2007年08月14日

大人のための物語。

夏は一日が長い。

日が出ている時間も長いし、夜も目が覚めたりするから長い。そんなわけで、普通に過ごしているだけで盛り沢山な一日になる。が、家族が旅行中で家にたまたま一人ということもあって、一日誰とも話さなかったことに今になって気が付く。

家事をして、屋上の植物たちに水をやって、近所の大学へ行って研究&読書をして、日が沈んでからひとっ走りして、シャワーを浴びて、食事をして、カフェで勉強&読書をして今。ゆったりとした一日になったのは、昨日一昨日の田舎生活のおかげだろう。あとはゆるりとした音楽たち。

ゆったりとしながらも今日は色々なことが大分進んだ。とりあえず、毎日だらだらと少しずつ修正を続けていた研究動向論文がようやく完成。まあ、戦線を拡大しすぎたためにオーバーコミットメントに陥ってしまったわけですが…。とはいえ、次にもう少し絞ったテーマで書くときのための叩き台、これまでの勉強のまとめとして書き上げた意味はあるのだろう。何となく自分の研究の立ち位置のようなものも見えてきたような気がする。

修士論文は局地戦なので、戦略を立て直してじっくり攻めることにしよう。

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長い一日だと、休憩時間&夜の読書時間だけで短い小説なら読み終えることができる。「猫小説」は昨日の夜、正確には今日の朝、読み終えたので、今日は同じ著者の『この人の閾』(新潮文庫)を読んだ。会話の妙みたいなものを保坂和志の小説には感じる。みんな、いろいろなことを考えていても会話になると何も考えていないようにみえるものだ。それでいながら、ふとした時にその言葉の奥に潜むものがみえてくる。そんな会話の面白さを存分に感じさせてくれるのが『この人の閾』だ。確か芥川賞受賞作。それにしても、何で日本では新人賞である芥川賞や直木賞が有難がられるのだろうか。文学賞なら谷崎賞などの方が面白い作品が多いように思うのだが…。

そんな会話の妙みたいなものを同じく感じたのが、この前読んだ『センセイの鞄』。共通するのは「大人のための物語」というところ。同じ小説でも、自我が行間からもにじみ出てくるような青春小説とは、全く違うから面白い。落ち着いているようでも心は動き、だけど若者のように激しくはない。幸せなようで、底抜けの明るさがあるわけでもない。どこかしらで醒めた自分がいる。読んでいると、そんな感覚になってくる。やっぱり次に目指すべきは脱・自意識過剰か。「俺が、俺が」じゃ大人としてはちょっと。

たまたま『この人の閾』の解説(大貫妙子)を読んでいた時に目についた文章があった。

保坂さんとは、ほぼ同世代ですが、私は世代でものを見ることはあまりしない。人は点で存在し、点であることが健全だと感じ、点は世界中に年齢も人種も関係なく分布し、徒党を組んだりしない。けれど、同じ匂いには敏感で、響きあう。そういう関係が好きだし、保坂さんもきっとそういう方だと想像する。(『この人の閾』241頁)


全てに共感というわけではないが、「けれど、同じ匂いには敏感で、響きあう」という考えなど全く同意。そう考える自分が、日本外交史を専攻し、基本的には「日本」を主語に研究を考えたりしている。世代どころか国際構造とか、秩序とか、そんなところに説明変数を求めて、日本をひとくくりにして論じている。この辺の折り合いは自分の中でどう付けているのだろうか。

人間の頭の中はよく分からないもんです。

at 23:40│Comments(0)本の話 

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