろうか。

 カーの波瀾に満ちた90年の生涯を描き出した本書は、我々のこうした疑問に答えてくれる。多岐にわたるカーの著作を読み解きつつ、膨大な私文書に基づいてその執筆過程から描き出した本書の叙述は圧倒的である。私生活にまで深く入り込みながら、それをカーの知的活動と結び付けて論じることは、著者ジョナサン・ハスラムがロシア史や国際政治史の素養を持ち、さらに生前カーに師事した経験を持つからこそ出来ることであろう。

 本書に従って、簡単にカーの生涯を概観しておこう。ヴィクトリア朝下の中流家庭に生を受けたカーの生涯は、決して平坦なものではなかった。大学時代に第一次世界大戦を迎え、外交官としてロシア革命とパリ講和会議を間近に観察した。この外交官時代の体験は、ヴィクトリア朝的なカーのリベラリズムを傷つけることになった。社交的な生活を嫌うカーにとって外交官はあまり魅力的な職業ではなかった。代わりにカーの心を捉えたのがロシアである。外交官を続けながら、ドストエフスキー、バクーニン、ゲルツェンらの研究を行い、その一部はジョン・ハレットのペンネームで出版された。結局カーは約20年間の外交官生活に終止符を打ち、1936年にウェールズ大学に職を得て学者に転身する。この時代のカーは熱心な対独宥和の提唱者として知られている。その後、程無くして第二次世界大戦が勃発し、カーは短い情報省勤務を経て『ザ・タイムズ』での執筆生活に入る。戦後は不遇な時期が続いたが、1955年に母校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジにフェローとして迎えられ、以後カーはライフ・ワークである『ソヴィエト・ロシア史』の執筆に没頭するのである。しかし、『ソヴィエト・ロシア史』の執筆は困難な作業であり、当初の予定よりも大幅に完成は遅れ、さらに対象とする期間も短縮された。結局それが一応の完成をみるのは、1979年のことであった。この間、1961年に『歴史とは何か』の基となったトレヴェリアン講演が行われ、大きな反響と論争を呼んだ。その後、カーは何度も『歴史とは何か』の「続編」を書くことを考えたが、結局それは実現することはなかった。

 著者が描き出すカーは、安易な単純化を許さない複雑な知性の持ち主である。『危機の二十年』や『歴史とは何か』の背後にカーは何を考えていたのだろうか。カーの思索の背後には、激しく動いた20世紀の歴史があった。なぜ、カーは50年代以降、現実政治に対する発言をほとんどしなくなり、『ソヴィエト・ロシア史』の執筆に没頭したのか、なぜ『歴史とは何か』の続編は結局かかれなかったのか。そんなことを心の片隅に置いて、今度はじっくりとカーの著作を読むことにしたい。

at 14:55│Comments(2)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by 名無しのリーク   2016年06月22日 08:25
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の大怪我を負わせた糞ブラック企業
2. Posted by 名無しのリーク   2016年06月24日 22:14
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の大怪我を負わせた糞ブラック企業

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