2007年05月25日

たそがれ。

諸般の事情から先週に課題文献の変更があり、急遽木畑洋一『帝国のたそがれ』を読むことになった。かなり昔に一度読んだ本だったのだが、一流の歴史家の文章にうならされた。日本外交の本をずっと読むのもいいが、たまにはこうやってちょっと周りから見る会があるといい気分転換になる。

以下の書評は例の如く、授業のために作成したコメントを基にしているので、やや批判的な面が強すぎるかもしれませんので、その点は割り引いてください。

c24260fa.jpg

木畑洋一『帝国のたそがれ』(東京大学出版会)
 本書は第二次大戦後のイギリスの対アジア・太平洋地域外交について、?対日講和問題と?対マラヤ政策の二つ問題を検討することによって、その冷戦下の「イギリスとアジアの関係(=帝国のたそがれ)」に迫った著作である。著者は、本書の前の研究として『支配の代償』という「帝国意識」に注目した研究を発表している。その問題意識は本書の随所に顔を出しているが、本書はあくまで伝統的な外交史のアプローチから、取り組まれた手堅い研究である。丁寧な先行研究のレビュー、無駄の無い注釈など、論文を書く上でも参考になることは多い。以下では、まず全体を通したコメントを行い、その上で第一部と第二部についてそれぞれ論じていく。
 まず挙げられるべき本書の意義は、「冷戦」と「脱植民地化」という二つの大きな戦後国際政治の潮流の双方を視野に入れた研究だということである。本書が出版された1996年の時点で、このような視点を持った研究は我が国にはほとんど存在していなかった。とはいえ、著者も断っているように(14頁)、本書ではアジア・太平洋地域でのイギリスの姿の全般的な描写が行われているわけではない。対日講和における「主役」はあくまでアメリカでありイギリスはあくまで副次的な役割に過ぎなかったし、イギリス国内における関心も必ずしも高いとはいえなかった。一方マラヤ問題は、宗主国であるイギリスが「主役」であったし、イギリス国内でも大きな関心を読んだ問題であった。このように性格の異なる問題に対するイギリスの取り組みを並べることによって、著者は何を明らかにしようとしたのだろうか。性格の異なる二つの問題を並べて論じることの意味については、「戦後のアジア・太平洋地域の国際関係におけるイギリスの位置を考える場合、イギリスが中心的役割を果たした領域と同時に、イギリスの力が限定されていながらそれでもなお相当の役割確保をめざした領域をも検討してみることが必要となる。この前者の例として本書では対マラヤ政策を扱い、後者の具体例として対日講和問題を取り上げる」(6-7頁)と説明されている。
 本書には、上記二つのテーマを架橋する序論と結論が付されている。結論部によれば、本書の叙述から「この地域での大国としての地位にあくまで固執するイギリスの姿勢」(267頁)が浮かび上がるが、「イギリスが実際にふるいうる力、実現しうる状況との落差」(268頁)も同時に浮かび上がるという。確かにこの両者は、二つの事例からも大きく浮かび上がるところであった。そうであるならば、序論において「全般的な描写」は目指さないと逃げを打つのではなく、序論において朝鮮戦争や対中政策といった問題にイギリスがどのように関わったのかに関しても論じ、さらに結論において本書の取り上げたケースとその他のケースがどのように関係付けられるのかについて論じるべきだったのではないだろうか。
 また、本書の大きな意義の一つは戦前ほどの研究的な注目が集まらないアジア地域におけるイギリスの役割を論じたことにある。戦後アジアの国際関係の中にイギリスの視点を導入することは、細谷千博や田中孝彦らによってすでに行われているが、そのどちらも日本が関係することであった。しかし本書の第二部はマラヤ紛争を取り上げており、ここに日本が直接関係するわけではない。対日講和を扱った第一部に加えて第二部でマラヤ紛争を取り上げたことは、戦後アジアの国際関係史の広がりを感じさせるものである。
 次に第一部「イギリスと対日講和」について簡単にコメントをしておきたい。第一部の重要な点は、先行研究等も踏まえた上で、イギリスが対日講和において果たした役割(とその限界)を明らかにした点にある。とりわけ、イギリスの帝国政策・帝国戦略の視点を重視することによって、従来の研究以上に英連邦諸国との関係を浮き彫りにすることに成功したといえるだろう。また、国際秩序的な視点が強く意識されていることは、本書の議論に厚みを与えている。ただし、アジア・太平洋地域の国際秩序は様々な側面(例えば、冷戦、英帝国、英連邦、脱植民地化など)が混在するものであるはずであり、それらがどのように関係しあっていたのかについて明確な分析があっても良かったのではないだろうか。
 やや残念な点があるとすれば、それはイギリスの冷戦政策が本書からはあまり見えてこない点にある。イギリスが「ハード・ピース」から「ソフト・ピース」へ転換していく過程などの議論にしばしば見られるように、その政策の背景に「冷戦」があったことが示唆されている。それではイギリスは、「冷戦」をどのように見ていたのかについてもう少し議論があっても良かったのではないだろうか。「脱植民地化」については第二部で詳細に触れている一方で、「冷戦」の具体的な面がやや薄くなってしまっていることは残念である。レトリックではなく、具体的に本書が考えるイギリスの冷戦政策は何か、この点は疑問として残る。
 最後に第二部「イギリスとマラヤ」についても若干のコメントをしておく。第二部で取り上げられたマラヤ問題は、イギリス外交史の文脈では第一部で取り上げられた対日講和よりもはるかに重要とされる問題である。第二部の叙述から改めて感じさせられるのは、戦後初期のイギリスの影響力の大きさである。それが「たそがれゆく」ものであったとしても、これだけの影響をアジアの国際政治に与えていたということは非常に重要なことである。またこれは著者の意図からは離れるかもしれないが、大英帝国がどのように維持されていたのかということを考える上でも、第二部にはいくつか重要な議論がある。その一つは、イギリスが植民地統治に割くことが出来た「資源」はそれほど多くは無かったということである。オーストラリアとの関係やその他の植民地と、このマラヤ問題との関係などはこの点から興味深いものである。結局のところ、植民地統治は「権力」の側面よりも「権威」の側面が強かったのかもしれない。第二部でも、第一部と同様に国際秩序的な側面が意識されている。SEATOとの関係を押さえてイギリスのマラヤからの撤退を描いている点は、その後の東南アジアの歴史を考える上で重要である。もっとも、その後のSEATOの運命を考えると、やや複雑な気持ちにもなるのであるが。
 以上長々と紹介してきたが、本書が切り開いた戦後アジア国際政治史という地平は、宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』などによって、さらに押し広げられ、また深められている(もっとも著者は、イギリスがアジアにおいて一定の影響力を果たした時代は一九五〇年代半ばまでだったと論じている)。このような形で後続が続いていることからも、本書の意義が明らかだろう。長く読み継がれるであろう名著である。

at 23:28│Comments(0)本の話 

コメントする

名前
URL
 
  絵文字