2006年07月03日

去り行くものたち。

ここ数日、色々な人がこの世を去り、そしてピッチを去った。

橋本龍太郎。1996年に総理大臣となった彼について多くの説明は必要ないだろう。政治史的に橋本の首相就任は大きな意味を持つものであった。初登院の際に継母に付き添われ、政策の細かいところに官僚のように口を出す、また派閥の中でも一匹狼と言われた。明らかに五十五年体制の首相になるような政治家ではない。そんな橋本が首相になったことに90年代半ばの日本政治の特徴が表れている。自分の専門である外交史の文脈でも、橋本は意味を持つ政治家の一人である。90年代の日米貿易摩擦や沖縄問題を語る際にこの橋本を無視することは出来ない。橋本はインタビューの際に「私の発言が事実か確かめたければ、○○省の○○や○○に聞いてくれればいい」といったことをよく口にしたという。こんなとこにも細かい性格の一端が表れている。そんな橋本が首相となりどんな指示を出していたのか、将来検証する作業は非常に楽しみである。ぜひ回顧録を書いてほしかったが、小泉政権になっていじめ抜かれた彼にそんな気力は残っていなかったのだろうか。自らが率先して取り組んだ行政改革の果実を手にした小泉に、その果実を利用して報復される、政治の世界は皮肉なものである。

原田昇左右。これも自民党の政治家。なぜ取り上げるかといえば、それは地元選出の国会議員だったから。正確には親の実家がある選挙区の前議員である。地方政治家だった祖父と関係があった原田の死というものも自分にとっては大きな意味がある。祖父と同い年だった原田は、祖父が無くなった時にも全身からエネルギーが満ち溢れていた。田中角栄が日本列島改造論をぶち上げた時には運輸省の一員として一定の役割を果たしたという。かつては「隠れ田中派」とも言われたが「加藤の乱」では最後まで加藤に付いたことと、選挙区に道路を引っ張ってきたことくらいしか政治家としての印象は無いのだが、それでも何かを考えてしまう。政治家を生で見たときに感じるそのエネルギーは他の職業に就くものにはないものがある、ということを自分が初めて実感したのが、まだ幼いときにこの原田に会った時のことだ。

お世話になった親戚も一人、週末に逝った。まだ23歳の自分だが、何か時の流れを実感するとき。「時は流れるのか」といった哲学的なことを考えることがあろうとも、人の死は確実に人間にその流れを感じさせる。

そして、中田英寿の引退。彼の代表デビュー戦を俺は競技場で見ている。一番本気でサッカーを見ていたあの時期に中田が代表デビューしたということは自分のサッカー観に大きな影響を与えている。色々と批判されようとも、そして時にはそのパフォーマンスが悪かろうとも、中田のプレーは大好きだった。個人的にはカズのようにいつまでもプレーを続ける選手が好きだし、中田にもそうやって頑張ってほしかった。「サッカーは生活の糧」と対談などで平然と語る中田であるが、その言葉の裏には常にサッカーに対するアツい思いがあるように感じられた。世間で中田の引退が論じられようとも、一番それについて考えたのは本人だろう。第二の人生でもきっと成功するだろうが、それでも再びピッチの上を走る中田の姿を見たい。

去り行くものが、あれば必ずやってくるものがいる。きっと、すぐにそう感じてしまうのだろう。でも、その去り行くものに対して何かを感じ、そしてその思いは今の自分に大きく作用し、自分を成長させてくれる。人生を振り返った時に、そんな去っていったものたちに「ありがとう」と思うのだろう。

at 23:54│Comments(0)エッセイ風 

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