2007年02月23日

外交五十年。

最近は小説の話ばかり書いていますが、もちろん小説ばかりでなく、回顧録や研究に関係する文献もちゃんと読んでいます。長期休暇はこういった時間があるのがうれしい。とはいえ、そろそろこういった寄り道を止めて、研究一本に絞った日々にしなければならないので、やや残念だ。

今日は、そういった成果の一つを紹介しておきたい。

が、その前に時間の配分のようなものに関する四方山話を一つ。

無意識ながら、時間の調整をしている自分に最近ふと気が付くことがある。最近読んでいるような分量が軽めの小説なら、大体2時間から3時間もあれば読み終えることが出来る。というわけで、自分にとって印象がいかに大きくても使っている時間はそれほど多いわけではない。

この2時間から3時間というのが、休暇中の余暇ということで調整が行われているらしいと最近気が付いた。もちろん、友人達と話したり遊びに行ったりということはあるが、基本的に2時間から3時間が自分の余暇というのが生活リズムとして染み付いているようだ。

映画、小説、漫画、これがうまくこの2時間から3時間の間で配分されたいるらしい。これくらいが、適度に力も抜けて。ああ遊び過ぎたな、と思うことも、もっと遊びたいな、と思うことも無くちょうどいい塩梅になっている。修士論文が切羽詰って来る夏期休暇はこうもいかないんだろう。

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幣原喜重郎『外交五十年』(中公文庫)
 この数年、幣原喜重郎に対する関心が再び高まってきているように思う。幣原が外務大臣を務めた時期は、一般に「幣原外交」と形容されている。もっとも、その内実は未だに不明な部分が多い。「幣原外交」は、一般に対英米協調外交、対中不干渉政策などがその特徴として挙げられている。「幣原外交」に批判的であった田中義一の外交も決して反英米外交ではなかったし、対中不干渉政策にしても経済的な権益に関してはしっかりと主張しており簡単に「不干渉」であったと結論付けられないことは、これまでも広く指摘されていることである。
 このようなある種曖昧なイメージもあるからか、近年「幣原外交」の再検討が積極的に行われている。昨年末には服部龍二氏によって『幣原喜重郎と二十世紀の日本』(有斐閣)という評伝的な研究が刊行された。こうした一連の流れと関係があるのかは分からないが、今年に入って中公文庫から本書『外交五十年』が20世紀BIBLIOの一冊として復刊された。なお、中公文庫からは続いて石井射太郎と来栖三郎の回顧録が復刊されるようである。
 さて、本書は幣原喜重郎の唯一の回顧録として長く親しまれてきた一冊である。新聞掲載のための口述筆記を基にしており、通常の回顧録と比べて軽妙であり、読みやすいものになっている。本書は大きく二部構成になっている。第一部では、日露戦争期から第二次大戦後まで書名通り、50年に渡る幣原の外交人生が語られている。そして第二部では、第一部で語り落としたことなどを中心に、幣原が関係した国内外の人物に光が当てられている。
 長く読まれてきた一冊だけあり、良質な回顧録になっている。自分の手柄を誇示するわけでもなく、語られていることに関する限りその時々の出来事を率直に語っている印象がある。また第二部で中心的に行われている「人物月旦」は、同時代の見方として興味深いものである。一読すれば、幣原の思考方法や時代認識が伝わってくるだろう。とはいえ、資料的にはやや物足りないといえるかもしれない。もともと新聞への連載が前提の口述筆記が基になっていることから、通史的に外交人生を振り返っている第一部は、今で言えば「私の履歴書」のような内容・構成になっている、といえばいいだろうか。やや内容の「薄さ」が目に付いてしまう。
 近年の研究を参照しつつ本書を読むと見えてくるものがある。それは、幣原が「政治家的」というよりは「官僚的」な思考方法を、生涯にわたって持ち続けてきたということである。時代を作る、枠組みを作る、というよりはそこにある時代とそこにある枠組みの範囲内で、どのように課題をこなすかという思考方法が常に感じられるのである。だからだろうか、幣原の思考には一貫性があるようでそれがよく分からないのである。

at 23:57│Comments(0)本の話 

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