霧が晴れて、頂上が少しだけ見えたような。研究とは家を建てるようなもの。

2007年10月07日

10月7日。

先週はキャレルにこもって研究に励んでいたのだが、昨日の発表が終わったので、ちょっと一息つけそうだ。昨日の発表については、色々と書きたいことや思うこともあるわけだが、それは論文に示せばいいのでここには書くまい。ともあれ、研究テーマや方向性、アウトラインに関しては今のままで当面は問題ないのかな、という感触が得られたことが何よりの収穫だ。

火曜には院ゼミで発表があるが、これが終われば後は執筆執筆執筆という生活に入る。数日頭を落ち着かせてから、あとは一気に草稿を書き上げてしまいたい。というのが希望なのだが…どうなることやら。キャレルは飽きたので、他に執筆場所を探さなければ。



そんなわけで今日はゆるりと家で本を読みながら過ごしている。

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最近寝る前に少しずつ読んでいた本だ。まとまった時間を確保して、読みたい本をじっくりと読めるのは嬉しい。学部二年辺りからずっと回顧録ブームは継続していて、国の内外、職業、時代に関係なく回顧録はよく読んでいる。自分が学問の世界に少しだけ足を突っ込んでいることもあり、学者の回顧録は読んでいてなかなか面白い。

この回顧録を読むのはニ回目だが、前回に読んだとき以上に面白いのは書かれている時代に対する自分の理解が少しは深まったからだろうか。

自分の研究しているところでもその名前が出てくるキッシンジャーと会った時のエピソードについつい目が行ってしまう。1960年代前半、著者の自宅へ当時ハーバード大学教授だったキッシンジャーが訪ねてきたという。それが初対面だったのだが、挨拶も早々にキッシンジャーは「限定核戦争はあり得る」という自説を1時間半余り話し続けて帰っていったらしい。妻(めったに人を悪く言わないらしい)の感想は「あんな非常識な人には、会ったことがありません。私は嫌いです」というもの。さもありなん、といった感じ。



先週、研究に励んでいる時に飛び込んできたのが「伊東監督退任」のニュース。自分が生まれた時から、伊東はずっと西武でプレーをしていた。選手としては2003年に引退したが、引退の翌年からは監督を務めていた。自分が応援する西武には常に伊東がいたのだが、来年からはいない。別に伊東ファンだったわけではないのだが、ニュースを聞いて少し感傷的な気持になってしまった。

そんな西武は、楽天よりも下の四位という残念な結果でシーズンを終えた。来年に期待。でも課題の投手陣に来年大きく伸びそうな若手がいるわけでもなく(涌井にこれ以上望むのは酷)、監督が変わったからといってそうすぐにチームが強くなりそうもない。ふーむ。

at 14:10│Comments(0) 本の話 

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