2006年08月23日
ふと気付いたこと。
大学でゼミの後輩と話し、帰ってからふと思ったこと。
自分、この半年間で変わったな~。
んんん、なんで? こいつ自分探しか? となりそうだが、結構単純かつあまり面白くはないことである。ふつうの人には面白くない勉強のお話です。
後輩とは同じゼミで国際政治を学んでいたのに、気が付いたらお互いが今読んでいるものが全然違うのだ。1年前は授業も同じものを結構とっていたし、読む本も似たり寄ったりだった。といっても1年前の夏はひたすら政治家や官僚の回顧録を読んでいたので、それは後輩とは違うのだが、要は意識の問題である。今も回顧録は読んでるし…これはもうほとんど趣味の域に達してる気もする。
今自分が読んでいるのはひたすら戦後日本の政治外交関係、それも野党に関する資料である。先行研究も読んでいるのだが、基本的に量もそれほど多くないので、圧倒的に資料を読んでいる。
先行研究よりも資料を読んでいること、そして国際政治関係をあまり読んでいないことが大きな変化である。日本政治外交史を専攻している大学院生という感じがする。
資料ばかりを読んでいることは、むしろ当然のことである。先行研究だけ読んでいても歴史として新しい研究は出来ないからだ。本当ならこの夏は、野党の政策文書などではなく外交文書を読んでいるはずだったのだが…もうそれは仕方が無い。
問題は国際政治関係を読んでいないことだろう。もちろん、ちゃんとアンテナは張っているから、どんな本が新しく出たであるとか、それの斜め読み程度はしているから、話についていけないということはない。でも、この半年の間に日本外交史ではなく国際政治関係でじっくりと読み込んだ研究書は数えるばかりである。
う~ん、別に歴史学者になるつもりはないだけに、これは問題な状況だ。とりあえず野党研究をある程度まとめた上で、若干の軌道修正を図りたい。
書いていて気が付いたもう1つの問題は、野党ばかり読み過ぎている弊害について。40年以上政権が取れなかった政党の考えの非現実的な認識に頭が侵されてくるのだ。だから昨日読んだ岡本行夫『砂漠の戦争』のような本が新鮮に読めるのかもしれない。これはまた別の機会にちゃんと書こうと思う。
ちなみに野党を読んでいて悪くないこともある。それは新しい視点を得られるということだ。野党の資料を読み込んでみると、野党なりの論理があることも分かるし、野党から見た自民党政権や戦後外交といったものも見えてくる。この視点を理解することは政府や与党だけを見ている人とは違う視点を自分が得るということでもある。それにこういった野党の視点は、戦後日本政治の中に埋め込まれた1つの要素であり、政府や与党の制約要素であったのである。
というわけでこの夏はもう少し野党研究を頑張ります。で、早く政府の研究に戻ります。
何となく頭に浮かんだことをポンポン書いていたら、非常にまとまりの無い文章になってしまった。でも、こうやって少しずつ自分を振り返って軌道修正をしていくことは研究テーマだけにこもりがちな大学院生にとって大事なんだろう。もちろん研究テーマを深く調べ論文を書くことが第一の目的なのだが、視野が狭いとなかなか広がりがある面白いものを書くことは出来ないからだ。
…ということを思った夏の一日。
自分、この半年間で変わったな~。
んんん、なんで? こいつ自分探しか? となりそうだが、結構単純かつあまり面白くはないことである。ふつうの人には面白くない勉強のお話です。
後輩とは同じゼミで国際政治を学んでいたのに、気が付いたらお互いが今読んでいるものが全然違うのだ。1年前は授業も同じものを結構とっていたし、読む本も似たり寄ったりだった。といっても1年前の夏はひたすら政治家や官僚の回顧録を読んでいたので、それは後輩とは違うのだが、要は意識の問題である。今も回顧録は読んでるし…これはもうほとんど趣味の域に達してる気もする。
今自分が読んでいるのはひたすら戦後日本の政治外交関係、それも野党に関する資料である。先行研究も読んでいるのだが、基本的に量もそれほど多くないので、圧倒的に資料を読んでいる。
先行研究よりも資料を読んでいること、そして国際政治関係をあまり読んでいないことが大きな変化である。日本政治外交史を専攻している大学院生という感じがする。
資料ばかりを読んでいることは、むしろ当然のことである。先行研究だけ読んでいても歴史として新しい研究は出来ないからだ。本当ならこの夏は、野党の政策文書などではなく外交文書を読んでいるはずだったのだが…もうそれは仕方が無い。
問題は国際政治関係を読んでいないことだろう。もちろん、ちゃんとアンテナは張っているから、どんな本が新しく出たであるとか、それの斜め読み程度はしているから、話についていけないということはない。でも、この半年の間に日本外交史ではなく国際政治関係でじっくりと読み込んだ研究書は数えるばかりである。
う~ん、別に歴史学者になるつもりはないだけに、これは問題な状況だ。とりあえず野党研究をある程度まとめた上で、若干の軌道修正を図りたい。
書いていて気が付いたもう1つの問題は、野党ばかり読み過ぎている弊害について。40年以上政権が取れなかった政党の考えの非現実的な認識に頭が侵されてくるのだ。だから昨日読んだ岡本行夫『砂漠の戦争』のような本が新鮮に読めるのかもしれない。これはまた別の機会にちゃんと書こうと思う。
ちなみに野党を読んでいて悪くないこともある。それは新しい視点を得られるということだ。野党の資料を読み込んでみると、野党なりの論理があることも分かるし、野党から見た自民党政権や戦後外交といったものも見えてくる。この視点を理解することは政府や与党だけを見ている人とは違う視点を自分が得るということでもある。それにこういった野党の視点は、戦後日本政治の中に埋め込まれた1つの要素であり、政府や与党の制約要素であったのである。
というわけでこの夏はもう少し野党研究を頑張ります。で、早く政府の研究に戻ります。
何となく頭に浮かんだことをポンポン書いていたら、非常にまとまりの無い文章になってしまった。でも、こうやって少しずつ自分を振り返って軌道修正をしていくことは研究テーマだけにこもりがちな大学院生にとって大事なんだろう。もちろん研究テーマを深く調べ論文を書くことが第一の目的なのだが、視野が狭いとなかなか広がりがある面白いものを書くことは出来ないからだ。
…ということを思った夏の一日。
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│日々の戯れ言