2007年05月24日

久しぶりにレジュメ公開。

今日は授業で発表(といっても課題文献のディスカッサント)が一つあった。久しぶりに文章形式で作ったので、授業での討論を踏まえて少し修正したものを載せておきます。こんなマニアックな話は、大方の人には何のこっちゃという感じだと思いますが…。

時間の関係で、同時期を扱った重要な研究書(A Constructed Peace とか)に目を通すことが出来なかったのは残念だが、何となく流れのようなものを確認できたのは良かったのではないだろうか。発表原稿を作っている内にこの時代・このテーマの面白さが何となく見えてきたので、時間を見つけて先行研究にももっと目を通していきたい。

ちなみに四限と五限は、政治思想の授業が連続してあった。両方ともなかなか面白かったのだが、まとめ直す気力が湧かないので今日は省略。


No.136-146
Foreign Relations of the United States 1958-1960 : Volume ?, Part 1 : Western European Integration and Security; Canada

1、はじめに

 本年度の授業で読解する外交文書は、Foreign Relations of the United States 1958-1960 : Volume ?, Part 1 : Western European Integration and Security; Canada である。取り上げるのは、ヨーロッパ統合ではなくNATOに関する章であり、に軍事的な専門用語等も多く、一度読んだだけでは文字通りの意味以上のことを読み取ることはなかなか難しい。
 そこで本発表では、まず先行研究や通史を参考にやや時代をさかのぼりつつ1958年の意味を考え、さらに先週と今週の範囲(No.131-146 : 1958年4月~5月)がどのような時期であったのかを明らかにする。その上で、資料から読み取れる興味深い部分をいくつか抜き出して、議論の手がかりとしたい。

2、冷戦の「五五年体制」とその後

 1958年の意味を考える前に、その前史として「冷戦の「五五年体制」」について触れておきたい。この概念は、外交史家の石井修によって唱えられたものである。簡単にまとめれば、ヨーロッパで1947年~48年頃に姿を現し始めた冷戦が、ジュネーブ首脳会談を経た1955年の時点で「膠着状態」に入り、「制度化」「安定化」へ向かう兆しを見せ始めるまでになった、ということである。石井は冷戦の「五五年体制」の特徴として?「分断による平和」、?「冷戦の戦われ方」が双方に認識されたこと、の二つを挙げ、さらにこれは、?東西ヨーロッパの「安全保障圏」の確定、?熱核兵器の出現、?「外交」の復活、?冷戦の拡散、の四つの現象と関連しあっていると主張している。ここに挙げた四つの現象は、今回の範囲の文書からも読み取ることが可能である。
 その「五五年体制」の下で、1958年に至るまでに様々な事が起こっている。1956年2月には、フルシチョフによるスターリン批判演説が行われ、さらに同年10月にはハンガリー動乱とスエズ危機が相次いで発生している。スターリン批判はソ連の穏健化を示すものであり、後の二つの危機は冷戦体制下の各陣営内に発生した危機であった。逆説的ながらこの二つの危機の解決方法は、まさに冷戦体制が常態化したことを示すものであった。
 1957年には二つの大きな出来事がある。一つは3月の仏・西独・伊・ベネルクスの6ヶ国による欧州経済共同体(EEC)/欧州原子力共同体(EURATOM)条約の調印が行われたことである(1958年1月に発足)。もう一つは、ソ連による人工衛星(スプートニク)打ち上げ成功である。この出来事は、アメリカ国内でセンセーショナルに取り上げられ、世界が大陸間弾道弾(ICBM)によるミサイル戦争の時代へと突入したことを示すものであった。またNATOに関連するものとしては、このような情勢を受けて作成されたMC70の決定も重要であるだろう。以上のような流れの延長上に、1958年は位置づけることが出来るだろう。

3、1958年の意味

 1958年と聞いて思い浮かぶことは人によって様々だろうが、?フランスの政変(アルジェリア問題深刻化に伴うドゴールの政権復帰と第五共和制の成立)と?第二次ベルリン危機の発生、の二つがヨーロッパにおける大きな出来事であったといっていいだろう。フランスの政変は4月頃から本格化し6月にはドゴールが政権に復帰し、10月に新憲法が公布され第五共和制が成立する。一方の第二次ベルリン危機は、11月にフルシチョフが西ベルリンに対する要求を米英仏の三国に突きつけたことによって始まる(この第二次ベルリン危機が最終的に解決するのは、アメリカの政権交代後である1961年の「ベルリンの壁」構築による)。
 またフランスの政変と関係する話ではあるが、本授業で取り上げるNATOに関係するものとして重要なのが、ドゴールが9月に発した「1958年覚書」である。この覚書はNATOにおいて英米仏三国が同盟の核戦略を策定する「三頭制」を目指したものであった(ドゴールのNATOへの働きかけは、実は政権復帰当初の6月から始まっている)。
 このように見ていくと、1月のEEC/EURATOM発足も含めて、1958年がヨーロッパにとって重要な年であったことが分かる。しかしここで注意しておきたいことは、先週と今週の範囲は同年4月あら5月であり、これらの出来事のちょうど間の時期だということである。ヨーロッパ統合に関してもEEC/EURATOMの発足でひと段落つき、一方NATO政策に関してもドゴール復帰直前ということまた第二次ベルリン危機勃発前という、端境期のような時期であった。
 それでは、先行研究においてこの1958年4月から5月という時期をどのように取り扱われているのだろうか。結論的に言えば、それはほぼ「無視」されているといってよい状況にある。それは下記参考文献に挙げたものについてだけでなく、その他の研究(例えばこの数年内に発表されたヨーロッパ統合に関する国内外の論文集など)においても同様であった。とはいえ、先行研究において1958年が「無視」されているわけではない。むしろ1958年という年は、一つの転換点として位置づけられ重要視されているといってよい。ただし、4月から5月という時期はその転換の直前であるために、ほとんど「無視」されているのである。

4、資料から何を読み取るか?

 それでは、以上のような位置づけにある1958年4月~5月の資料から何を読み取ることが出来るだろうか。改めて言うまでもないことだが、どのような視角からこの資料を読むかによって、読み取れるものは大きく異なる。また、本授業で読む資料は1958年から1960年にかけての米外交政策を取り扱った公刊資料集の「ごく一部の一部」であることも忘れてはならないだろう。以下では、いくつかの視角からこの資料を読むと読み取ることが出来ることを抜き出して取り上げてみたい(以下、順不同)。
 もっとも可能性がある重要な視角は、軍備管理の視点であろう。同時期の様々な政策が軍備管理との関連から捉えられていたことは様々な先行研究が指摘している点である。この点からは、それまでのスタッセン大統領補佐官に代わり、ダレス国務長官が同時期の政策遂行の中心に立っていた点は重要だろう。スタッセンの政策をダレスが変更していく過程として同時期を捉えることは可能である。しかしながら、その政策はドゴールの登場や第二次ベルリン危機によって、さらなる変更を迫られるのであり、評価を下すことは本資料からだけでは難しい。とはいえ、その後の軍備管理の問題として出てくる一般兵器と核兵器の問題や、NATO内の核兵器管理の問題といった様々な論点は、この1958年4月~5月の討議でほぼ出ているといっても過言ではない。後述のように、確かにドゴールのインパクトは大きかったわけだが、そのインパクトの裏にあるこの時期の交渉から議論を抽出していくことは重要な作業だといえよう。
 二つ目は、フランスを軸に据える視角である。前述のように、フランス政治・外交の文脈でこの時期は極めて重要な時期である。アルジェリアの問題によって国内政治は大きく紛糾していた。この点を考えると、ダレスがアイゼンハワーにアルジェリア問題を米ソ会談と共に重要な問題として挙げていることは興味深いことである(No.135)。また、フランスがドゴールの政権復帰以前に既に核実験を行う方針を固めていたことはよく知られていることであるが、1958年の4月がその時期である。この文脈からは、フランスが核戦争の危険と核実験の危険を峻別していることの意味も深長である(No.140)。ただし、ピヌーが核実験を既定方針にしたことを知っていたのかによって、この発言の意味は変わってくるかもしれない。
 三つ目は、NATOを軸に据える視角である。前述のように、6月にドゴールが政権に復帰したことによってフランスの対NATO政策は変質していく。この点は逆説的に次のようにいうことも出来る。ドゴールの対NATO政策が新しいものであり、NATO全体に影響を与えたとすれば、それはドゴール以前の政策との比較によって明らかにされる必要がある。このように考えれば、4月~5月の議論はドゴールが政権に復帰するまさに直前であり、後との比較材料という意味では重要といえるのかもしれない。
 まとめとして雑駁な印象を述べれば、1958年4月~5月を扱った本資料は、「冷戦の「五五年体制」」という歴史認識を補強するものとして読むことが可能である。

参考文献                         
石井修「冷戦の「五五年体制」」『国際政治』(第100号、1992年8月)
石井修『国際政治史としての二〇世紀』(有信堂高文社、2000年)
川嶋周一『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序』(創文社、2007年)
ジョン・ルイス・ギャディス(赤木完爾・他訳)『歴史としての冷戦』(慶應義塾大学出版会、2004年)
倉科一希「一九五〇年代後半の米国軍縮・軍備管理政策と同盟関係」『国際政治』(第134号、2003年11月)
細谷雄一『外交による平和』(有斐閣、2005年)
ゲア・ルンデスタッド(河田潤一・訳)『ヨーロッパ統合とアメリカの戦略』(NTT出版、2005年)
渡邊啓貴『フランス現代史』(中公新書、1998年)
渡邊啓貴・編『ヨーロッパ国際関係史』(有斐閣、2002年)
John W. Young, John Kent, International Relations since 1945 ( Oxford : Oxford University Press , 2004 )

at 23:58│Comments(2)アウトプット(?) 

この記事へのコメント

1. Posted by goro   2007年05月25日 10:43
いま「国際政治」By高坂さん読み直しました。やっぱすごいですね。揮えっぱなしです。あの本の中に軍縮の話が出て来たと思いますが、昨日の話にタイムリーでしたよ。あの本が32歳で作られたとは・・。
2. Posted by 管理人   2007年05月25日 11:16
最近あの本は俺達の周りでかなりブームになってるよな…4年ぶりくらいの。俺も方々で「布教活動」に勤しんでるし。そういえば、軍縮の話も出てたんだよなー、時期的にも今の範囲のちょっと後だし、読み返してみるとちょうどいいかもね。週末に読み返そうかな。

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