2007年01月23日

古典再読。

『中央公論』に「古典再読」という連載がある。別に毎月読んでいるわけでは無いのだが、手に取った時には何となく目がいく連載だ。その「古典再読」で紹介されていて「あー、高校の時に読んだなー」と思い、課題をこなす間に読み返した本があるので、ここでも紹介したい。

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池田潔『自由と規律』(岩波新書)
 ここで改めて紹介する必要も無いかもしれない。『自由と規律』は、半世紀以上に渡り岩波新書の一冊として人々に親しまれてきた一冊である。著者の池田潔は、三井財閥の有力者・池田成彬の次男として生まれ、イギリスの名門パブリック・スクールを卒業後、ケンブリッジ大学、ドイツのハイデルベルグ大学で学んだ後、帰国し慶應義塾大学教授となった。本書は、このような筆者の経歴があってこそ成り立つ本なのかもしれない。
 本書は副題に「イギリスの学校生活」とあるとおり、イギリスの教育がテーマとなっている。しかし、ここで紹介されているのは通常の教育ではない。大学でもなく普通の中学校や高校でもなく、「パブリック・スクール」が紹介されているのである。パブリック・スクールは日本の学齢でいえば、中学校から大学の教養課程にあたる。パブリック・スクールを説明する際のキーワードを思いつくままに挙げれば、「寄宿舎生活による全日的な教育」「徹底して求められる規律」「スポーツマン・シップ」「古典教育の重視」などであろうか。こういったキーワードを見て、今の日本ではどういったイメージをもたれるのであろうか。悪い方を考えてみれば、時代錯誤、保守的、そんなイメージだろうか。しかしここに挙げたキーワード(とりわけ「規律」)は、「自由」のために必要不可欠なものだと考えられているのである。「自由」は「自分勝手」ではない。イギリスの伝統的な自由主義は、こういったパブリック・スクールの教育に支えられてきたのだ。
 もちろん本書で描かれるイギリスは、ごく少数のエリート教育、それも半世紀以上前の「古き良き時代のイギリス」である。本書の「向こう側」には、教育すらまともに受けられなかった人々が多数存在しているわけである。また、著者が在学した時期のパブリック・スクールの一部が映画「アナザー・カントリー」で描かれるような世界であったというのも事実であるだろう。そういった現実があったとしても、イギリスの教育の良質な部分が本書の随所からにじみ出ている。
 個人的なことになってしまうが、現在私が通っている大学には「義塾」という名前が付く。この「義塾」とは、一説によるとパブリック・スクールを福澤諭吉が和訳したものだという。この話は私が大学の付属中学校に入った際、池田潔の教え子でもあった部長(通常の学校の「校長」)がことあるごとに言っていたことである。もちろん、中学・高校と必ずしもパブリック・スクールのように充実した古典教育を受けたわけでも、スポーツマン・シップを特に重視する教育を受けたわけでもない。それでも本書を読んだ時に、ああ部長が言いたかったことはこういうことなんだな、と思ったものである。中学でも、文科系と運動系の二つのクラブへの参加が奨励され、高校では端艇部に所属しつつ、授業では一部ではあるし日本だが古典を何冊か読んだ。それなりに、パブリック・スクールのエッセンスのようなものには触れたのかもしれない。
 教育改革が喧しい今日この頃、落ち着いて読み返したい本である。

at 23:21│Comments(0)本の話 

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