2006年06月28日

時給2000円アップ。

家庭教師の時給が知らず知らずのうちにアップしていたらしい。金持ちパワー恐るべし。やっぱり、家庭教師をやるなら幼稚舎出身者が最高だ。もちろんその分苦労も多いし、学校に行って先生と話したりとやる事も増えるわけだが…。

いや、やっぱり世の中お金ですよ

そんなわけで家庭教師もちょっと大変、課題文献が結構きつい、発表が重なった、などなどの理由で最近忙しい。息抜きにW杯があるのだが、これはこれで時間を取るので他の趣味は休業中。で、忙しくなると現実逃避気味に先のことを考えたりするのだが、先週末あたりからはまた色々と考えている。

昨日、偶然にも(いや、先生は生徒のことよく見てくれているから必然なのかもしれない)お世話になっている先生にも指摘されたことなのだが、考えている話のひとつについて徒然なるままに書いてみる。



大学院に入ってから3ヶ月目が終わろうとしている。そんなわけで、学部生と院生の違いであるとか、今後の研究についてだとかについても考えるわけだ。

「修士課程は学生の上ではなく、研究者の最底辺」

これはお世話になっている先生から常々指摘されてきたことだ。でも、これはやっぱり頭で分かることではなく実感しなければならないことなんだと思う。普通に修士課程1年で授業に追われているとこれを実感する機会がそれほどない。

修士1年目はカリキュラム上、それなりの授業を取らなければならないのだが、去年特殊研究を大量に取りゼミやサークルなどもあったこともあって、実は今年よりも去年の方が授業のコマ数は多い。先週のように英語文献を一気に読まないといけない時もあるし、ある程度コンスタントに外国語文献や専門書を読んだりすることは確かに学部時代とは変わったことだ。

とはいえ、そこからどう研究につながるかといえばそれは難しい。

自分なりに何とかつなげようという試みの一つは、先行研究を自分の問題意識に沿って読み込んである程度体系的に理解しようとする、ということだ。これはGRIPSでの授業やそれに関連して読んだ文献によって何となくではあるが少しだけ道筋が見えてきたように思う。

しかし、これだけではダメだ、というのが最近の実感。

やはり歴史研究を志す以上は一次資料(外交文書)と向き合うという作業が不可欠だからだ。日本外交史という分野を本格的に学び始めたのは大学院進学をしっかりと決めた学部3年の冬くらいからだが、それなりに先行研究は読んだ。が、これは結局他人が資料を解釈して作り上げた歴史を読んでいることでしかない。やはり、自分も資料を読んだ上で議論しなければ基本的に対等な立場からは話せない。ちょうど今読んでいる本の資料の読み方にかなりの疑問を感じているのだが、その批判にどれだけ説得力があるのか…と考えてしまう。政治思想に置き換えれば、原典を読んでいないのに他人の研究を批判しても説得力に限界があるということだ。テキストの解釈は当然読み手によって違うわけだが、まずテキストを読まないことには始まらない。とりわけ研究とはそういうものだ。

「得意なところをより伸ばして、不得意なところが伸びていない」

という先生の指摘はまさにそのとおりである。これまで漠然と考えていたことをズバっと(笑)指摘された、ということ。ただ、と言い訳をしておくと、これは大体自分が通る典型的な道筋だということ。

学部に入ったときから政治学には興味があったので色々な文献は読んできたのだけど、英語の勉強は全くしなかった。なぜかと言えば、それは日本語の本を読んでいて十分楽しかったし、そこから先に広がる世界が見えなかったから。それが変わったのは学部2年の時にサークルの論文を書いてから。読んだ本の注がとにかく外国語だらけで、本に対して感じた疑問を確かめるためには英語を読まなければならなかったこと、そして読みたい本の翻訳が全然出ていなかったからだ。

というわけで遅ればせながら学部3年の時から徐々に英語の勉強を始めた。中学からエスカレーターに乗ってしまったので、英語の勉強をまともにしたのは初めてだった。

これと今回も大体同じところだろう。先行研究を読んでいくうちに、資料という壁にぶち当たったということだ。もちろん、英語の例ほど気が付くのは遅かったわけではないのだが、卒論の共通テーマが「冷戦終結」だったので一次資料が開いていなかったこともあって手を付けるのが遅くなってしまった。

というわけでどうしよう、というのが考えどころなのだが、とりあえず今年の夏は資料と格闘しようと思います。野党研究に決着を付けたいという気持ちもあるが、この場合だと回顧録やインタビュー、新聞記事、党の決定といった公開資料しかあたることが出来ない。これでは基本的には資料的に卒論から進歩があるわけではない。資料の問題は最終的には二義的なものになるのだと俺は思うが、そういったことも全て含めて自分が資料をしっかり読むようになってはじめて言えるというもの。

う~ん、難しい問題。というか歴史研究者以外にはどうでもいいであろう問題。

この問題はもう少し整理してちゃんと書くことしよう。

at 21:31│Comments(0)エッセイ風 

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