2007年05月23日

労働日/歴史家。

とにかく今日は働いた一日。朝8時半過ぎに家を出て、帰宅したのは夜11時過ぎだ。働いている友人達、特に外資系で働いている人にとってはこれくらいごくごく当たり前なんだろうけど、こちとら研究/勉強する身体にはなっていても、働く身体にはなっていないのでとにかく疲れる。

もっとも、今日はきつかったばかりではなく楽しいこともあった。

都内某所で行われた某研究会へ参加したからだ。こう書くとものすごく怪しく聞こえるが、いたって普通の研究会です。講師は『歴史を学ぶということ』などの近著がある歴史家の大先生です。研究会のテーマは「太平洋戦争」だったわけだが、細かい学術的な話講演ではなく、研究動向の紹介やより大きな文脈における太平洋戦争の意義といったことが話の中心だった。

講演と質疑応答がそれぞれ1時間半、あわせて3時間という長めの研究会だったこともあり、幅広い話題についてじっくりと話を聞くことが出来たことはとても貴重な経験だった。

講師の先生の本はそれなりに読んできたと思うのだが(もっとも日本語だけ)、一般にも言われるように後の著作になればなるほど「文化」や「トランス・ナショナル」といったことが強調されてきたような印象が自分自身あった。今日の話でももちろんそれを感じるところはあったのだが、「太平洋戦争」というテーマであったことや最新の研究を紹介するという趣旨もあって、講演の主な部分では「文化」や「トランス・ナショナル」といったことがそれほど出てはこなかった。国益や利益といった話は他の人以上に押さえているということがよく分かった。

「文化」や「トランス・ナショナル」といったことが出てくるのは、質疑応答時の「歴史認識」をめぐる問題や、二国間の友好関係をいかに作るのかといった文脈であった。その際に最も批判が向けられていたのが「ナショナリズム」である。それはどの国のナショナリズムであっても批判対象になる。そこには侵略国も被侵略国も宗主国も旧宗主国もないわけだ。実際の政治においてどうかは別として、歴史家の研究者としての立場は本当にそうあるべきなんだろうと思う。

これは本当に大切なことだ。ちょうど今授業の課題文献を読んでいるのだが、その本からも今日の話と同じようなことを感じている。その本の著者とも今日の先生とも、必ずしも自分の「政治的意見」が重なるわけではないが、研究者/歴史家がどうあるべきかということについては、本当に深く納得させられた。

政府に入ることは一切なく、時事的な問題に発言することもほぼなく、一人の歴史家とて生涯研究を積み重ねてきた学者のオーラのようなものを感じた。

at 23:56│Comments(0)日々の戯れ言 

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