2007年04月20日

久々に書評を。

六本木の「夜の学校」が本格的にスタート。

やはり博士論文を基にした本は、何というか「重み」が違う。これから修士論文を書く身としては、今後登る山の高さに嘆息せずにはいられない。

授業のためにやや長めのコメントを書いたので、それを基にした書評を載せます。授業用に批判的検討を試みたものなので、その点は差し引いて読んで下さい(といっても、これを全部読むのは数人だけだろうが)。

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高原秀介『ウィルソン外交と日本』(創文社)

◇テーマ設定

 本書は、ウィルソン政権の対アジア外交について主として対日関係の観点から分析している。著者は、現代アメリカ外交における「ウィルソン主義」的特徴の重要性を指摘した上で、「それでは、ウィルソン外交がアジアという地域に照射されたとき、その実体は果たしてどのようなものであったのだろうか」(7頁)と述べている。これが本書の根幹にある問題関心といえるだろう。このような問題関心に基づいて対日関係の実証的な分析を、対華二一箇条、石井・ランシング協定、シベリア出兵、パリ講和会議の四つの問題について行っている。
 著者は先行研究の問題点を次のように指摘する。ウィルソン外交研究は極めて多岐にわたり、東アジア政策についてもかなりの蓄積がある。しかし、その多くは日本・アジア側の分析を含まず、さらに個別研究が多くウィルソン政権の対日政策を全体として体系的に論じたものはないという。一方、日本外交史の分野においてもある程度の蓄積はあるものの、それはあくまで日本外交史の観点からの個別的な研究に留まっているという。管見の範囲では同時期を扱った文献として、邦語文献に限っても細谷千博、入江昭、北岡伸一らの古典的な研究がある。本書は、アメリカにおけるウィルソン外交研究と、日本における日米関係研究の双方を超えようという野心的なものであり、重要な著作である。以上は著者による大きな意味での先行研究の整理である。その上で、著者は序論および各章の冒頭でより詳細な問題設定を行い、実証的な分析を行っている。全体としては、資料や先行研究を基に「総合化」「体系化」を行い、各部分についてはそれぞれの問題設定を行って先行研究との差別化をそれぞれ図っているのである。このように構成された本書は、先行研究が多く研究蓄積がある分野を対象に研究を行う際の一つのモデルを提供しているともいえよう。

◇構成および分析枠組

 著者は、分析上の本書の課題として三つの課題を提示している(序論第二節)。その中で、興味深いのが第三の課題「ウィルソン政権の対日政策にみられる個別問題への政策的対応において、それぞれいかなる対外政策の基本要素が顕著に現れたかを分析すること」(13-14頁)である。ここで挙げられる対外政策の基本要素とは、すなわち?権力政治的契機、?経済利益的契機、?イデオロギー的契機の三つである。ここでは齋藤眞の研究からこの三つが取り出されているが、この三つの要素とはかつて高坂正堯が『国際政治』(中公新書)において提示した国際政治の三つの体系(力・利益・価値)とそのまま重なるものである。従来ウィルソン外交の評価は、理想主義的側面が強調されることが多かった。本書では、「三つの契機」という視点を導入することによって、ウィルソン外交の理想主義的な側面と現実主義的な側面をよりバランス良くウィルソン外交を描くことに成功したといえるのではないだろうか。この点は外交史研究一般にも有用だと考えられる。ただし、本書においては?経済利益的契機に関する分析はほとんど行われていない。「門戸開放」政策を考える際に、経済的側面を無視することは適切ではないだろう。
 もっとも、構成上の問題が無いわけではない(日本外交史からの視点は次項で触れる)。まず、各章の分析枠組みの相違である。質的に様々に異なる問題を取り上げている以上、各章の分析手法が異なることはありえることである。各章の分析の共通点として個人の視点を重視されているという点を挙げることは可能であるが、外交文書を主要資料とする外交史研究としてこの点は当然のことであろう。分析枠組みの相違を二点ほど例示しよう。一点目は、第二章においての唐突なマルチ・アーカイヴァル・アプローチの採用である。石井・ランシング協定の成立過程におけるイギリスの意味をイギリスの外交文書を用いて明らかにした同部分は、分析としての厚みといった点で非常に興味深いものであるが、逆になぜ他の問題ではイギリスの視点をあまり重要視していないのかが明確にされてはいない。むしろ同部分を読むと本書で取り上げた他の事象におけるイギリスの意味はどうだったのだろうかと感じてしまう。二点目は、第三章における議会勢力の重視である。この点も一つ目に指摘した点と同様の意義と問題点がある。
 全体の枠組みの点から問題なのは、対アジア政策と対日政策が明確に分けられていないことである。内容から判断すれば本書は明らかに対日政策に焦点が当てられている。しかし、「日米関係のみに焦点が当てられている」という先行研究への批判を踏まえて「対日政策を東アジア政策史の流れの中に位置づける」ことを意識するあまり、両者の区別が不明確になってしまっている。確かに、同時期の日本がアジアの国際政治構造を左右する大国であったことを考えれば、対日政策とはすなわち対アジア政策であり、対アジア政策とはすなわち対日政策という面はある。しかし、序論でアメリカの政策目標として掲げられている「門戸開放」政策が本書の後半、シベリア出兵以降の話の中ではほとんど出てこない。こういった点はやや問題であろう。序論で、本書の焦点がどちらにあるのかをはっきりさせておくことは可能だったのではないだろうか。
 また編集上の問題点も散見される。本書には、各議論のまとめが各章または各節の最後に付されている。読み進める上で便利な点ではあるが、若干重複する部分が多く煩雑である。とりわけ第三章に関してはその傾向が強い。まとめと同様に、本書で一貫して重視されている個人の役割についても、各アクターの生い立ちや背景に関する記述の重複が見られる。これとは逆に明らかに説明が足りない点もいくつかある。例えばシベリア出兵について、本書ではこれまでの研究で軽視されてきた「撤兵」に記述の大半が割かれている。しかし本書では「出兵」の基本的な経緯も書かれておらず、いきなり読むと何が書いてあるのか理解するのが難しいだろう。

◇日本外交史研究への含意と問題点

 本書はあくまでアメリカ外交史として構成されているし、著者自身そのように捉えている。よって、以下のコメントはやや著者の意図とは異なるかもしれないが、日本外交史を研究するものとして本書の日本外交史研究への含意と問題点について若干のコメントをしておきたい。
 日本外交史研究にとって、アメリカは様々な意味で重要な意味を持つ。一般的な意味では、日本外交を考える際にアメリカ要因を無視することは出来ないということである。その意味で、アメリカの対アジア政策や対日政策を分析することは極めて重要である。また資料的な面でアメリカの資料は重要である。これまでの日米関係史の多く、とりわけ戦後については専らアメリカの資料に基づいて日本の視点が描かれてきたといっても過言ではない。また戦前については、逆に日本国内の視点を重視した研究の方が一般的には多い。このような研究状況を鑑みるに本書の意義は大きいといえるだろう。本書によって明らかにされたウィルソン政権の対日政策は、多くの点で日米関係研究に示唆があるものである。例えば、戦前日本の首相として最も対米協調的であった原敬の政策が失敗したのかといった点について本書の示唆するところは大きい。また、対華二十一箇条要求やベルサイユ会議での日本をアメリカがどう見ていたのかという点も本書によってより詳細に明らかにされたと言えよう。
 とはいえ、このようなアメリカの対日観が明らかになった一方で、本書では日本側の視点が掘り下げられていない。日本においては日本の対米外交が常識的に理解されているので、本書を読んでいる際にもすんなり読み進めることが出来るが、前提知識として最低限の日本外交史理解が無ければ日本側の動きが理解しがたいのではないだろうか。このような日本側の視点の弱さは、本書が日本における日米関係研究に対して直接の答えを出すことが出来なかったことにも関係しているのかもしれない。例えば、第二章冒頭で、「いわば「門戸開放を唱えるアメリカが日本の立場に最も近づいた…瞬間であった」(北岡伸一)、とされる石井・ランシング協定の成立過程とその意義の再検証を試みたい」(62頁)と課題を挙げながら、第二章の最後ではこの課題に直接答えることが出来ていない。結果として、本書全体を通じて「日米関係」という視点が弱いものになってしまっている観は否めない。

◇おわりに

 本書評は授業での討論用に作成した原稿を基にしており、批判的検討を行うことに主眼が置かれている。結果として、本書の意義については詳しく触れていない。ここで改めて言うまでも無く、本書は極めて重要なアメリカ外交史の傑作である。ともすれば日本の視点からのみアメリカ外交を捉えがちな我々にとって本書は新たな視点を開いてくれるだろう。

※本書の積極的な意義については、『創文』『外交フォーラム』等に掲載された書評で詳しく書かれているので、そちらも併せて参照していただきたい。

at 23:31│Comments(0)本の話 

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