2007年09月13日

安倍辞任表明について。

昨日の午後、相変わらず図書館でパソコンと顔を突き合わせながら研究に励、30年ほど前の政治や外交に思いを馳せていたところ、後輩からのメールで「安倍辞任へ」の情報を知る。インターネットをチェックし、2時から記者会見という情報を得て、テレビのある場所へ走った。20分ほど見て、こりゃもうだめだ、と思い研究に復帰した。

歴史を研究し過去の資料を色々と読んでいると、自分がいかに情報を持っていないかということが嫌というほどよく分かる。国民の多くは、マスコミから流される情報を中心にしてしか今の政治や外交を理解できない。インターネットのおかげで、首相官邸や各省庁が発信する情報を直接見ることが出来るようになったのはいいことだが、政治や外交に関する国民の議論がこれを踏まえているとはとても思えない。結局、マスコミによって流されるイメージでしか政治を議論出来ない人が多い(政治学科の学生にしても多くがそう、というのが悲しいとこ)。

「政治とカネ」の問題にしても、「年金」にしても、「失言」にしても、そんなイメージに乗って議論しても何も始まらない。前の二つは制度の問題が大きいのだからそれを議論するべきだろう。基本的には安定した秩序が構築されている国内政治において、まず論じられるべきは制度だと思う。制度を論じなければ、結局政治のイメージを論じることにしかならない。それも重要かもしれないが、それはあくまで制度があった上での問題だ。「失言」はあまりに文脈を無視して勝手に憤りを感じている場合が多すぎる。というか、政治家は聖人君主のような人間でなければならない、という前提がおかしい。人間は色々な偏見や、世代的な価値観の差なんかを抱えながら生きているわけで、その多少の違いや時代錯誤な発言を誰かがしたことがそんなに根本的な問題だとは思えない。むしろ「触らぬ神に祟りなし」的に、思っていることが表に出てこないで笑っている人間の方が個人的には嫌だ。「失言」は叩かれて批判されたら反省すればいいだけで、簡単に役職を辞めるような問題ではない。

閑話休題。そんなこと(=自分たちの情報不足)を普段から感じているので、現在進行中の政治についてのコメントは、選挙でも無い限りあまり発言しないようにしている。もしするとしても制度的な問題を中心にしている。が、今回はちょっと別だ。何と言うか、制度以前の問題だ。確かにこの辞任の背景には、以前の記事(リンク)でも書いたような、現行の制度が持つ参議院問題(参議院は議院内閣制の外にあるという問題)が大きく影響している。

しかし、この辞任表明は制度の問題を論じるまでもない。つまるところ政治家としての資質の問題だ。

過去にも投げ出した形での辞任の例はある。例えば鈴木善幸。党内の支持もあっただけに、退任表明は「??」というところもあった。多分、真の理由は「疲れたから」。だが、一応自民党の総裁任期切れという名分が立った。その次は、細川護熙。「殿様で、根性がない(大意)」といった事が、当時の官房副長官の回想からも伺われるが、これは本当にひどい辞め方だった。周囲との相談がしっかりと行われなかったこともあり、社会党は政権から離脱と非自民連立政権の崩壊を招いたのは、しばしば小沢一郎だと言われるが、何よりも大きいのは細川の突然の辞任表明である。また予算が成立していないのに辞めた、という無責任さは特筆すべきだ。そして、村山富市。ただ村山の場合は、もっと早く辞めたかったところを、様々な事件に一定の目途が付いたのを見計らったこと、また後継首班等についてもしっかりと根回しを行っていたという点で、それほど無責任だとは言えない。

そんな過去の投げ出し型以上に無責任なのが今回の辞任表明だ。予算成立前に投げ出した細川も確かに相当ひどいが、内閣改造から約二週間(田中角栄もやめる直前に無駄な内閣改造をしているが…)、所信表明演説から二日で辞任表明するというのは前代未聞だ。そもそも今辞めるなら、参議院が終わった直後に辞めればいい。内閣改造をする前に辞めればいい。せめて所信表明演説をする前に辞めればいい。各省のすり合わせを行った作文である、所信表明演説の意味は大きいだけに、それをないがしろにするような行動は問題だ。

この辞任表明によって、大きな政治的空白がかなりの期間に渡って発生する。一番短い場合は、新しい自民党総裁が決定するとともに衆議院を解散し総選挙(そしておそらく政権交代)というシナリオだが、この場合でも一ヶ月以上は時間がかかる。現実的でベターなシナリオは、与野党合意の上で選挙管理内閣ということだろうか(過去には第一次鳩山内閣の例がある)。

どちらにしても、次期自民党総裁は相当につらい立場に置かれる。また内閣改造を行うのか、それとも暫定的な選挙管理内閣とするのか、その選択がまず大きな意味を持つ。内閣改造を行うにしても、その持ち駒は限られるし、参議院での少数という事態は変わらない。そして、それ以上に国民の目が安倍辞任でさらに厳しくなったことも政権には重荷だ。次期自民党総裁は「火中の栗を拾う」ことによって、自民党内での求心力を高める、ことが出来ればいいのかもしれないが、一年生議員がわーわー騒いでいる現状ではなかなか困難である。

政治家としてどう評価するかは別にしても、竹下元首相はリクルート事件と消費税導入等で支持率が一桁まで下がりながらも、政治日程に一区切りを付けるまで政権を投げ出すことはしなかった。後継総裁の女性スキャンダルもあり、その後の参院選挙で自民党は大敗を喫したわけだが、それでも筋は通した。

「職を賭す」というならば、それぐらいの覚悟を見せて与野党対決をやり、強行採決をしてでも、テロ特措法を通した上で辞任表明すべきではなかっただろうか。政治生命を無くすならば、せめて後世に評価される形を取るべきだったし、その方が国民のためでもある。

衆議院の議席も小泉政権下で得たものであり、安倍政権はもともと正統性に疑問がある政権だった。成果の上がらなかった「官邸主導」、参議院選挙での大敗、そして今回の無責任な辞任表明、少しは成果があったかに見える外交もたかだか一年では評価のしようがない。このままだと、戦後最低の政権としての烙印が押されるのも時間の問題だろう。

at 08:30│Comments(0)エッセイ風 

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