2005年09月23日

今後の課題。

大学院入試を振り返って、いくつか考えることがあった。それは、今後の2年半の学生生活にも直結することだと思うので、ちゃんとした形で文章にしておきたい。

昨日の記事にも書いたとおり、面接の出来は最悪。準備不足や体調の悪さだけではなく、自分自身の根本的な「悪い点」や「足りない点」が見事に出てしまったように思う(事実、その点は指導教授に後で指摘された)。前向きに考えれば、その「悪い点」が入試という一番早い段階で出た分だけ、ありがたいともいえる。どうせ修正するならば、出来る限り早いほうがいい。

自分はなぜ研究をしたいのか? 研究とはそもそも何か? 今回の面接ではこのような点がはっきり言って自分の中で全く詰められていなかった。とりわけ足りない点は後者だ。勉強と研究は何が違うのか、ただ蓄積された知識と研究が何が違うのか、こんな当たり前のことが全く理解できていなかったのではないだろうか。

研究をするということは、つまるところ「あるテーマについて分析すること」である。これは政治学だろうと歴史学だろうと、そのあらわれ方が異なるだけで同じだろう。それでは分析するとはどういうことか。それは、あるテーマをある分析視角(分析枠組み)に基づいて分析をすることによって、何らかの知見を得ることである。ただやみくもに調べても決して研究にはならない。

なぜ、どの社会科学の入門書にも書いてあるような当たり前のことを「忘れて」しまったのだろうか。もちろん、常々指導教授に指摘されていたことでもあるので、自分自身の資質の問題もあるのだが、自分としてはこの夏休みの過ごし方にこそ問題があったように思う。具体的には、ひたすら回顧録や外交青書を読む、という勉強方法だ。これらはある種の一次資料である。ちゃんとした、分析視角に基づいて整理されているものでもない。ちゃんとしたトレーニングを受けていない人間が、史料の山に囲まれた結果が、今回の面接に繋がったのではないだろうか。やっぱり50冊以上回顧録を続けて読むのはあまりいいことではないのかもしれない。

今回の面接での失敗が上記のような夏休みの過ごし方にあるのだとすれば、今後どうやっていけばいいのかはそれほど難しい問題ではない。先行研究を分析視角・分析枠組みに注意して読み込むことである。もし夏休みの過ごし方と関係なかったとしたらどうか。それでもやるべきことは同じだと思う。どちらにしても、自分自身の分析視角を見つけるためには、先行研究の読み込みが必要であるからだ。

何はともあれ今回は「首の皮一枚で繋がった」わけだ。一番低いところからスタートするわけで、あとは上るだけと考えれば悪いことではない。まずは、目の前にある卒論を頑張る、そして語学を習得する、そして修論へ向けてとにかく道筋を付ける。これが今後半年間の大学生活の課題だろう。

at 23:34│Comments(0)日々の戯れ言 

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