忘年会?。粛々と。

2005年12月29日

一応、復活。

月曜の夜から、高熱にうなされてました。熱が下がったので今日から活動再開。最近、めっきり身体が弱くなった気がする。この風邪のせいで一昨日予定していた忘年会?をキャンセルすることになってしまった。もったいない。

今日は、常々「クリスチャンでも無いのにクリスマスで浮かれてるんじゃねぇ」とかなり野暮な主張をしている俺にもやってきたサンタさんから貰ったプレゼントをひたすら活用する一日だった。1つは、『国際政治事典』(弘文堂)。これはクリスチャンである母から貰ったもの。これを買ってくれたときは神様(と仏様と稲尾様)に感謝しました。この事典の色々な項目を読んでいるだけで一日が潰れてしまう、というか潰れた。もう1つはiPOD、こっちはクリスチャンではない彼女から貰ったもの(貰ったのは23日だから、本当は天皇誕生日祝いだと思います)。ひたすら家にあるCDをiTunesに入れていく。あ~、昔はこんな音楽聴いてたんだなぁ、とかなり懐かしい気持ちになった。

そんなわけで、ここ数日は卒論があまり進まず。一昨日大学に行けなかったため、資料も若干不足気味だ。とりあえず明日からは卒論のみに没頭することにします。



日曜に書いた西洋外交史特殊研究?のレポート。先生から確認のメールもあったのでアップしておきます↓。前期に続き、このブログに載せる前の原稿に加筆修正という省エネ書評。でも、それなりに気合は入ってます。

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細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房)
 「外交官」という言葉には、独特のイメージがある。とりわけ、小泉政権に入ってから一連の外務省スキャンダルが起きた日本では、負の側面が強調された形でそのイメージは増幅されている。このような外交官イメージは、様々な側面を持つ外交官の一面は捉えているだろう。確かに外交官は一般の国民と比べ、巧みに外国語を操り、一定の期間を外国で過ごす、ある種の特権的な職業である。しかし我々は、このようなイメージに引きずられてしまい、「外交」について誤解してはいないだろうか。そもそもあるべき外交の姿とは何だろうか。
 このような問いに本書は、20世紀前半から半ばにかけて活躍した魅力的な5人のイギリス人外交官を描くことによって答えてくれる。本書に登場する外交官たちは、先に挙げたような人口に膾炙されたイメージとは一風異なる魅力的な人物ばかりである。取り上げられているのは、ハロルド・ニコルソン、E・H・カー、ダフ・クーパー、アイザイア・バーリン、オリヴァー・フランクスの5人である。この魅力的な5人の外交官を、ストレイチーによって確立された「複数の人物を並べて論じる」評伝として描き出すことによって、本書は外交の本質に迫っている。
 著者は、本書のプロローグで第二次大戦後のイギリスの外務大臣であるアーネスト・ベヴィンの言葉を引いて、外交の本質を説明している。少し長いが引用する。

「対外政策とは、何か偉大なものであるとか、大きな存在であるということはないのだ。それは、自分自身の問題にも関係するような、あるいはあなた自身の問題にも関係しているような、良識(コモン・センス)や人間性の上に成り立っているのだ」(本書6頁)

このベヴィンの言葉に本書のメッセージが託されているのではないだろうか。外交とは何も特別なことではない、あくまで人間性に基礎をおいた交渉なのである。しかし、著者も断っているように、本書で取り上げられている5人は「異端」の外交官たちである。ニコルソン、カー、クーパーは、外務省をそのキャリアの出発点としながらも、道半ばにして外務省を辞し、新たなキャリアをスタートさせた。バーリン、フランクスは学者であったが、第二次世界大戦という時代の要請によって外交に携わることになった。このような「異端」の外交官たちを描くことは、外交とは何も特別なことではなく人間性を基礎においた交渉である、という上記のベヴィンの言葉とは矛盾していると感じるかもしれない。この点について、本書はあえて「異端」の外交官を描くことによって外交を若干の距離をもって描くことに成功しているとはいえないだろうか。本書で取り上げている5人は、共にイギリス外交に対して大きな貢献をしたが、外交についてある種の距離感を持っていた。さらに5人は共に、魅力的な文章を残したヒューマニティー(人間性、人文学の素養…etc.)溢れる人物でもあった。この距離感とヒューマニティーがある5人を描くことによって、外交をある程度相対化して考えることが可能になる。
 著者は、本書を学術書ではなく「一般向けの読み物」として執筆したというが、納得の分かりやすさと面白さであり、読者は引き入れられるように一気に読み終えるだろう。評伝という形式は、人物を論じることによって背景にある歴史そのものも論じることになるのだが、本書にもその形式の利点は大いに生かされている。また、それぞれの人物がほぼ活躍した時代の順に並べられていることから、旧外交から新外交へと移り変わる時代が見事に描き出されている。
 あえて本書の難点を挙げるとすれば、それは「バランス」だろうか。ニコルソンについては「旧外交→新外交」という本書のテーマに重なるからか、かなりの紙幅が割かれている。一方、バーリン、フランクスについては哲学者時代が描かれないこともありやや尻切れトンボの印象がある。もっとも、限られた紙幅の中で5人を描いていることを考えればこれは望みすぎというものだろう。
 バランス、面白さという点ではクーパーの章が出色だろう。アンソニー・イーデンと共にチャーチルの腹心として第二次大戦時に活躍したクーパーだが、イーデンとは対照的に駐仏大使を最後に政治の一線から退く。それは、クーパーならではの決断であった。このようなクーパーの生き方は、晩節を汚さないという点で美しいが、イーデンの1950年代前半の成功を考えると若干勿体無くもある。クーパーについてはその生い立ちから外務省時代、政治家時代、シンガポール時代、そしてパリ時代、晩年と実にバランスよく描かれている。
 一方、これまでのイメージを変えてくれる、という意味で面白いのがカーの章だ。抑えられた筆致ではあるが、カーの二元論的思考を著者は痛烈に批判しその限界を指摘している。『危機の二十年』『歴史とは何か』などの印象のみでカーを考えがちな日本人にとって、『新しい社会』の著者であるカーを強調する視点は新鮮だ。勿論、本書における筆者の人物評価には異論もあるだろう。確かにクーパーに対する筆者の評価は従来の研究と比べ相当程度「甘い」だろうし、逆にカーに対する評価はかなり「辛い」だろう。それならば、その異論と本書を読み比べることをお薦めしたい。
 著者は『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)でアーネスト・ベヴィン、『外交による平和』(有斐閣)でアンソニー・イーデン、という共に20世紀イギリスを代表する外交指導者を描いている。本書と併せて読むことによって、より立体的に外交を理解することが出来るだろう。
 落ち着いてじっくり味わいたい一冊である。

at 23:53│Comments(2) 本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by Riviera   2005年12月31日 02:30
これから君のこと「歩く書評」って呼ぶよ。
来年もよろしく。
2. Posted by とりとり@管理人   2005年12月31日 23:24
今回の書評は、字数といい書き方といい、ちょっと毎日新聞の書評を意識してやり過ぎたかもしれないなぁ(笑)
何はともあれ、こちらこそ来年もよろしく。

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