2007年06月22日

ヴィクター・D・チャ『米日韓 反目を超えた提携』

今日の授業では、いつもとはやや毛色の異なる本を読んだ。

課題文献は、ブッシュ政権でNSCスタッフとして政権入りもしたヴィクター・D・チャの『米日韓 反目を超えた提携』(有斐閣)である。



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この本の毛色が異なるというのは二つの意味からだ。一つは、この本が外交史の研究書ではなく、同盟理論を分析枠組にすえた国際関係論の研究書であるということである。もう一つは、今回の授業では二国間関係(日米関係)を取り上げた本が多かったのだが、本書は日米韓の三国間関係を取り上げているということである。

この二つはもう少し正確に紹介しておく必要があるだろう。一つ目は本書の分析視角に関係する。本書の分析視角となるのは「擬似同盟(quasi-alliance)」という概念であり、それに基づいて仮説が提示されている。擬似同盟とは著者によれば「共通の第三国を同盟国として持ちながら、相互には同盟関係にない二国間関係」ということであり、日韓関係はまさにこの擬似同盟関係ということになる。著者の議論のポイントは、擬似同盟関係にある二国の関係が第三国の行動次第で変化するということである。ここには「見捨てられ」と「巻き込まれ」の概念が関係してくる。仮説を具体的な形で紹介すれば、「反目」が日韓関係の常態であるが、アメリカに見捨てられる懸念が共有されると日韓両国は提携へと向かうということになる。

二点目はすでに簡単に触れているが本書の分析対象に関することである。正確には本書は米韓日関係ではなく日韓関係に関する本である。その点は従属変数に置かれているのが日韓関係であることに明らかであろう。とはいえ本書が二国間交渉史とも異なることも同時にまた明らかであろう。本書の独立変数はアメリカの対アジア政策であり、従属変数は日韓関係である。

具体的に本書で検討されているのは、1965年の国交正常化以後、1990年代に至る日韓関係である。中でも中心的に扱われるのはニクソン・ドクトリンが発表された1969年からカーター政権による在韓米軍撤退政策までであり、この部分の議論はなかなか説得的である。

しかし一章を割かれている1980年代に関する議論については疑問がかなり浮かんでくる。先にも簡単に紹介した仮説に基づけば、日韓両国で見捨てられの懸念が存在しなかった1980年代は日韓関係は悪化するはずである。しかし一般的なイメージでは1980年代の日韓関係は極めて良好である。この点を著者は認めた上で、そのイメージの若干の修正を試みているが、やはりそれには失敗している。

この問題には資料的な問題や事例選択の問題はもちろん存在するが、それをいちいち指摘してもあまり有意義ではない。

ここで説明に失敗した理由を分析枠組や仮説に求めるとすれば、それは日韓関係が「友好的」か「敵対的」のベクトルかという一つの座標軸に還元されてしまっていることの問題ということができるだろう。実際の国際関係は、この二つの振り子を行き来しつつも、その関係を深化させていくことによって変容していくものである。そうである以上「友好的」か「敵対的」か、ということに加えて、より具体的な意味を評価軸を据える必要があると考えられる。ちなみに日韓関係を考える上で重要なことは、(とりわけ韓国の)「国力」という要素であろう。

さらに言えばこの問題は研究手法上の問題なのかもしれない。理論研究では変数の特定が極めて重要になる。この結果として、むしろ理論が思考する普遍性とは逆に、長期的な時間の変動を説明するのには適さないことが多いように思われる。

以上は授業用のコメントを参考にしつつ書いているので、やや批判的なトーンが強くなっている。しかし上記は、本書の価値を認めた上での批判的な検討である。本書が、日本も関係する国際関係を理論的に論じた数少なくまた水準の高い貴重な研究であることは間違いないだろう。

最後に書いておきたいことは歴史研究と理論研究の問題である。本書の問題意識と歴史研究は必ずしも矛盾するわけではない。歴史研究も資料の再現だけではなく何らかの説明を試みるものである以上、本来それは当然である。また理論研究にしてもそれが実証されなければ、仮説はあくまで仮説に過ぎないものになる。

本書はあくまで理論研究であるが、理論研究と歴史研究を架橋する研究の可能性の一端を感じさせてくれる。



この本は二年くらい前に読んだ時にもこのブログで紹介したのだが(リンク)、二年経って読み返すとかなり感想が変わっていたことに素直に驚いた。まだ自分の脳みそは成長しているということだろう。

at 23:53│Comments(0)本の話 

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