授業再開。寝る前の読書。

2007年06月12日

更新再開。

精神的に(?)怠惰な生活を送っていたため、一週間弱更新がストップしました。放置している間に年も一歳増え、いよいよ学生気分でいるのはまずいなあ、という思いが強くなってきた。このブログなど、まさに学部時代から延長そのものなのだが、それなりに書いていて頭の整理にもなるので、そろそろ再開します。

とはいえ、約一週間放置しておくとそれだけで書きたいことがかなり溜まってしまう。授業で読んだ資料がなかなか面白かったことや、授業で読むのが四回目(!)の『日米同盟の絆』についてや、久しぶりに参加した研究会について、などなど。もっとも、これを一つ一つ書いている時間ももったいないので、ひとまず今日の話から再開することにします。

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やや、悩ましいこの本。必ずしも内容そのものについてというわけだが、今日感じたことは、ほぼ↓の二つに尽きるような気の疑問が頭の中をぐるぐる回っていた気がする。

・孤立主義の反対は国際主義だよなあ…
・単独行動主義(unilateralism)は二国間主義(bilateralism)、多国間主義(multilateralism)の三つでセットの概念だよなあ…

というのも本の中で、アメリカ外交の伝統的(?)要素として孤立主義と単独行動主義の二つが挙げられていたからだ。

確かにこの二つの要素は何となくアメリカ外交において見られるような気もするが、この二つは必ずしも論理的に対応しているわけではない。上にも書いたとおり、孤立主義の反対語は国際主義なんだろうし、単独行動主義は行動の際のパートナーの数を表しているわけであり孤立主義とは関係が無いからである。

実際に現代のアメリカ外交における孤立主義的な事例はほぼ無いのではないだろうか。確かにアメリカの世論にそういった傾向があることは確かだろうが、世論の傾向だけでその国の外交を論じることは適切とはいえないだろう。

加えて悩ましいのが「単独行動主義」という言葉だ。そもそも国会の行動は、様々な圧力や関係によって影響を受けるとはいえ基本的に「単独行動」なのではないだろうか。日本外交はしばしば「国際協調」を標榜するが、それも根本的には協調によって得られる利益があるからそうしているのであって、それそのものが目的とはいえないだろう。確かに力がある国は無い国と比べて、自分の考えたことをそのまま行動に移しやすいという「傾向」はあるわけだが。

そんなことを考えた上で、さらに国内と国外の利益を調和させた「リベラルな国際主義」が必要だ、と議論されると論理的思考という意味では益々こんがらがってくる。もちろん「何となく」言いたいことは分かるわけだが…。「何となく」では学問的な議論にはならないわけで、その辺りが悩ましい。

at 23:57│Comments(0) 日々の戯れ言 

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