2006年12月27日
『パクス・ブリタニカのイギリス外交』
今日は一冊の本を紹介したいと思う。今回は、いつもの書評とは異なり個人的な思い出なども振り返りつつ書いてみました。かなり長いです。本に関する具体的な記述は半分から下くらいに出てきます。
◇
私が君塚先生のことを知ったのは『女王陛下のブルーリボン』(※1)が刊行された時である。もともと国際政治よりも国内政治に関心があった私にとって、勲章の持つ独特な魅力や政治的な意味には常々関心を持っていた。しかし勲章の持つ国際政治的な意味ということは考えたこともなかった。そんな時に出会ったのが『女王陛下のブルーリボン』であった。そこでは、イギリス最高の勲章であるブルーリボン(ガーター勲章)が、イギリス政治史、イギリス外交史の中でどのような意味を持ってきたのかが一次資料に基づいて研究されていた。
その後、ある授業の飲み会で君塚先生に直接お会いすることが出来た。そして昨年の秋学期には、某大学で開講されていた「イギリス政治文化論」を聴講させていただいた。その授業では18世紀から20世紀前半に至るイギリスの議会政治、さらにイギリス外交の歴史が取り上げられていた(残念ながら卒論との兼ね合いで、19世紀末までしか聞くことが出来なかったが)。「愛国王の登場と政党政治の動揺」「二大政党制の確立と王室の危機」といったテーマを立てての各回の授業は非常に興味深く、毎回一つの映画のシナリオを聞いているようであった。この間、様々な形で発表されている先生の論文を読んでいたが、博士論文を基にした『イギリス二大政党制への道』などの著作は読んでいなかった。
修士課程に入ってからは、再び先生の著作を読む機会ことが多くなった。修士課程といえども、大学院は「勉強」をするところではなく「研究」をするところである。そうであれば、自分の専門である戦後の日本政治外交史をしっかりとやるべきなのだろう。しかしなぜか、18世紀から19世紀のイギリスを読む機会は増えていった。一つは、指導教授が編者となった『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(※2)が刊行されたことである。この本には、君塚先生をはじめてとして、いつもお世話になっている先生や大学院の先輩が執筆者として加わっている。執筆者をお招きしての書評研究会は楽しい思い出になった。思いのほか多くの参加者に恵まれたことは、この時代のイギリスに対する関心が自分だけでなく、多くの人に共有されていた証左であろう。
『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』と前後して、『イギリス二大政党制への道』(※3)を読んだ。『イギリス二大政党制への道』は、19世紀半ば、二大政党制が成立する1850年代に注目し、その過程における「長老政治家(elder statesman)」の役割を論じた本である。博士論文を基にしたこの本は、先生の他の著作と比べるとやや肩に力が入り、序章部分では学説史や時代認識にかなりの分量が割かれている。そういった意味では他の著作よりも、やや読みにくいかもしれない。しかし歴史叙述に入ると、縦横に資料を駆使して「長老政治家」達の活躍が描かれており、ぐいぐい読み進めることが出来た。読みながら授業の記憶が蘇ってきた。
それでも、まだ物足りないものがあった。それは19世紀のイギリス外交である。先生が公刊された論文の中でも、かなりの部分はイギリス外交史であった。しかし、その著作はこれまで体系的にまとめられてこなかった。確かに有斐閣アルマから刊行された『イギリス外交史』で、ある程度体系的にまとめられているが、これはあくまで教科書であり、19世紀はその中の一部分に過ぎない。まとまった形で19世紀のイギリス外交を描いたものを読みたい、という気持ちは強くなる一方である。
そして、ようやく刊行されたのが以下で紹介する『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(副題:パーマストンと会議外交の時代)である。
※1 『女王陛下のブルーリボン』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。また、同書については『アステイオン』第63号にも「名誉の政治史」と題して詳細な書評が掲載されている。
※2 『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。
※3 『イギリス二大政党制への道』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。
◇
・君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(有斐閣)
待望の一冊である。上の画像からは読み取ることが出来ないかもしれないが、本書の帯には次のように書かれている。「19世紀半ばのヨーロッパに協調体制を築き上げた、パクス・ブリタニカ絶頂期におけるジェントルマン外交の真髄を描く」。こういった帯の文句は編集者によるものだと思うが、本書の概要はこの文句に尽きるのでは無いだろうか。
本書の主人公は、19世紀イギリスにおいて30年以上にわたって外交指導者として君臨したパーマストン子爵である。19世紀の国際政治はしばしば「ウィーン体制」または「パクス・ブリタニカ」と形容される。この時代におけるパーマストン外交を描くことが本書の第一義的な目的であろう。本書は、「パクス・ブリタニカ」を「会議外交」によって支えたパーマストンを通して描くことによって、この時代を明らかにしているのである。そして、それが著者の外交観や時代認識によってしっかりと支えられている。このようにきれいにまとまっているのは、本書が「書き下ろし」だからである。しかしそれはただの「書き下ろし」ではない。文末の参考文献目録を見れば明らかなように、本書を執筆する以前に膨大な数の個別研究を著者は行っているのである。それは、外交に留まらず内政に関しても同様である。そのような個別研究を、本書の問題意識に沿って必要な部分は残し、さらに削ることが出来る部分は削ることによって、本書は書き下ろされている。
それでは、本書の通奏低音として流れる著者の外交観はどのようなものだろうか。その外交観は、「外交とは軍事力と二律背反なものではなく、十分な軍事力に支えられてはじめて外交は効果を発揮するものである。しかし同時に請求に事態を動かそうとしたり、力ずくで相手をねじ伏せようとするもの「外交」ではない」というものである(このような著者の外交観は、細谷雄一『外交による平和』から一部引用されている)。要は、十分な軍事力を背景として持ちつつも、ねばり強く交渉することこそ「外交」である、ということである。
これを19世紀イギリスにおいて実践したのがパーマストンであった。本書の第一章、第二章では、会議外交の場でねばり強く交渉するパーマストンの活躍が描かれている。かつての「会議体制(Congress System)」に固執するメッテルニヒと対峙しつつ、パーマストンは自らが信じる自由主義的な「会議外交(Conference Diplomacy)」を推し進めていく。そこでは、旧来からの列強だけでなく、小国や革命勢力にも一定の配慮が行われているのである。
さて、本書はこのようなパーマストン外交を賞賛するだけではない。同時に、その外交の後期を描くことによってその「退潮」も描いている。この部分からは、パーマストン個人の問題だけでなく、より広く時代環境や力関係といった様々な要素が見えてくる。パーマストン外交の意義と限界を併せて分析している点が本書の非常に優れた点として挙げられるだろう。
もっとも本書だけでは見えてこない点、分からない点も存在する。一点目は、イギリスの国内政治と外交の関係である。パーマストンはあまり政局がうまくなかったようである。この点は、パーマストンの外交人生に様々な形で影響を与えているのだが、本書ではこの点はあまり触れられていない。もっとも、これは本書にとってはやや筋違いな注文かもしれない。なぜなら、本書はパーマストン外交そのものがテーマであるからである。また、国内政治におけるパーマストンについて著者は既に前著『イギリス二大政党制への道』で詳細に触れている。注を追っていけば、国内政治に関する肝心な部分については必ず『イギリス二大政党制への道』へたどり着くのである。
二点目は、なぜパーマストン外交がその後期において退潮へと向かっていったのか、ということである。確かに、この点は本書でも随所で様々な指摘が行われている。しかし、根本的なことは本書の枠組みからは明らかにならないのかもしれない。それはパーマストン外交の退潮が、ナポレオン三世やビスマルクが活躍しつつある時期とそのまま重なっているからである。つまり、この疑問に答えるためにはナポレオン三世やビスマルクについて詳細に検討する必要があるということだ。本書が描く時代が「会議外交の時代」である以上、その他の要素であるナポレオン三世やビスマルクについて詳細に検討することはむしろマイナスとなる可能性もある。
個人的な話だが、私の専門は日本政治外交史、それも戦後である。より詳しく言えば、1970年代が研究対象である。それでは、なぜ本書に惹かれるのだろうか。それは、外交や政治の真髄が本書で描かれている時代、地域によく現れているからではないかのだろうか。
本書には、人間の営みとしての外交、そしてその輝かしい成功が描かれている。しかし同時に、その失敗やある人間が動いたところでどうしようもない、という様々な現実も描かれている。このどちらが欠けても、国際政治の実態を描くことは出来ないのではないだろうか。そんなことを考えさせられる。
やや、個人的かつ学術的な紹介になってしまったかもしれない。色々と考えたりせずに、もっと素直に読めばもっと面白いのかもしれない。また叙述部分の面白さはもちろん、本書は序章と終章が非常に充実している。この時代に関する知識がそれほど無くても読み進められ、さらにその結論が分かるような構成になっているのである。外交や政治を考える人に、是非読んでいただきたい一冊である。
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私が君塚先生のことを知ったのは『女王陛下のブルーリボン』(※1)が刊行された時である。もともと国際政治よりも国内政治に関心があった私にとって、勲章の持つ独特な魅力や政治的な意味には常々関心を持っていた。しかし勲章の持つ国際政治的な意味ということは考えたこともなかった。そんな時に出会ったのが『女王陛下のブルーリボン』であった。そこでは、イギリス最高の勲章であるブルーリボン(ガーター勲章)が、イギリス政治史、イギリス外交史の中でどのような意味を持ってきたのかが一次資料に基づいて研究されていた。
その後、ある授業の飲み会で君塚先生に直接お会いすることが出来た。そして昨年の秋学期には、某大学で開講されていた「イギリス政治文化論」を聴講させていただいた。その授業では18世紀から20世紀前半に至るイギリスの議会政治、さらにイギリス外交の歴史が取り上げられていた(残念ながら卒論との兼ね合いで、19世紀末までしか聞くことが出来なかったが)。「愛国王の登場と政党政治の動揺」「二大政党制の確立と王室の危機」といったテーマを立てての各回の授業は非常に興味深く、毎回一つの映画のシナリオを聞いているようであった。この間、様々な形で発表されている先生の論文を読んでいたが、博士論文を基にした『イギリス二大政党制への道』などの著作は読んでいなかった。
修士課程に入ってからは、再び先生の著作を読む機会ことが多くなった。修士課程といえども、大学院は「勉強」をするところではなく「研究」をするところである。そうであれば、自分の専門である戦後の日本政治外交史をしっかりとやるべきなのだろう。しかしなぜか、18世紀から19世紀のイギリスを読む機会は増えていった。一つは、指導教授が編者となった『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(※2)が刊行されたことである。この本には、君塚先生をはじめてとして、いつもお世話になっている先生や大学院の先輩が執筆者として加わっている。執筆者をお招きしての書評研究会は楽しい思い出になった。思いのほか多くの参加者に恵まれたことは、この時代のイギリスに対する関心が自分だけでなく、多くの人に共有されていた証左であろう。
『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』と前後して、『イギリス二大政党制への道』(※3)を読んだ。『イギリス二大政党制への道』は、19世紀半ば、二大政党制が成立する1850年代に注目し、その過程における「長老政治家(elder statesman)」の役割を論じた本である。博士論文を基にしたこの本は、先生の他の著作と比べるとやや肩に力が入り、序章部分では学説史や時代認識にかなりの分量が割かれている。そういった意味では他の著作よりも、やや読みにくいかもしれない。しかし歴史叙述に入ると、縦横に資料を駆使して「長老政治家」達の活躍が描かれており、ぐいぐい読み進めることが出来た。読みながら授業の記憶が蘇ってきた。
それでも、まだ物足りないものがあった。それは19世紀のイギリス外交である。先生が公刊された論文の中でも、かなりの部分はイギリス外交史であった。しかし、その著作はこれまで体系的にまとめられてこなかった。確かに有斐閣アルマから刊行された『イギリス外交史』で、ある程度体系的にまとめられているが、これはあくまで教科書であり、19世紀はその中の一部分に過ぎない。まとまった形で19世紀のイギリス外交を描いたものを読みたい、という気持ちは強くなる一方である。
そして、ようやく刊行されたのが以下で紹介する『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(副題:パーマストンと会議外交の時代)である。
※1 『女王陛下のブルーリボン』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。また、同書については『アステイオン』第63号にも「名誉の政治史」と題して詳細な書評が掲載されている。
※2 『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。
※3 『イギリス二大政党制への道』の書評(リンク)。詳しくはこちらを参照されたい。
◇
・君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(有斐閣)
待望の一冊である。上の画像からは読み取ることが出来ないかもしれないが、本書の帯には次のように書かれている。「19世紀半ばのヨーロッパに協調体制を築き上げた、パクス・ブリタニカ絶頂期におけるジェントルマン外交の真髄を描く」。こういった帯の文句は編集者によるものだと思うが、本書の概要はこの文句に尽きるのでは無いだろうか。
本書の主人公は、19世紀イギリスにおいて30年以上にわたって外交指導者として君臨したパーマストン子爵である。19世紀の国際政治はしばしば「ウィーン体制」または「パクス・ブリタニカ」と形容される。この時代におけるパーマストン外交を描くことが本書の第一義的な目的であろう。本書は、「パクス・ブリタニカ」を「会議外交」によって支えたパーマストンを通して描くことによって、この時代を明らかにしているのである。そして、それが著者の外交観や時代認識によってしっかりと支えられている。このようにきれいにまとまっているのは、本書が「書き下ろし」だからである。しかしそれはただの「書き下ろし」ではない。文末の参考文献目録を見れば明らかなように、本書を執筆する以前に膨大な数の個別研究を著者は行っているのである。それは、外交に留まらず内政に関しても同様である。そのような個別研究を、本書の問題意識に沿って必要な部分は残し、さらに削ることが出来る部分は削ることによって、本書は書き下ろされている。
それでは、本書の通奏低音として流れる著者の外交観はどのようなものだろうか。その外交観は、「外交とは軍事力と二律背反なものではなく、十分な軍事力に支えられてはじめて外交は効果を発揮するものである。しかし同時に請求に事態を動かそうとしたり、力ずくで相手をねじ伏せようとするもの「外交」ではない」というものである(このような著者の外交観は、細谷雄一『外交による平和』から一部引用されている)。要は、十分な軍事力を背景として持ちつつも、ねばり強く交渉することこそ「外交」である、ということである。
これを19世紀イギリスにおいて実践したのがパーマストンであった。本書の第一章、第二章では、会議外交の場でねばり強く交渉するパーマストンの活躍が描かれている。かつての「会議体制(Congress System)」に固執するメッテルニヒと対峙しつつ、パーマストンは自らが信じる自由主義的な「会議外交(Conference Diplomacy)」を推し進めていく。そこでは、旧来からの列強だけでなく、小国や革命勢力にも一定の配慮が行われているのである。
さて、本書はこのようなパーマストン外交を賞賛するだけではない。同時に、その外交の後期を描くことによってその「退潮」も描いている。この部分からは、パーマストン個人の問題だけでなく、より広く時代環境や力関係といった様々な要素が見えてくる。パーマストン外交の意義と限界を併せて分析している点が本書の非常に優れた点として挙げられるだろう。
もっとも本書だけでは見えてこない点、分からない点も存在する。一点目は、イギリスの国内政治と外交の関係である。パーマストンはあまり政局がうまくなかったようである。この点は、パーマストンの外交人生に様々な形で影響を与えているのだが、本書ではこの点はあまり触れられていない。もっとも、これは本書にとってはやや筋違いな注文かもしれない。なぜなら、本書はパーマストン外交そのものがテーマであるからである。また、国内政治におけるパーマストンについて著者は既に前著『イギリス二大政党制への道』で詳細に触れている。注を追っていけば、国内政治に関する肝心な部分については必ず『イギリス二大政党制への道』へたどり着くのである。
二点目は、なぜパーマストン外交がその後期において退潮へと向かっていったのか、ということである。確かに、この点は本書でも随所で様々な指摘が行われている。しかし、根本的なことは本書の枠組みからは明らかにならないのかもしれない。それはパーマストン外交の退潮が、ナポレオン三世やビスマルクが活躍しつつある時期とそのまま重なっているからである。つまり、この疑問に答えるためにはナポレオン三世やビスマルクについて詳細に検討する必要があるということだ。本書が描く時代が「会議外交の時代」である以上、その他の要素であるナポレオン三世やビスマルクについて詳細に検討することはむしろマイナスとなる可能性もある。
個人的な話だが、私の専門は日本政治外交史、それも戦後である。より詳しく言えば、1970年代が研究対象である。それでは、なぜ本書に惹かれるのだろうか。それは、外交や政治の真髄が本書で描かれている時代、地域によく現れているからではないかのだろうか。
本書には、人間の営みとしての外交、そしてその輝かしい成功が描かれている。しかし同時に、その失敗やある人間が動いたところでどうしようもない、という様々な現実も描かれている。このどちらが欠けても、国際政治の実態を描くことは出来ないのではないだろうか。そんなことを考えさせられる。
やや、個人的かつ学術的な紹介になってしまったかもしれない。色々と考えたりせずに、もっと素直に読めばもっと面白いのかもしれない。また叙述部分の面白さはもちろん、本書は序章と終章が非常に充実している。この時代に関する知識がそれほど無くても読み進められ、さらにその結論が分かるような構成になっているのである。外交や政治を考える人に、是非読んでいただきたい一冊である。
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