2005年10月31日

歴史を学ぶということ。

今読んでいる入江昭の回想録の題名と同じだが「歴史を学ぶということ」について、ここ数日また考えている。これはまあ病気みたいなもので、ふとしたことをきっかけについつい考えてしまう。結果、ゼミ試験の課題で書評論文を書いたときも取り上げたのはC・エルマン、M・F・エルマン・編『国際関係研究へのアプローチ 歴史学と政治学の対話』。カーの『歴史とは何か』もかなり読み込んだし、ギャディスの『歴史の風景』なんかも読んだ。この病気はすぐ治まるんだけど、結局完治することはない。今回のきっかけはやはり現代ロシア論特殊研究?だろうか。今日は「清沢洌」がテーマだったのだが、先生のコメントはやはり「歴史」の捉え方を鋭く付いてくる。「現代の問題意識に立脚せずに歴史を見ても意味はない」と先生は言いきる。やっぱりそうなんだろうな、と思いつつも、いやでもそんなことはないだろ、その研究のrelevanceはどうやって保証されるべきなのか、歴史を見る上で主観の問題をどう考えるのか。などと頭の中はぐるぐる回る。

そんな俺の疑問や迷いに、ある種のヒントを与えてくれる文章が昨日書評した細谷千博『日本外交の座標』で見つけたので紹介したい。「歴史家としてのジョージ・ケナン」という論文の中でケナンの歴史学に対する考えを紹介した箇所である。

「もとよりトータルな客観性などというものは存在していない。歴史的著作はすべて、著者の理知的・感性的世界の反映であり、著者の属する時代、また成長の一段階の投影である。歴史の作品は、対象とした時代を露わにするのみならず、生みだされた時代を表現している」(「文学としての歴史」)。
 このように「トータルな客観性」への到達を否定し、「主観性」の作用を自覚しつつ、ケナンは歴史家の道は、「客観性」の目標への無限の努力以外にないことを次のように説いている。
「トータルな客観性が到達不可能だからといって、その探求が無意味であることを意味しない。……肝要なことは、この探求の努力をやめない点にある。真実を認識し、把握する努力の過程で、いやしい、低俗な主権性に打克つ闘いをやめない点にある。また歴史家の脇にいつも座っていて、けしからぬ助言をしようとするあのエゴという小妖精を超絶しようとする努力をやめてはならない点にある」(「文学としての歴史」)。


これは、歴史をやる上での心構えとして非常に大切な指摘だろう。それからもう一点、入江昭の回想録から…

どの本でも、著者のいわんとすることがひとつある(もちろん、それがなければ読む意味がない)。本を読むということは、このひとつのことを理解することであり、そのためには長時間をかけて一冊一冊丁寧に読む必要はないというのが先生の助言だった。……図書館に山ほどある研究書を、ひとつひとつ時間をかけて読むことは物理的に不可能である。……歴史を学ぶということは、歴史学の動向を理解することである。極端にいえば、ヒストリオグラフィー(歴史研究、解釈)なくしてヒストリー(歴史)はありえない、ということにもなる。

以上2つは、今後長い間繰り返し読むことになるであろう文章。どちらも当たり前のことを言っているに過ぎない、ともいえるが、俺にとってはそれだけではない「何か」がある。ふ~む、こうやって「歴史学」と折り合いをつけても、俺はもうひとつ「政治学」とも折り合いを付けなくてはならない。道のりは険しい。

at 22:23│Comments(7)エッセイ風 

この記事へのコメント

1. Posted by やっさん   2005年11月01日 18:56
諸事情によりやっさんのコメントはこっちに移させてもらいました(管理人)。
ちょっと来てみたら、こんな文章が。コメントって難しいね。
ところで
俺のHPのstudy欄にエクセルでGDP/capitalと政治的自由度を使ってグラフとか書いたページをアップしました。なんか意外な結果が出たので、時間あったらコメントください。
P.S
それと同ページにある靖国についての文についても、トリトリの意見があるとうれしいです。自分の考えが人から同意をもらえるようなものなのか知りたいんで。
2. Posted by やっさん   2005年11月01日 19:00
諸事情によりやっさんのコメントはこっちに移させてもらいました(管理人)。
訂正
靖国の方は削除したので、HPにありません。
3. Posted by うっちーー   2005年11月07日 06:18
 相互リンクありがとうございまする。さてさて、「歴史」という厄介な代物なんですけど、難しいですよねーー。だけど、アメリカでフーコーがはやってる時点で、トリトリの悩みはなかなか解消されないでしょうに、、汗。なんしろ、アメリカいって「政治思想史、政治学学んでます」っていうと、「じゃあ、あなたはフーコーですか?」ときかれるらしい(W大某教授曰く)。
 結局のところ、ポストモダンが登場した時点で「歴史」における主観性の問題はばっさり切られている感が否めないし、だからといって客観性や真理(とでも言えばいいか?)を「歴史」に求めようとすることに戻ることは難しいしね~(単なる大風呂敷か、宗教家になっちゃうし)。
 こんな「本質的問題」に答えることはおれn
4. Posted by うっちーー   2005年11月07日 06:20
すまんミスった。。。
 最後に書きたかったのは「俺にはできない。けどどうか【歴史家】として『保守化』するのだけはさけてくだせー」ということです。はい。すんませぬ
5. Posted by とりとり   2005年11月07日 15:49
俺のゼミの先生は、海外で何やってるか聞かれたとき、相手が国際政治学者だったら「国際政治経済です」、相手が国際政治経済学者だったら「国際政治です」と答え、歴史家には「政治学をやってます」と答え、政治学者には「歴史をやってます」と言ってるらしい。いよいよ困ったときは「国際秩序論」です、だってさ。こういうのもありかな~。
日本では政治史や外交史っていうのはニッチだけど、そうじゃない国もあるし、そんなに悲観はしてないんだ。「保守化」云々はその結果じゃなくてどういうプロセスでそうなるかが問題。たいした検討もなく「保守化」したり「革新化」しないくらいの感性は維持してきたいと思ってる。
何はともあれシンポ頑張ってくれ。
6. Posted by Quinn   2014年08月20日 00:22
Iˇ¦m no longer positive the place you’re getting your info, however good topic. I needs to spend a while finding out much more or understanding more. Thank you for excellent info I was looking for this info for my mission.
7. Posted by Lunghezza Prada Portafoglio M608 in Dark Rosolare   2014年09月06日 16:25
Inspectez les plinthes en bois près du sol

コメントする

名前
URL
 
  絵文字