2006年10月25日

日中友好。

1限は毎週恒例の「遠征」に。今日は、先週のテーマ(大まかに言えば、首相の歴史観は外交政策の枠組をどのように規定するか)の続き。自分で残った疑問を立てて、それについて自由に論じた小論文を事前に提出。それを使って議論するのは、いつもの通り。

自分なりの疑問として「首相の歴史観を分析枠組に外交を分析出来るのか?」というものを立てる。若干、授業の前提に挑戦するようなものだが、それはそれで必要なことだろう。この疑問が浮かんでくる理由は、先週水曜の記事に書いたとおりである。やっぱり、国際環境や日本の国力が異なる状況であれば、政策の出発点が異なるのである。

今日の授業で感じたことは、自分の議論をうまく伝える技術が必要だということ。特に若干誤解を招きやすいようなテーマでは、真意が微妙に伝わらないことが多い。今日の場合は、国際環境と政策について。自分としては、国際環境によって、スタート地点において採りうる政策の幅がある程度規定される、ということを伝えたかったのだが、若干拡大解釈(?)されてしまった。

曰く、その議論は国際環境によって全て規定されるということで外交の営みを軽視しているのではないか。曰く、国際環境の見方そのものが政治的な争点であってこの点は無視できないのではないか、など。どちらももっともな議論なんだけど、いまいち俺の言っていることが伝わっていない気がする。例えば「冷戦」のような大きな枠組というものを認識しないで外交を考えることは出来ない、というのは当たり前だと思うんだけどなー。

ま、とにかく議論の仕方や話し方をもっと磨かねばと思いました。

その後は三田へ移動し授業を2つこなす。1つは、前期に引き続き西園寺公望の秘書の口述日記である『西園寺公と政局』を読む授業。ようやく第3巻が終わり、今週からは第4巻に入った。時期で言えば、斎藤内閣が倒れ岡田内閣が成立する時代である。政局の中枢にいた人物の日記を読むというのはかなりわくわくするものだ。

もう1つは、地域研究論合同演習(アジア地域研究)。が、予想通り昨日のシンポジウムの繰返しだった。英語でも2回聞くと、内容がより入ってくるものだ。普段考えることが少ない、ASEAN諸国の対日観を聞くことが出来た意味は大きいのだが…やっぱりソフトパワーという概念はあまり分析の枠組として優れたものとは思えない。「へ~、で?」という風に、どの話を聞いても感じるのは俺だけだろうか。

毎週のことだが、朝から夕方まで授業がある水曜日は長い。今日は放課後、国立競技場でU-21の日本対中国戦を観戦。日中交流の一環らしく、中国研究の某教授経由で大量にチケットが回りそのおこぼれにあずかった、ということ。平○がボールを持つと、スタジアムが何となく笑いに包まれるとは…。

at 23:40│Comments(0)日々の戯れ言 

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