2006年10月17日

10月17日。

火曜日の授業は、一次資料(外交文書)を読む、というなかなか贅沢なものだ。

外交文書を読むのが贅沢、などというと「やっぱり変態だ」と言われそうだ。が、国際政治を学ぶものにとって外交資料を読むことは最もその現場に近いものをしるということであり、興奮するのも仕方が無いというものだ。

そんなに興奮するなら一人で読めばいいだろう、とこれまた言われそうだが、授業でやる意味が実は大きいのである。歴史学では資料第一主義のようなものがあり、政治史や外交史でもそういった雰囲気が何となくある。しかし、同じ本でも読み手によって読み方が異なるように、同じ資料でも読み手によって読み方は異なってくることがある。自分以外の人間が、同じ資料をどのように読むのか、といったことが授業の場で分かるということの意味は大きい。

今回読むのは、Documents on British Policy Overseas (DBPO)、つまりイギリスの資料である。具体的には1945年から1950年までの英中関係を取り上げた1冊の3分の1ほどを読む。テーマは異なるが、月曜の授業と取り上げる時代が近い。

前回まではイントロダクション及び先生の講義だったので、今日から本格的にスタート。でも今日読んだのは編者による序文。といってもなかなか考えさせられる序文である。編者も歴史家であり、序文でありながら1945年から1950年の英中関係についての1つの論文のようであった。ここから考えさせられたのは、この資料集が果たしてどれだけ論文に使えるのかな、ということ。

これはある先輩が言っていたことなのだが、「1つの論文」が出来上がるように資料を選んでいるということは、つまりこの資料集に収録されている資料を読むとこの序言のような結論に達するということでもある。もちろん先にも述べたように、資料の読み方は人によって異なるので必ずしも全く同じになるとは言えないのだが、かなり資料を選別して収録している以上、この資料集を読んだだけでは、このテーマについては編者の提示する枠組みのようなものには左右されざるを得ないということになる。資料集の扱いというのも、なかなか難しいものだ。

来週からはいよいよ実際の資料を読む作業が始まる。

at 22:55│Comments(2)日々の戯れ言 

この記事へのコメント

1. Posted by あかい   2006年10月18日 12:36
>編者の提示する枠組みのようなものには左右されざるを得ない
編集=意図だもんね。音楽でも映画でも同じ。
ちなみに、ジョン・レノンは晩年における最後のインタビューで、ビートルズ期の名曲を聴いて「全てが最低だ」と言ってるので、年を経たらどう見えるか、っていうのは意識せざるを得ないね。
探求、追求、共に頑張ろう!!
2. Posted by 管理人   2006年10月19日 19:37
ジョン・レノンの話を聞いて思い浮かんだのは、ハイロウズ時代のヒロトやマーシーが全くといっていいほど、ブルハ時代の曲をやらなかったことだなー。といってもハイロウズ後期にもハイロウズ初期の曲はやってたな。クロマニヨンズになったら、ハイロウズの曲はライブじゃやらなくなるのかなー。

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